2008年8月25日月曜日
ツリー構造型思考の克服
極端な専門分化の弊害については、多くの人が問題を感じていた。そのため学際的アプローチの必要性は、30年も前から叫ばれていた。しかし問題提起はあっても具体的な方法がなかった。この難問に応えられるようになったのは、ネットワーク思考のおかげだ。とくにインターネットという情報環境や、グーグルの検索しシステムの貢献は大きい。これらの革新的な技術によって、今までツリー構造に制約されていた思考方法は、一挙に開放された。本来ツリー思考は絶対のものではなく、既得権でもない。必要に応じて自由に構築すればよい。重要なのは、情報を集めて、ツリーを構築する方法だ。つまり方法の方法だ。それには新しいデザイン理論と計画理論が大きく貢献できるだろう。それにしてもテクノロジーの効果は大きい。20世紀を代表するアカデミズムが完成したために、ツリー構造型の科学や哲学はかえって行き詰まりになっていた。それをブレイクスルーしたのが、インターネット技術とグーグルの検索技術である。
2007年9月10日月曜日
安直な質問
ITが進歩したおかげで、知的生産がとても便利になった。とくにGOOGLによって、世界中のサイトから膨大なデータや情報を即座に検索できる。もちろん情報検索だけで、知的生産ができるわけではない。コンセプトの創生やアイデアの発想はまったく別次元の話になるからだ。
アイデアを発想するには幾つかのキーがあるが、なかでも重要なのは「質問」だ。成功したアイデアマンの殆どが、“それは何故か”を連発する習性がある。もちろん質問さえすればよいというわけではない。まず何らかの仮説をもち、その正しさを検証するために質問しなければならない。いやしくもプロであれば、仮設のない無意味な質問は恥である。
しかし、世の中にはけっこう愚問が多い。よく聞かされるのが、テレビのインタービューだ。かってあるインタビュアーは、黒沢明監督に、「あなたにとって映画とは何ですか」と質問した。黒澤は激怒して言った。半世紀以上も掛けたライフワークを、そんなに安直に答えられるか、と。
スポーツ記者はしばしばホームランを打った選手に「ホームランを打った感想は?」と聞くが、これもまた同類の愚問だ。
アイデアを発想するには幾つかのキーがあるが、なかでも重要なのは「質問」だ。成功したアイデアマンの殆どが、“それは何故か”を連発する習性がある。もちろん質問さえすればよいというわけではない。まず何らかの仮説をもち、その正しさを検証するために質問しなければならない。いやしくもプロであれば、仮設のない無意味な質問は恥である。
しかし、世の中にはけっこう愚問が多い。よく聞かされるのが、テレビのインタービューだ。かってあるインタビュアーは、黒沢明監督に、「あなたにとって映画とは何ですか」と質問した。黒澤は激怒して言った。半世紀以上も掛けたライフワークを、そんなに安直に答えられるか、と。
スポーツ記者はしばしばホームランを打った選手に「ホームランを打った感想は?」と聞くが、これもまた同類の愚問だ。
2007年8月27日月曜日
テレビで見る戦国時代の軍議
いまNHKで放映中の風林火山はかなり評判がよいらしいが、ここで取り上げたいのはドラマの出来栄えではない。戦国時代の会議のあり方である。この種のドラマでは、しばしば軍儀の紛糾する場面が演出されるが、大よそパターンは決まっている。すなわち重臣たちが各々の意見を述べ立てるが、やがて鋭い対立が生じ議論は膠着状態となる。首領はそれまで黙って聞いているが、この段階になってはじめて口を開く。いくつかの要点を衝く質問のあと、明確な決断を下す。
この軍儀のやり方と、現在の経営会議のやり方を比較すると面白い。いわゆるワンマン会社では、役員が意見を言う前にトップが自分の方針をまくし立てる。いわゆる討論ではなく、方針の伝達である。一方、権限委譲が進んでいる場合はどうか。それぞれの担当責任者が方針を説明し、他のメンバーはあまり口出ししない。専門分化が極度にすすんでいることもあるが、他人の縄張りを侵したくないという配慮もある。この場合の会議は、一種の情報交換といった方がよいだろう。
このようにして現在における経営会議の多くは、戦国時代の軍儀のように殺気が漲るようなものにはなりえない。その理由は、専門分化に由来する情報洪水のせいなのか。それとも経営があまりに複雑化したため、トップの情報処理能力と決断能力に限界が生じたのか。
この軍儀のやり方と、現在の経営会議のやり方を比較すると面白い。いわゆるワンマン会社では、役員が意見を言う前にトップが自分の方針をまくし立てる。いわゆる討論ではなく、方針の伝達である。一方、権限委譲が進んでいる場合はどうか。それぞれの担当責任者が方針を説明し、他のメンバーはあまり口出ししない。専門分化が極度にすすんでいることもあるが、他人の縄張りを侵したくないという配慮もある。この場合の会議は、一種の情報交換といった方がよいだろう。
このようにして現在における経営会議の多くは、戦国時代の軍儀のように殺気が漲るようなものにはなりえない。その理由は、専門分化に由来する情報洪水のせいなのか。それとも経営があまりに複雑化したため、トップの情報処理能力と決断能力に限界が生じたのか。
2007年7月23日月曜日
安藤忠雄のアプローチ
建築家安藤忠雄のデザインが人を引きつけるのは何故か。その秘密は独特の方法論にある。彼はまず依頼主の潜在的なニーズから出発する。それが何かは、依頼主さえわからない。そのニーズは意識下にあるからだ。安藤はそれを追求し仮説に到達する。たとえば寺院建築の場合をみよう。彼は檀家の人々の潜在ニーズを、「安らぎ」というコンセプトで表現した。
次はその設計コンセプトを、どのようにデザインとして具体化するかだ。コンセプトは抽象概念だが、これを具象化しなければならない。この飛躍こそデザインの本質だ。しかし、安藤もそのプロセスを説明することはできない。結果つまりプロダクトとしての設計しか示せない。その代わり彼は、心構えを述べている。それは格闘だという。格闘の結果としてデザインが生まれるという。ボクサーとしての体験がそのアプローチを生んだのか。興味深いところだ。
いずれにしても、コンセプトから具体化への「転換」不可欠だ。しかしそのメカニズムを説明することは出来ない。この点は創造プロセスの分析で、いつも逢着する難問だ。
次はその設計コンセプトを、どのようにデザインとして具体化するかだ。コンセプトは抽象概念だが、これを具象化しなければならない。この飛躍こそデザインの本質だ。しかし、安藤もそのプロセスを説明することはできない。結果つまりプロダクトとしての設計しか示せない。その代わり彼は、心構えを述べている。それは格闘だという。格闘の結果としてデザインが生まれるという。ボクサーとしての体験がそのアプローチを生んだのか。興味深いところだ。
いずれにしても、コンセプトから具体化への「転換」不可欠だ。しかしそのメカニズムを説明することは出来ない。この点は創造プロセスの分析で、いつも逢着する難問だ。
2007年7月14日土曜日
Web2.0は巨大な集団天才
茂木健一郎と梅田望夫の共著「フューチャリスト宣言」で、ウェブ頭脳論が語られている。脳の働きは脳細胞のネットワークで機能するが、個々の人間を一つの脳細胞に擬すると、その集合体であるインターネットウエブは、まさに巨大な脳である。その特徴の一つは、どちらも偶有性(29頁)を持っていることだという。さらに面白いのは、そのウエブの性格は国によっても相違するという。アメリカの場合は個人がリンゴのように個々が確立している。そのため集団天才になりにくかったが、Web2.0(新インターネットネットワーク)のお陰で、巨大な集団天才化が可能になった。一方日本の場合の集団天才は葡萄の房だ。個々が確立していない。全体が個を形成している。従来はそれが強みであったが、今後はどうかというのだ。一房ごとは強いが、他の房とは断絶している。だから小規模な閉鎖社会を形成してしまう。これでは規模の大きい集団天才にはなれない。然らば対策はどうか。私の意見は葡萄の一房を単位としながらも、Web2.0によって、日本独自の巨大なネット頭脳を構築することだ。
(注)集団天才=文殊の知恵というように、平凡人の集団でも夫々の知識をうまく組織化すれば天才を凌駕できる。
(注)集団天才=文殊の知恵というように、平凡人の集団でも夫々の知識をうまく組織化すれば天才を凌駕できる。
登録:
投稿 (Atom)