ラベル 社会・経済 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 社会・経済 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年3月3日土曜日

複式簿記を使わない日本の財政システム

石原東京都知事は、東京都の財政が健全な理由として、複式簿記の適用を強調している。まさに卓見だと思う。彼がそう言えるのは、一橋大学の出身であるからだ。一橋大学の元を辿ると、旧制の東京高等商業学校である。当時、官立の高等商業は全国で十数校あったが、そこでの教育の目的は、産業・ビジネスの実務を教えることであった。このほか専門学校は工業技術の実務を教える高等工業学校、農業の実務を教える高等農林学校など産業別に数種類あって、日本の経済を支える中堅人材の育成に大いに役だった。
 一方、その上位に位置づけられた帝国大学はどうであったか。発端の話に戻れば、経済・ビジネスに関する実務は全く教えなかった。この領域でかろうじて関連があるのは経済学部であろうか。ただし、ここでは複式簿記は教えない。それでも卒業後は、いっぱしの財務官僚として実務に携わるようになっていた。
 現在、日本の国家財政や地方財政の分野で引き起こされる問題の多くは、実はこの複式簿記を適用しないシステムに起因している。驚くべきことに、日本の財政を支える基本システムは単式簿記なのである。単式簿記とは、現金の出入りだけを記録する大福帳システムである。周知のことと思うが、念のためにその問題点を挙げておこう。
① 現金の出納記録しか出来ない。
② 従って現金の授受を伴わない借り貸しの処理や、その繰り越しは別処理になる。
③ 資産の減価償却を処理できない。そのため固定資産はすべて当会計年度の費用になる。
④ したがって正確な固定資産管理ができない。国有財産の正確な金額評価ができない。
⑤ 繰り越し処理ができない単年度方式になるため、期末には未消化予算を無理に浪費。
⑥ 年度を越える長期プロジェクトは、財政予算システムでカバーできない。
⑦ そのため長期にわたる国家プロジェクトの立案が難しい。発想が短期的になる。

 何故このような不合理なシステムがまかり通っているのか。不思議に思われるかも知れないが、前述したように理由は極めて単純である。帝国大学の法学部や経済学部を出て大蔵省に採用されたエリート官僚が、複式簿記を知らないからである。そのため実務を知らない素人でも理解できる単式簿記を採用したのである。一方の複式簿記というのは、中世のベネチュア王国時代に開発された会計手法であるが、極めて合理的な会計手法で、ずいぶん古くから世界標準になっている。その完璧さはピタゴラスの定理に匹敵するとさえ言われている。そのため現在では一般の企業はもちろん、財政面でも主要国の殆どが使っている。これを用いない日本の財政システムは、例外といえるだろう。エリート官僚がこれを使わない理由は前述したが、果たしてそんなことで済むのだろうか。

2012年2月12日日曜日

素人が気にする経済問題(2)

前回のブログ「素人が気にする経済問題」で、残しておいたのは以下の3つである。その後、いろいろ考えて一応の答えを出しておいた。正しいかどうかは分からない。皆さんの御意見を承りたい。
     1)偏りがなくなればどうなるか
 わずか9%ほどの人口で、世界におけるGDPの44%をカバーしている先進国の生産面でのアドバンテージは、急速に失われつつある。きっかけは、中国の経済開放政策であった。早くも世界の工場といわれるようになったこの国を、先進各国は競って供給拠点として利用するようになった。たとえば日本の消費者は、中国製文房具のほとんどを、100円で手に入れることができる。アメリカの場合は、もっと徹底している。こうして多くの先進国は、高度な技術を要する製品以外は、ほとんど生産を止めてしまった。しかし、その高級製品も次第に浸食されつつある。この動きは中国だけに止まらず、インドや東南アジア、南米など多くの後進国に広がった。こうして、価格破壊を伴う生産拠点は世界的な規模で拡大し、これらの国の労働者の多くに雇用機会を与えるようになった。彼等の所得水準はまだ低いといっても、従来と比べたら大幅に向上している。しかも彼等が消費する商品の価格は安い。かくして後進国に於ける生産と消費は飛躍的に増大している。今ではインド、東南アジアさらにはアフリカに於いてさえ、テレビ、エアコン、冷蔵庫などの電化製品は市場に氾濫している。それどころかパソコンや自動車などの高度製品さえ、安値で数多く市場に出回っている。
 この状態は、今まで先進国に偏っていた生産や消費を、世界的に平均化することになるから、基本的には好ましいことである。しかし一方では深刻な問題も孕んでいる。地球資源の急激な浪費とそれによる枯渇である。今や資源としての植物、動物、鉱物などの総量は急速に枯渇しつつある。消費のスピードが生産のスピードを越えはじめたからである。世界人口は2050年には91億人に達するという。この時期になると、世界に於ける先進国の人口比率は5%程度になり、GDPの比率は20%以下になるだろう。
     2)先進国の経済はどうなるか
 このままでは先進国の経済は成り立たなくなる。各国は抜本的な産業・経済戦略をうち立てなければなるまい。
 その第1はアメリカである。
この国が仕掛けた経済グローバル化の弊害は、まるでブーメランのように自らの産業構造を直撃した。工業製品の多くが競争力を失い、それを作る工場労働者は仕事を失った。そのため失業率は10%を越えた。オバマ政権は、回復をはかるため再び製造業の活性化に努力している。たとえば対策の一つとして、若年労働者を増やすために移民を増やしている。そのため3億人を越える人口になったが、それがプラスになるか否かは分からない。
 第2はドイツである。
ドイツと日本の産業構造はよく似ている。たとえば製造業の比率は、どちらも同じように20%前後を維持してきた。工業技術の水準も高く、機能や精度の高い機械製品には定評がある。経済運営も堅実で、いまではユーローを支える屋台骨になっている。ただ本稿のテーマである後進国の追い上げと、それに伴う世界経済の平準化が到来したらどうなるだろう。いくら超高性能のマザーマシンを開発しても、それを購入して模倣して安く作り、コモディティ製品を大量に生産する後進国のやり方に対抗できるだろうか。
 第3はイギリスである。
イギリスとアメリカの経済思想をみると、類似点が多い。本質的に両国はアングロサクソンの気質を備えているからであろう。たしかにアメリカは移民の国だから、民族的にはイギリスとは違う。しかし少なくとも政治・経済の中枢的な権力を握っているのは、この血統に属する人たちである。スポーツだけではなく、政治、経済のルールやスタンダード作りは常にこの人たちだった。とくに近年における国際金融のルール作りでは、瞠目するほどの活動ぶりであった。ニューヨークと並んで、ロンドンシティは今なお世界金融ビジネスの中心である。しかしこの分野を除くと、イギリスの産業は実に寂しい。今後の産業・ビジネスステージに於いて、この国に期待できるものは少ない。
 第4はフランスである。
この国の産業構造は一風変わっている。芸術・文化の国として、我が国には多くの心酔者がいるが、意外な側面も持っている。まず武器輸出国としては、世界第三位である。輸出先はアラブ首長国連邦、ブラジル、ギリシャ、インド、パキスタン、台湾、シンガポールなど極めて広範に及んでいる。宇宙航空産業のウエイトも高い。その代表作がエアバスである。軍用航空機の輸出も多い。ただハイテク産業面でやや出遅れの感があり、第二次産業の面では、ややバランスが欠けているという自覚があるようだ。それを挽回するために、新産業技術の開発力強化をめざす政策を強化している。一方、農業では欧州一の産出国である。この特徴をどう生かすかは、今後の課題になるだろう。ただ後進国の擡頭による、世界経済の勢力関係の変化については、上述の3国と同じくあまり気にしていないようだ。とくに昨今のようにユーロの危機となっては、世界人口70億時代を見据えた産業戦略どころではないのかも知れない。
     3)日本はどうすべきか
では日本はどうか。GDPが中国に抜かれて3位になったが、そんなことは問題にする必要はない。本質的な問題は、工業生産面で後進国の追い上げに直面している状況に、どう対応するかである。上の「偏りがなくなればどうなるか」でも述べたように、生産・消費に関する世界の分業体制は大きく変化したのである。周知のように現在における産業構造は、以下の5つに分類されている。
① 第一次産業・・・農林漁業
② 第二次産業・・・製造業
③ 第三次産業・・・金融業、物流業、商流業
④ 第四次産業・・・IT産業
⑤ 第五次産業・・・ファイナンス(投機)産業

 今まで上で述べてきたのは、この5分類のうち第四次産業までは、いずれ後進国に追いつかれるということであった。そして従来の日本は、第4次産業時代までは常に半歩遅れで欧米企業に追随し、最終的には同レベル乃至それを凌駕する位置を獲得してきた。しかし今や欧米諸国が第5次産業で破綻したとなれば、今後は自前で新産業を創造しなければならない。私はそれを第6次産業と名付けることにしている。然らばその内容はどういうものか。
 いうまでもなく第6次産業の創出には、従来とは違う考え方とアプローチが必要である。まず考え方について言えば、文化と文明の違いを認識することから始めなければならない。通常はこの二つは明確には区別されていない。歴史学者でさえ混同している例が多い。しかし両者の違いは明らかである。簡単にいえば、文明は文化に包含される下位概念である。別の表現をすれば、文化は暗黙知であるが、文明は形式知である。したがって文化には言語化されないものも内蔵されるが、文明には言語化できるものしか含まれない。
 日本は地理上の位置に加えて、鎖国という特殊な事情があったので、独自の文化に基づいて文明を形成してきた。しかし幕末の開国によって門戸が開かれ、その結果として異質でパワフルな欧米型の文明を知った。それは軍事、産業、政治、生活、芸術などあらゆる分野に及んだ。ただし、それらは全て言語によって表せるもの、すなわち欧米文化に由来する欧米文明に属するものだけである。かくして日本の新産業は、すべて西欧文明に基盤をおく技術に依存することになった。
 このような西欧文明追随型のアプローチは、第4次産業時代までは概ね通用するものであった。しかし上述したように、今や西欧型の文明に基づく産業のあり方が揺らぎはじめている。途上国は別として、欧米先進国の経済・産業を覆っているのは深刻な閉塞感である。今後はおそらく凋落の一途を辿るに違いない。日本も従来の欧米型産業パターンを踏襲する限り、同じ悩みから脱却することはできない。しかし幸いなことに、日本にはとっておきの切り札がある。いままで等閑にしてきた固有の文化をベースにして、新しい産業文明を構築し直すことである。もちろん既に自家薬籠中のものとなっている西欧型文明は十分活用しなければならない。それに加えて、固有文化に基づく文明を交配させるのである。それには、お家芸ともいえる折衷技術を、さらに洗練させなければならない。
 たとえばアニメや、ロボット、精密部品、炭素繊維などの新素材、さらには高級野菜や盆栽など日本の文化と文明に基づく技術でカバーできる範囲は驚くほど広い。これらの多くは見かけ上、西欧型の技術文明そのものである。しかしその根幹のところまで遡ると、多くは日本人が持っている「匠」の心に行き着くのである。いうまでもなく匠の技術は、日本文化が生んだ日本文明の精華である。この見方に立つと、日本の第6次産業は、もはや始動しているともいえるだろう。その具体例および今後の展開については、このブログで引き続きフォローしていくつもりだ。

2012年2月8日水曜日

素人が気にする経済問題(1)

1) 何が経済問題か
 経済について、学者、エコノミスト、経済記者などが論じるキーワードは、何故あのように画一的なのだろう。いわくGDP成長率、いわく為替相場、いわく失業率、いわく株価、そして最近では格差と富の配分率!
 いわゆる経済専門家はこれらの限られた数値だけで、その上がり下がりを予測したり、結果を分析したりしている。しかし的中することは殆どない。だからといって非難されることがないし、本人達もそれを謝罪したり弁解することもない、発言はすべてその場限りのことで、だれも気に掛けない。
 経済学について私は全くの素人だが、それでも生活を営んでいるわけだから、これらの言説について、関心がないわけではない。むしろ人並み以上に気に掛けている。しかし繰り言になるが、知りたいこと、教えてほしいことへの回答がほとんど得られないのだ。全くいらいらしてしまう。
 では何が知りたいのか具体的に説明しよう。たとえば昨年、世界の人口は70億を超えたという。この途方もない事態は、我々の将来にどんな影響をもたらすのだろうか。地球規模で考えるのはあまりに大きすぎるので、取り敢えず日本への影響について考えてみたい。
 それには、まず先進国と後進国(途上国も含む)の人口分布とGDPを知りたい。国連の定義によると、一人当たりの国民所得3万ドル以上が先進国である。これに該当するのは上から順に、ルクセンブルグ、ノルウエー、カタール、スイス、アラブ首長国連邦、デンマーク、オーストラリア、スウェーデン、オランダ、アメリカ、カナダ、アイルランド、オーストラリア、フィンランド、シンガポール、ベルギー、日本、フランス、ドイツ、アイスランド、クエート、イギリス、イタリア、ニュージランド、香港、スペインの26カ国である。次に、その26カ国の総人口およびGDP年間総額を知りたい。調べた結果は次の通りであった。
    (国 名)    (GDP/人/ドル) (総人口:万人) (GDP:兆ドル)
   1)ルクセンブルグ    10万9千       50       0.05
 2)ノルウエー          8万4千      500       0.42
 3)カタール             7万4千      170       0.13
 4)スイス               6万8千      300       0.48
 5)アラブ首長国連邦     5万8千      600       0.35
 6)デンマーク           5万6千      600       0.34
 7)オーストラリア        5万6千     2200       1.20
 8)スエーデン          4万9千      900       0.40
 9)オランダ             4万7千     1700       0.80
10)アイルランド          4万6千      400       0.19       
11)アメリカ              4万6千    31000      14.30
12)カナダ               4万6千     3400       1.56
13)オーストリア         4万5千     2200       1.00
14)フィンランド           4万4千     5300       0.23
15)シンガポール        4万3千      500       0.21
16)ベルギー           4万3千     1100       0.47 
17)日本               4万3千    12600       5.50 
18)フランス             4万2千     6300       2.60
19)ドイツ               4万1千     8200       3.40
20)アイスランド          3万9千      300       0.02
21)クエート             3万7千      270       0.10
22)イギリス             3万6千     6200       2.20
23)イタリア              3万4千     6100       2.10
24)ニュージランド        3万2千      400       0.17
25)香港               3万2千      700       0.24
26)スペイン            3万1千     4600       1.42

 以上のデータを見て、先ず気になることは第1位のルクセンブルグの人口が僅か50万人に過ぎないことだ。人口1億人を超える国と、50万人に過ぎない国のデータを同列に並べて論じる意味はないと思う。私はこの考え方に基づき、概ね2000万人以上の国を対象にして考えることにした。このフィルターにかけると、該当する国は11カ国である。なお補足すると、上表で1億人を越える国はアメリカと日本の2国しかない。
 もう一つのフィルターは年間のGDP総額で、これが2兆ドルを越える国を経済大国と考える。データによると該当するのは6国である。

 以上の2条件、すなわち人口条件とGDP条件に加えて、一人当たり年間国民所得3万ドル以上という基本条件をクリアーできる経済大国はアメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの6カ国しかない。さらにイタリアは今や財政危機にあるので、これを除外すると5カ国になってしまう。この5カ国の人口は6.63億人である。そして、それが世界人口に占める割合は、6.63億人÷70億人によって計算できる。値はわずか9.5%だ。一方、5カ国のGDPが全世界のGDPに占める割合は、28.0兆ドル(14.3+5.5+3.4+2.6+2.2)÷63.0兆ドルによって計算できる。答えは44%である。つまり10%に満たない人数で、全世界におけるGDPの44%を支えていることになる。ただしこの極端な偏りは、いまに始まったことではない。おそらく19世紀後半から始まっていることで、もっと偏りがひどい時代もあった。それに比べると現在は、偏りが急速に緩和されつつある。実は、その緩和に進む早さこそが、これからの大きな問題になるのである。 

2) 偏りが急速に緩和される理由は何か
 結論からいうと、世界におけるGDPの偏在緩和、つまり平準化をもたらす要因は2つある。その第一は中国およびアジア諸国の生産力増大であり、第二はそれに誘発される後進国の需要増加である。ここでいう後進国とは、アジアだけでなくアフリカも含まれる。
 この動きの発端は中国の経済自由化と、それを活用しようとするアメリカの政策から始まった。しかも、その規模は予想以上に拡大した。なにしろ中国は人口13億という、桁外れの低賃金に裏打ちされた生産力である。しかも知的所有権など、平然と盗み取るお国柄である。そのためアメリカの産業、とくに第2次産業はミイラ取りがミイラとなる仕儀となった。結果としてコモディティ製品(日用雑貨)の殆どが中国に依存せざるを得なくなっている。低価格の中国製品は、さらに欧州市場を席巻し、ついには日本にも浸透した。今では、中国は世界の工場と言われている。この勢いとやり方は他のアジア諸国にも波及している。インドやベトナムがその好例である。
 生産力が高まると、それと平行して労働者の雇用機会は増大する。そのため平均所得の水準も向上する。今や後進国では、このような好循環プロセスが普通になってきた。ちょうど日本が敗戦の混乱から立ち上がり、次第に景気がよくなり始めた時期の状況とよく似ている。その後のいわゆる史上稀な日本の高度成長は、半世紀近くも続いた。しかし現在の経済環境と技術環境を考えると、これらの後進国の平均所得が年間3万ドルを越えるのは、20年を待たずして達成できるだろう。つまり世界の国別所得格差は、予想以上に早く縮まると考えられる。

 この後は、たぶん以下のような疑問が生じるはずだ。

     3)偏りがなくなればどうなるか

     4)先進国の経済はどうなるか
           アメリカ
           ドイツ
             フランス
           イギリス
           日本

     5)日本どうすべきか

 以上の3項目については、未だ十分には考えを纏めていないので、今日はこの辺りで筆を止めておく。諸賢兄の御意見や御見解をぜひお伺いしたい。

2011年12月14日水曜日

日本の株価

日本の株価はあのバブル以来、低迷を続けているが、未だに回復の兆しがない。現在は8500円辺りをうろついているが、今後はどうなるのだろう。
  過去のデータを調べてみると、1989年12月には日経平均株価で38915円という最高値を付けた。しかし、今日現在(2011年12月14日)では8537円になっている。実に4.5分の一である。一方、アメリカのダウ平均株価は、同じ時期つまり1989年12月には2753ドルであったのが、2011年12月13日には12021ドルになっている。つまり4.3倍になっている。この極端な違いは何故なのか。少なくとも経済の実勢でみる限り、アメリカと日本の差がそんなにあるとは考えられない。むしろ、日本の方が優位に思われる。その一つの表れが円高ドル安という現状だ。為替相場がそれぞれの実力を、必ずしも正確には反映しないことは承知できるが、全く根拠がないとも言えまい。いずれにしても、株価と為替相場のギャップはあまりにも大きい。日本の株式市場には、何か根本的な問題があるのだろうか。経済専門家のお考えを承りたいものだ。

2011年10月24日月曜日

”失われた十年は取り戻せるか”

 バブル経済が崩壊した1990年から1999年に至る10年間、日本の経済はずっと沈滞が続いた。このような経済の特異現象は、他の経済圏でも、すでに経験済みの現象である。しかしどういうわけか、この現象はまるで日本固有の問題のように騒がれてきた。その多くは経済ジャーナリズムの論説であり、経済学者の論評であった。日本経済のこの沈滞はさらに止まることがなく、ついに2010年代のすべてから、現在まで続いている。世界経済の牽引役の一端を担う日本のこの有様を見て、いまやGセブンからも、批判の声が上がるようになった。その一方でアメリカは、日本と同じ状態になることを予見し、積極的に対策を講じてきた。たとえばITビジネスとマネーゲームビジネスへの転進である。この変革は一時的には成功したかのようにみえた。それだけに、日本経済の不甲斐なさを遺憾に思ったのであろう。世界経済沈滞の主な原因として、日本をあからさまに批判してきた。しかし今やリーマンショックを契機にして、アメリカは明らかに自信を喪失している。一方、欧州諸国の経済は、ユーローの結成から近年まで順調にみえた。しかしここに来て、明らかに破綻の兆しが表れている。
 世界における現在の産業経済を支える先進文明国は、日本とアメリカ、およびユーローの三者であるが、その何れも「それぞれの理由によって」行き詰まりの悲鳴を上げている。その一方で、それぞれの理由を克服すれば問題が解決できると考えている。
 しかし本当にそうだろうか。問題は、それぞれの固有の問題だろうか。私はそうは思わない。この3者すなわち先進文明国は、共通する問題を抱えている。その共通する問題を認識しなければ、現在の苦境を克服することはできない。ただしこの共通問題は、3者だけのことであって、途上国や後進国とは違う。この点も十分に認識しなければならない。
 三者に共通する問題とは、「過剰」である。過剰消費と過剰生産である。まず過剰消費について言えば、先進文明国ではあらゆる生活必需品、つまりコモディティが飽和状態になっている。この事実を率直に認めなければならない。もちろん例外はあるが、ここではそれには触れない。一方、生産面ではどうか。文明がもたらした生産技術の高度化によってコモディティの「生産過剰」は更に深刻である。
 一方、途上国や後進国の需給関係はどうか。ここでは今も旧式経済学の考え方が通用する。先進文明国がもたらしたあらゆるコモディティに、大いなる潜在需要が期待できる。それが顕在需要に転化する最大の要件は価格である。要するに安ければ良いのである。現在では、それが極めて容易に出来るようになっている。まず製造技術については、開発コストなしでコピーできる。しかも品質は二の次である。かくして中国や韓国などの中進国は、国を挙げてこの路線を走り始めた。あらゆる製品がコモディティ化している。この路線に、先進文明国が介入したり、対抗するのはもはや不可能である。
 以上のように現状を認識したとき、先進文明国の産業・経済は今後どうあるべきか。今こそ、経済学者や評論家が、その蘊蓄と見識を示すべきときであろう。

2011年8月29日月曜日

第6次産業をめざせ

 日本の産業構造は、歴史の推移にしたがって大きく変化してきた。明治の初期は1次産業すなわち林業、農業、漁業が大部分を占めていたが、明治の半ばから大正にかけては第2次産業すなわち製造業が台頭し、主要産業の座を奪った。この産業の成長は長く続いたが、昭和の末期にはピークに達し、その後は途上国の追い上げや人口構造の変化などの影響を受けて、構造比におけるウエイトは低下の一途を辿っている。その一方で大きく躍進したのが、金融業、流通業、サービス業などを擁する第3次産業である。またこの時期には、第4次産業すなわちIT産業が勃興し、経営組織の変革や延いては一種の産業革命さえもたらすことになった。現在はそれをベースにした第5次産業の時代といえよう。好例がITと金融業の交配によって生み出された「マネーゲームビジネス」である。この名称は私が仮に付けたものだが、その主流は欧米系のファンド企業が行っているビジネスである。
 概観すると日本は、第1次から第4次にいたる産業構造の変革では、概ね成功を収めたといえるだろう。しかし第5次産業での成功はあまり期待できそうもない。国民性からみて、どうも適性がないように思えるからだ。しかも、この産業にはすでに破綻の兆しがみえる。もともとこの種のビジネスは、一種の虚業である。この分野では、ユダヤ系の企業が際だった才能を発揮してきたが、しょせんは泡沫ビジネスに過ぎないのだ。
 さて、問題はこれからである。第4次産業時代まで日本は、常に半歩遅れで欧米企業に追随し、最終的には同レベル乃至それを凌駕する位置を獲得してきた。しかし今や欧米諸国が第5次産業で破綻するとなれば、今後は自前で新産業を創造しなければならない。私はそれを第6次産業と名付けることにしている。然らばその内容はどういうものか。いずれこのブログで明らかにしていく心算だが、取りあえずその概念を示しておこう。
 いうまでもなく第6次産業の創出には、従来とは違う考え方とアプローチが必要である。まず考え方について言えば、文化と文明の違いを認識することから始めなければならない。通常はこの二つは明確には区別されていない。歴史学者でさえ混同している例が多い。しかし両者の違いは明らかである。簡単にいえば、文明は文化に包含される下位概念である。別の表現をすれば、文化は暗黙知であるが、文明は形式知である。したがって文化には言語化されないものも内蔵されるが、文明には言語化できるものしか含まれない。
 日本は地理上の位置に加えて、鎖国という特殊な事情があったので、独自の文化に基づいて文明を形成してきた。しかし幕末の開国によって門戸が開かれ、その結果として異質でパワフルな欧米型の文明を知った。それは軍事、産業、政治、生活、芸術などあらゆる分野に及んだ。ただし、それらは全て言語によって表せるもの、すなわち欧米文化に由来する欧米文明に属するものだけである。かくして日本の新産業は、すべて西欧文明に基盤をおく技術に依存することになった。外国語とくに英語に堪能なことが、産業界におけるエリートの条件になったのは、その余波の一つである。
 このようなアプローチは、第4次産業時代までは概ね通用するものであった。しかし上述したように、今や西欧型の文明に基づく産業のあり方が揺らぎはじめている。途上国は別として、今や欧米先進国の経済・産業を覆っているのは深刻な閉塞感である。今後はおそらく凋落の一途を辿るに違いない。日本も従来の欧米型産業パターンを踏襲する限り、同じ悩みから脱却することはできない。しかし幸いなことに、日本にはとっておきの切り札がある。いままで等閑にしてきた固有の文化をベースにして、新しい産業文明を構築し直すことである。もちろん既に自家薬籠中のものとなっている西欧型文明は十分活用しなければならない。それに加えて、固有文化に基づく文明を交配させるのである。それには、お家芸ともいえる折衷技術を、さらに洗練させなければならない。
 たとえばアニメや、ロボット、精密部品、炭素繊維などの新素材、さらには高級野菜やなど日本の技術がカバーする範囲は驚くほど広い。これらの多くは見かけ上、西欧型の技術文明そのものである。しかしその根幹のところまで遡ると、すべては日本人が持っている「匠」の心に行き着くのである。いうまでもなく匠の技術は、日本文化が生んだ日本文明の精華である。この見方に立つと、日本の第6次産業は、もはや始動しているともいえるだろう。その具体例および今後の展開については、このブログで引き続きフォローしていくつもりだ。

2011年5月17日火曜日

パロディ“日本経済を再強化する方法”

 2010年8月17日、中国のGDPは日本を抜いて世界二位となった。その勢いはさらに加速し、両国のギャップはいっそう増大するだろう。悔しいではないか!そこで私は熟慮の末、迷首相である菅直人氏に、起死再生の一大政策を提案したい。
 それには先ず、中国の強みになっている最大の要因を分析すること。次にその分析によって得たエッセンスを、マスコミを通じて国民に納得させることだ。かつて朝日新聞が毛沢東の文化大革命を礼賛し、それを国民に喧伝したあのやり方によって・・・・。
 まず分析で得た結論から言うと、中国経済大躍進の決め手は、国内に奴隷制度を導入したことである。かつてはアメリカも、奴隷制度によって経済の基盤を築いた。同じ人間でありながら、肌の色が黒いというだけで、タダにちかい低賃金で牛馬のようにこき使った。そのおかげでアメリカの農業は大発展を遂げ、現在の強大国に発展する基盤をつくり上げたのだ。
 中国は、今まさにその奴隷制度を模倣している。しかもそれを、同じ肌の色とDNAをもつ国民に対してやっているのだ。具体的にいうと、都市族と農村族の区別である。この二つの区別は、戸籍によって行われる。そのため農村籍の労働者は、都市籍の労働者より数分の一から数十分の一の賃金で働かされるのである。残念ながら日本の経済学者は、この中国経済躍進の鍵について、ほとんど言及していない。やむを得ず、経済学に素人の私が発言せざるを得ないのだ。
 さて問題は、如何にして低下傾向にある日本のGDPを、再び上向きに転換させるかである。すでに米中二つの経済大国の事例で示したわけだが、日本もその奴隷制度を模倣したらどうだろうか。たとえば23年度の予算で23.5兆円が計上されている地方交付税を全廃する。さらに中国に学んで、地方政府から税金を徴収する。中央政府が徴収している金額は全く分からないので何ともいえないが、相当の金額だろうと想像する。その多くの部分は軍備に使われているはずだが、汚職用の賄賂にも流れているかもしれない。いずれにしろ、日本がこれを併用したら23.5兆円をはるかに越える財政余裕が生じる筈である。それだけではない。地方経済を振興させるためにやってきた一切の施策や財政支出も止めてしまう。その結果として地方の経済は疲弊し、都市部と農漁村部との格差は救いがたいほど大きくなるだろう。その一方で、地方出身者の都市部への移動を徹底的に禁止する。
 しかし、いくら厳しく禁止しても農村から都市部への密移動は止まらない。そのかわりスネに傷をもつ移住労働者は、極度の低賃金で働かざるを得なくなる。このようにして、低賃金化の条件は中国と似たようなものになるのである。これだけでも、日本の競争力は格段と高まるはずだ。
 さらに日本経済には、もう一つの秘密兵器がある。それは出身地のいかに関わらず、日本の労働者に共通する特徴である。すなわち、どんな仕事に対しても真面目に取り組む労働の姿勢である。その結果、日本で作られる製品の品質レベルは、例外なく高くて信頼できる。かくして世界でも類のない高品質・低価格の製品が、輸出できるようになる。品質と価格の両面で差をつけるその競争力は、中国の製品を本質的に凌駕するだろう。そして日本のGDP成長率は、再び世界を驚かすことになるだろう。

2011年4月16日土曜日

いそいで復興のシナリオを描け

 一ヶ月ほど前(2011年3月11日)に発生した東日本大震災の被害の全貌は、とてもとらえにくい。地震、津波、原発事故、そしてそれに伴う放射能汚染という途方もない複合災害になってしまったからだ。とくに原発事故関連に関しては、そのトラブルが未だに進行中である。いろいろな対策が講じられてはいるが、素人目にはまるでモグラ叩きのように見える。事故発生以来すでに1ヶ月を越えるというのに、次々と新しい問題が発生する。そのためにシーベルト、ベクレル、シーピーエムといった専門的な数値がやたらに発表されるが、その意味するところが分かりづらい。政府は、ここらで一般国民にも分かりやすい説明をする必要があると思う。菅首相は原子力工学に詳しいのが自慢のようだが、なぜそうしないのだろう。あまりにじれったいので、首相のために我々が何を知りたいかを、3つに分けて整理して差し上げよう。
 要点の第一は放射能の数値はどうであれ、それをどれだけ浴びたらいけないのか。継続的な被浴に問題があるというなら、その期間。たとえば一日何時間で、何週間とか。また食物として摂取する量に問題があるならば、その種類別の数値。細かい条件別に、これらのデータを一覧表にして配布してほしい。
 要点の第二は過去における災害データの収集だ。広島に原爆を投下されたのだから、日本には放射能被害に関する知見が十分にあるはずだ。当時、広島には永遠に人間が住めないとまで言われた。また夥しい数の死傷者が出たが、その一方で生き延びた人もいた。それを可能にした条件は何だったのか。そもそも被爆地周辺のシーベルト数値は、福島の場合と比較してどの程度の差になるのか。さらに言えばアメリカやロシアのデータや情報は入手できないのか。たとえばアメリカは、広島のデータを持ちかえっていて日本以上に蓄積しているはずだ。さらにその後も、マリアナ諸島やネバダ砂漠で実験している。最近ではスリーマイル島の事故経験もある。一方のロシアも、チェルノブイリのデータを十分持っている。アメリカやロシアは、日本政府の対応を批判するだけでなく、これらの経験に基づく対策を教えてくれるよう要求すべきだ。
 要点の第三は復興の見通しと、その大まかなスケジュールだ。日本には壮大な復興の歴史がある。1945年に敗戦を迎えたが、その時点での全国に及ぶ戦禍は、筆紙に尽くしがたいものだった。今回の状況とは比較にならない。それでも3年後、つまり1948年頃には何とか復興の兆しを見ることができた。さらに1950年から1954年にかけては、後に復興期と言われるほど産業全体が軌道に乗り始めた。その後は多少の曲折はあっが、1990年までは一貫して安定成長の路線を走ってきた。大まかに言って、あれほどのダメージを受けながら、わずか3年ほどの短期間に産業および経済再建の目途をつけたのだ。政府はこの実績から教訓を学び、今後の見通しを明確かつ早急に示さなければならない。

2011年4月14日木曜日

経済学者はなぜ発言しないのか

 東日本大震災は、その規模の大きさにおいて、日本の歴史始まって以来の出来事といわねばならない。その被害の範囲と大きさは人命、財産、交通、生活などのあらゆる分野に及んでいて、それを回復するために要する時間や費用などは見当がつかないほどである。しかしこのまま有効な対策を講じないで無為に時を過ごせば、日本の国力は著しく劣化するだろう。また国際的な地位も低下するだろう。素人政治家の集団に過ぎない民主党内閣では、とてもこの難局を乗り切ることはできまい。
 今後の見通しとして、とくに重要になるのは経済の復興だろう。現状を見ると、たとえば日本の主力である自動車産業や電気機器の工場では、部品供給の齟齬のため生産は大幅に減退している。この状況をどのようにして打開するか。差し当たっては電力の供給力を回復させたり、工場の補修や機械の修理など、現場でのハード面の回復に尽力するのは当然だ。しかしそれと平行して、マクロ経済の面から今後の産業・金融政策をどのように展開するかは極めて重要だ。ただしアマチュアー政治家の集団に過ぎない現在の民主党政権にそれを期待するのは無理だろう。かくしたその道の学識経験者の提言が極めて重要になる。具体的に言えば、経済学者こそこのテーマについて有効な提言を行わなければならない。
 しかし今のところ経済学者からの、それに関する発言は殆どない。その一方で産経の経済コラムなどでは、かなり大胆な提案をしている。たとえば保有するアメリカ国債を担保にした、日銀引き受けによる100兆円の復興国債の発行である。この大災害の復興には、5兆円や10兆円の投入ではとても間尺に合わないだろう。その意味では、このような大胆な発想が必要なのだ。最近では経済学の権威も地に落ちた感があるが、今こそ復権のチャンスではないか。ケインズがどうのマルクスがどうのいった文献研究ではなく、この難局に役立つクリエイティブな理論や実践的な提言をやってもらいたい。

2011年4月13日水曜日

軽薄な産業進化論

 野口悠紀雄の著作「モノづくり幻想が日本経済をダメにする」によると、産業は必然的に1次から2次、2次から3次へと進化するものである。したがって日本も、早急に2次産業依存から、3次産業に構造を変えるべきだという。この考え方は理論とはいえない単なる俗説に過ぎないが、どういうわけか一部の経済学者の間では無条件に信じられている。野口氏もその一人のようだ。
 氏は3次産業へ転換する条件として、新たな産業技術の習得、とくに金融工学なるものを高く評価しているようだが、先般のサブプライム問題やでリバティヴ問題については、どのような見解をお持ちなのだろうか。また氏は、情報整理の達人としても有名である。その情報整理のノウハウ本は、ミリオンセラーにもなっている。しかし情報整理がうまくなっても、創造性が高まる保証はない。実際、経済学者としての氏の理論面での功績については、私は寡聞にして知るところがない。そこまでは望まないにしても、少なくとも金融工学なるものの、イカサマ性ぐらいは見抜けなかったのだろうか。
 産業の進化を論ずるならば、俗説にこだわらず視点を一新するべきだろう。たとえば1次産業、2次産業、3次産業それぞれは、その産業の枠内でも進化することができる。実際に、産業界ではそうなっている。農業も工業も、その産業内で技術革新を成し遂げ、生産性を大いに高めた。この活動がなければ近年の爆発的な人口増に伴う、膨大な食料の確保や生活必需品を、まかなうことはできなかっただろう。日本はその1次産業や2次産業で大きな貢献をしている。この活動のどこがまずいのか。時代の趨勢に遅れをとっているのか。
 進化は、どの方向にも向かうことができる。馬鹿の一つ覚えみたいに、1次から2次、2次から3次という方向しかないと考えるのはあまりにも硬直した考え方だ。

2011年4月5日火曜日

グレイのパワー

 日常的に生じる社会現象は、3つの領域に分類できるかもしれない。第1は白の領域、第2は黒の領域、そして第3はその中間の灰色すなわちグレイの領域だ。仮に色相の帯として考えると、左端の真黒から少しずつ右に移動するにつれ、黒の色合いは次第に薄まって、濃灰色に変わっていく。さらに右に移動を続けると、その灰色はいっそう薄まり、最後に右端に至ると真白になってしまう。本来ならば、この連続する色相の帯を区切ることはできないだろう。しかし私は、あえて3つに区切ることにしている。そしてもう一つ加えているのは、この3領域が占める面積、すなわち分布である。具体的には、黒と白はそれぞれ5%で、灰色は90%になると考える。この値に科学的な根拠は全くない。私が経験で得てきたものである。この独断と偏見にみちた尺度で、社会現象を眺めてみると、案外うまく説明できるのである。
 たとえば採決で決めなければならないときは、当然ながら二つの立場、すなわち賛成者と反対者が出現する。ただし当初から、自分の立場を鋭く主張するものは数が少ない。その他の大多数は、曖昧な表情を保っている。しかし時間の経過とともに、その表情は次第に変わる。そして最後に採決の時がきたら、ほとんど全員が明確に意思を表明する。グレイゾーンに属する大多数のパワーが始動した瞬間である。
 グレイゾーンを動かすために、白と黒の両側から、いろいろな働きかけが行われる。政治やマーケティングの分野では、とくにこの策動が激しい。マスコミなどはその下品さによって、20世紀が生んだ賤業といわれるほどだ。しかし策動がどうであれ、最後の決め手は、グレイゾーン集団が潜在的にもっている価値観、倫理観、学習能力そして文化である。この点において日本は、世界でも最も高い水準にあるのではないだろうか。日下公人氏は、50年も前からこの見地に基づき日本の将来を予言し続けているが、ことごとく的中している。日下氏が一貫して主張しているのは、日本人が持っている数々の美徳であり、これを大いなる資源とみなしている。従来の国際競争の場で優位を決めるのは地下資源であったが、これからは文化資源が決め手になるとも書いている。そしてそれを保有しているのは、観念的な舶来知識を珍重する知識人ではなく、実生活に根ざした知恵を備えた庶民であり、この点において日本は世界でもダントツの資源国だと述べている。
 21世紀の国際競争における国力の差は日下氏の言うとおりだとして、グレイゾーンを構成する各国の庶民のレベル、つまり上述した価値観や倫理観で比べてみよう。たとえば中国の一般大衆、アメリカの一般大衆、アフリカの一般大衆、これらを眺めるだけで、もはや説明の必要はないだろう。大災害は世界の各所で発生するが、そのたびに必ず耳にするのは、大衆の略奪であり暴動である。しかし日本の場合は明らかに違う。この認識は、今では世界の常識だといえよう。東日本大震災で行動した被害者たちの、冷静な振る舞いについては、ニューヨークタイムズ、ガーディアン、ウオールストリート・ジャーナルなど欧米の主要紙はこぞって賞賛している。
 日本のグレイゾーンのレベルを量る身近な例をもう一つ挙げてみよう。それは政党に対する支持率の推移だ。具体例として、2009年8月に行われた衆議院の選挙を示そう。その結果、自民党は予想外の大敗を喫し、民主党はこれまた望外の大量議席を獲得した。この結果について与論すなわち庶民は、政治家不在で政治屋しかいない自民党を拒否しただけだと表現した。その一方で、未知数の民主党を試してみたいと述べている。当時としては、この判断は極めて妥当と言うべきではないだろうか。これより既に数年前、総裁選に出馬した小泉純一郎氏が、内部からぶっ壊すと宣言せざるをえないほど自民党は腐っていたのだから。
 それでは、試されている民主党はどうか。その体たらくは周知の通りだ。その反映すなわち支持率の推移をみても明らかである。今回のような非常事態が発生しなければ、間違いなく解散総選挙になっていただろう。今やグレイゾーンすなわち庶民を構成する大部分は、来るべき裁断の日を待ちわびている。その日を境に、迷走を続けている日本の政治も、再び正道に戻ることが確信できる。

2011年3月10日木曜日

デフレの正体

 もう何年も続いている日本経済のデフレ傾向について、諸説が交錯しているが、その中でかなり目を引くのが藻谷浩介氏による「デフレの正体」論である。本書によるとデフレの原因は、人口構成にしめる高齢者の割合が高まったからだという。すなわち富裕層のかなりの部分を占める高齢者は、お金を貯め込んだままで、あまり消費に使ってくれない。つまりストックされたままなので、フローが活性化しないのだ。この状態を打破する一つの方法は、お金を富裕高齢者から若者へ移転させることだ。それを促進させるには、大幅な減税を保証する生前贈与の制度化が有効だと主張している。一般に高齢者に比べると、若い世代の方が消費意欲が旺盛だから、面白い提案だと思う。 ただ、これだけ冷え切った消費意欲の減退を回復させるには、それだけでは不十分だ。さらに強力なテコ入れ策はないものか。私はあると思う。それには従来型マーケティングの考え方を変えることだ。具体的にいうと、販売ターゲットを若者から高齢者に変えることだ。そして彼らにとって魅力的な商品を開発することだ。今のところこの視点で眺めてみると、あまりの貧弱さ画一さに驚かされる。高齢者といっても人それぞれである。趣味、経歴、資力、体力など、その違いは限りがない。それらのセグメントについてきめ細かく商品を開発していけば、需要は必ず喚起できる。 ユニクロは若者対象のマスプロ方式による安価モノで成功した。そのアンチテーゼとして、高齢社対象の多種少量生産による高価モノで頑張る企業がどうして出現しないのだろう。

2009年2月2日月曜日

大不況の原因は「飽和」だ

 リーマンブラザーズの破綻以来、世界の経済は混迷を極めている。その根拠は明らかでないが、100年来の不況とさえ言われる。いったい何故、こうなってしまったのか。少なからぬ諸説はあるが、一つとして十分な説得力を持つものはない。それでも共通している部分が全くないわけではない。それは節度を越える投機行為に走ったリーマンなどの個別企業のことをいうのではなく、強欲な欧米金融資本体制そのものに責任があるという認識である。たとえばFRB(米連邦準備制度理事会)の前議長グリーンスパンの言動をみても、それは明らかである。
 しかし現在われわれが直面しつつある大混迷の原因は、それだけに絞ることが出来るだろうか。真の原因は、もっと別のところにあると私は考える。結論を先にいうと、それは文明社会を覆いつくしている「物理的な飽和」である。
 たとえば自動車の場合、世界全体における販売台数の減少率は、前年に比べて20%から30%に及んでいる。このようなことは大戦後の数十年間、全く経験しなかったことだ。しかし、よく考えてみよう。そもそも毎年毎年5000万台~7000万台という生産が行われてきたこと自体が異常ではないだろうか。物としてみた場合、自動車の耐用年数は10年を超える。したがって地上に存在しうる台数は5000万台×10年として、実に5億台に達するのである。中にはスクラップになるものもあるが、大半は使用に耐えるはずだ。それにも拘わらず目先を変えて、あの手この手で売り込んできたのだ。飽和に達するのは当然というべきだろう。
同様の事態が、他の耐久消費財の殆どについて当てはまる。多くの場合、人間は矛盾や理不尽さをうすうす感じながら、しばらくは現状が続くだろうと考える。勿論そのこと自体、愚かなことである。しかし今回の場合は、不安の気配さえ感じなかった。飽和の惰性に中毒していたのである。それにストップをかけたのは、理性に基づく危機の予感ではなく、たんなる物理的な飽和感に過ぎない。物理的な飽和で動きがとれなくなり、やっと気がついたのだ。
飽和に麻痺していた人間の理性が完全に覚醒するには、おそらく数年以上を要するだろう。それまでは、まともな対策も考えられないだろう。なにしろ物理的な飽和である。心理的な要因に依拠する現在の経済学や販売手法が対応できるとは思えないからだ。飽和状態のモノは、タダ同様で手に入れることが出来る。大不況の気配を肌で感じている人々は、専らそれらの低価格品に群がるだろう。したがってここ数年は、新しい経済活動をもたらす需要が生まれ出ることはないだろう。

2009年1月1日木曜日

大不況が長期化する要因は何か

 昨年の9月、リーマン・ブラザーズが破綻したのをきっかけに、金融危機が一気に深刻化した。日経平均は10月末に7162円90銭に下落し、26年ぶりの安値に沈んだ。その後やや戻したが、結局12月30日の大納会では、8859円で終わり、昨年と比べて42%の下落となった。この株式・金融市場の不況の影響は実体経済にも及び、いまや世界経済全体が100年来の長期的な不況に陥りつつあると懸念されている。この原因のすべては、欧米とくにアメリカ金融資本の強欲な振る舞いのせいにされているが、果たしてそうだろうか。私は第一の要因は“飽和”であり、第二の要因は“格差”だと考えている。
 まず飽和について言えば、文明先進国の生産と消費の関係は、いまや極端なアンバランスになっている。例えば自動車の販売は一挙に30~40%も落ち込んだが、ある意味で当然のことである。いま世界中の自動車メーカーが2年間ないし3年間一斉に製造を停止しても、耐用年数を考えればドライバー達は全く痛痒を感じないだろう。メーカーはそれでも無駄に生産を続けていたのだ。同様のことは、衣類や、住居についてもいえる。食料だって決して不足していない。日本だけは自給率40%以下というので騒いでいるが、無駄と飽食を自制したらかなり向上する。まして休耕地などを再生させたら、どうなるだろう。更にアメリカその他の農業国の潜在生産力を考えれば、世界の潜在充足率は大幅にアップする。つまり文明国は、いまや生産力において飽和しているのだ。したがって世界経済の基調は、基本的に不況モードといえるのである。ここにきて、それが顕在化したに過ぎない。
 もう一つの不況原因は格差である。ただしその意味は、日本国内で取り沙汰されている生半可なものではない。先進国と途上国の格差である。これは換言すれば文化の違いとも言えよう。確かに途上国では、モノが不足している。しかしモノを手に入れるにはお金が必要だ。途上国にはそれが無い。したがって文明国で生産しても、それを購入することができない。このギャップを埋めるお金を稼ぐには、途上国も先進国の文明を取り入れて、近代的生産を行う必要がある。つまり文明の格差を取り除かなければならない。しかしそれは多分不可能だろう。何故なれば、文明は文化の下で育まれるからである。幸か不幸か、日本や中国の文化は西欧の文明を受け入れることができた。しかしアフリカやアラブの文化は、西欧の文明を受け入れないだろう。しかしそれができなければ、途上国には資金の循環をもたらす生産と消費のプロセスが成立しない。現在、かろうじて途上国と文明国の間に交流が見られるのは、地下資源の売買だけである。厳密に言ってこれは西欧型文明の生産・消費の循環サイクルとはいえない。私が格差という意味は、このようなギャップのことである。かくして二つの文明は融合することが無い。したがって先進国型(西欧型)の飽和は、途上国型文化圏への進出によって活路を見出すことができないのである。
 飽和による不況と、文化格差による対策の無効性。この二つの要因によって、いま先進国が直面している不況を、短期間で克服するのはかなり困難であろう。

2008年10月30日木曜日

軽薄な産業進化論

 野口悠紀雄の「モノづくり幻想が日本経済をダメにする」によると、産業は必然的に1次から2次、2次から3次へと進化するものである。したがって日本も、早急に2次産業依存から、3次産業に構造を変えるべきだという。この考え方は理論とはいえない単なる俗説に過ぎないが、どういうわけか一部の経済学者の間では無条件に信じられている。野口氏もその一人のようだ。
氏は3次産業へ転換する条件として、新たな産業技術の習得、とくに金融工学なるものを高く評価しているようだが、最近のサブプライム問題については、どのような見解をお持ちなのだろうか。また氏は、情報整理の達人としても有名である。その情報整理のノウハウ本は、ミリオンセラーにもなっている。しかし情報整理がうまくなっても、創造性が高まる保証はない。実際、経済学者としての氏の理論面での功績については、私は寡聞にして知るところがない。そこまでは望まないにしても、少なくとも金融工学なるものの、イカサマ性ぐらいは見抜けなかったのだろうか。
 産業の進化を論ずるならば、俗説にこだわらず視点を一新するべきだろう。たとえば1次産業、2次産業、3次産業それぞれは、その産業の枠内でも進化することができる。実際に、産業界ではそうなっている。農業も工業も、その産業内で技術革新を成し遂げ、生産性を大いに高めた。この活動がなければ近年の爆発的な人口増に伴う、膨大な食料の確保や生活必需品を、まかなうことはできなかっただろう。日本はその1次産業や2次産業で大きな貢献をしている。この活動のどこがまずいのか。時代の趨勢に遅れをとっているのか。
進化は、どの方向にも向かうことができる。馬鹿の一つ覚えみたいに、1次から2次、2次から3次という方向しかないと考えるのはあまりにも硬直した考え方だ。

2008年7月12日土曜日

インフレ懸念のときに消費者庁!

 福田首相は消費者庁の創設に意欲を燃やしている。その理由として、消費者の立場に立った安全と効率化を目指すという。この提言を額面どおり受け止めても、ごく当たり前のことで何の変哲もない。いまさら何を、という感じだ。それにしても、このような発想が必要かつ有効に作用し得るのは、経済がデフレ傾向にあるときではないだろうか。これから懸念すべきは、むしろインフレ対策であろう。
20世紀の後半は、先進諸国の技術革新によって、生産力すなわち世界市場への相対的な供給力は、需要を大きく上回っていた。そのため生産過剰をもたらし、慢性的な買い手市場になっていた。結果として第1次産業や第2次産業の比重は低下し、第3次産業への転換の必要性が喧伝された。
 しかしいまや状況は変わりつつある。原因の第一は中国、インドなどいわゆる中進国の台頭である。そのためこれらの国の生活水準は大いに高まり、消費物資へのニーズは爆発した。その影響は世界経済のすべてに及んでいる。とくに石油、食料、鉄鋼などの基幹物資の価格は高騰している。もはやインフレの気配は明らかである。将来も現在のような生産過剰状態が続くと考えるのは、大局的には時代錯誤というべきだろう。
この期に及びデフレベースの消費重点政策を強調するのは、将来の経済環境に関する基本認識が、あまりにもワンパターンで硬直しているように思われる。むしろ来るべき供給不足時代にふさわしい生産重視戦略や、それに基く政策こそ焦眉の課題ではないだろうか。

2007年11月4日日曜日

本が売れない

  いま出版業界は危機状態にあるという。年間5億冊も出荷しながら、その38%は返本されるらしい。その一方で種類は増えているので、一題目あたりの冊数は少なくなっている。そのため量産効果が出ないので、コストアップにもつながる。かくして多くの出版業者は赤字経営を余儀なくされている。このままでは日本の文化は衰退してしまう。何故このように本離れが進んでしまったのか。大いに気になるので、その原因を考えてみた。
  第一は、本来は主要な顧客であった若い読者の本離れが進んでいる.その一方で彼らの情報源は、もっぱらテレビに偏っている。
  第二は内容の斬新性がなくなっている。たとえば私の専門は経営管理だが、この十年来、魅力的なコンセプトや革新的なテクノロジーにお目にかかったことがない。目立つのは内容の薄いトピックスばかりだ。最近では企業買収や三角合併の解説書が多かったが、それもITがらみと同じように、今では下火になっている。原因の一つは、出版人がサラリーマン化して出版という仕事に情熱を失ったからではないだろうか。新しい著者やテーマを発掘しようという気迫がない。ちょっとでも売れ行きのよい本を見ると、すぐそれを真似て同じような企画をする。リスクを恐れるあまり、柳の下で二匹目の泥鰌をねらうだけだ。
  第三は日本の社会全体が、一種の弛緩ともいうべき精神状態になっている。たとえば中高年といわれる世代には、いわゆる燃え尽き症候群の気分が横溢している。また若者たちは一種のペシミズムに冒されている。このような時代環境のもとでは、知的好奇心が高まるはずがない。読書の原動力は知的好奇心だが、その知的好奇心は読書によっていっそう加速される。この好循環が失われてしまったのだ。

2007年9月16日日曜日

経済の本質

経済の本質は、つまるところ自然環境の破壊と収奪の効率化である。その原点が地下資源の採掘だ。本来はタダなのに、利用者が価値を認めるので値段が付けられる。たまたまその産地を保有するものが第1所得者になる。さらにその転売過程や、加工過程でも付加価値が得られる。ただしその付加価値も需要と供給で決まる架空のものだ。そのための資金の供給と需要は、別系列の付加価値形成過程から生まれる。本来はタダの自然産物に、まるで寄生植物のように付加価値を付与するプロセスが発生するからだ。まさに花見酒の経済である。この観点でいうと、モノの生産だけに価値があるという見方は間違っている。対象は何であれ、お金の支払いがあればすべてGDPのアップに貢献するのである。
こうなると近代人が営む経済活動は虚構といった方がよいかもしれない。経済学はその虚構の上に立っているに過ぎない。近代社会の経済は、自然の収奪によって成りたっている。いずれ自然が破壊尽くされたら破綻する。しかし経済学はその限界を自覚していない。それどころか、「合理的に行動する経済人」という現実離れした前提条件に立脚している。かくして経済学は虚構であり、知的な遊びに過ぎないのである。

2007年9月5日水曜日

格差社会論とパワーパラドックス

 竹中半蔵氏が財務大臣の頃、面白い意見を述べたことがある。日本には政治的弱者が、強者に転換するパワーパラドックスが存在するというのである。その結果、日本には規制や保護に守られた産業が増えすぎて、競争政策が貫けないというのである。まったくその通りで、日本には弱者が強者に変身して幅を利かしている場合が多い。その原因は、多分日本が国を挙げて偽善社会になっているである。多分その元凶は、左翼政党とそれを支持するマスコミのセンチメンタリズムであろう。

2007年9月4日火曜日

服部家の没落

 ゴードン・チャンはその著作で、WTO加盟によって中国の経済構造は大きく変化するが、それをきっかけにして崩壊すると予言した。その真偽はともかく、産業構造の変化が社会経済に及ぼす影響はかりしれない。たとえば私の故郷は、かって名木飫肥杉の産出で栄えた。その要となった服部家と川越家の繁栄は、すでに江戸時代の中期から始まっていたという。その豪邸の面影は、今でも少年時代の私の記憶に残っている。
 しかし1990年代の初頭30年ぶりに帰郷したとき、川越家の邸宅は跡形もなく荒れ果てた更地になっていた。かろうじて服部家の建物は残っていたが、既に人手に渡っていた。300年近くも続いた名家が、たった30年の間に姿を消したのである。明治維新や敗戦という激動期にも生き残った強靱な事業が、あっけなく崩壊した。この短い期間に起きた経済構造の変動が、如何に過酷なものであったかを思い知らされたのである。