先日(2011年6月6日)の毎日新聞に、驚くべき記事が掲載されていた。菅首相夫人・伸子氏の発言である。
「・・・・菅の原点はゲリラ、市民ゲリラということ。それをもっと思い出してもらわなくちゃ。昔からの支持者から、それをさんざん言われる。あと少ししかないから、何かやってくれないと面白くないよって。私もそう思う」。このような考え方の人物に、我々は国政を任せてしまったのである。あきれ果てて天を仰ぐしかないのである。
そもそも菅首相は市民運動家として政治活動をやってきた人物だから、その基本的な考え方はアナーキズムに近い。アナーキズムとは、我々が依拠する現実の社会秩序や価値観の全てを否定する思想である。したがって、自分が属する国家、歴史、倫理、家族関係などのすべてに反感をもっている。そしてつまるところは、これらの破壊こそが目的になるのである。その文脈でみると、彼が首相に就任して以来の脈絡のない非建設的な行動が、ある程度は理解できる。ただ少しずつ明らかになってきたところだが、彼はどうも本物のアナキストではないようだ。そのために破壊といっても中途半端だ。したがっていずれは、これらの支持グループにも、次第に見放されていくのではないか。
アナキストの破壊活動は、はじめはゲリラ行為によって遂行される。しかし菅氏だけでなく、彼を取り巻く民主党政権の面々は、予算編成のシキリで見せつけた稚拙さのように、いずれも中途半端だ。その意味では、まさに似非アナキストでしかない。だからゲリラ活動も半端だ。本物のアナキストであれば、破壊の徹底度が違う。しかし菅氏にはその能力も覚悟もない。ただ社会の不満分子に迎合して、現存の何かを思いつきで否定してきただけだ。その行為だけが、まさにゲリラ活動なのだ。同じゲリラやテロといっても、この点はアラブの本格的ゲリラとは違うところだ。
2011年7月20日水曜日
2011年7月17日日曜日
けりがついた従軍慰安婦問題
長年にわたり、韓国の反日与論をかき立ててきた従軍慰安婦問題がやっと決着した。今年(2011年)4月22日のことである。それも我々一般日本人にとっては、驚くような事実に基づいてのことである。
戦時中、韓国の女子挺身隊員として日本軍への売春を強制されたとして、過激な反日運動をリードしてきたのは、梁順任遺族会々長であるが、この人物がソウル市警察当局によって詐欺で摘発されたのだ。
罪状によると、この遺族会の会長と幹部は、日本政府から補償金をせしめてやると言って、3万人にのぼる会員から運動費をだまし取っていたという。本来、韓国に対する太平洋戦争時における強制動員犠牲者への補償は「太平洋戦争強制動員犠牲者に対する支援法律」によって行われる。そしてその財源は、「大韓民国と日本国間の財産および請求権に関する問題解決と経済協力に関する協定」に基づき、日本が韓国に提供したものである。この実質的な賠償金によって、「日韓の戦後補償問題が完全に解決したことを確認する」と規定している。したがって、その後の補償金を巡るゴタゴタは、全く無意味なモノなのである。それにも拘わらず、いつまでもくすぶり続けてきたのは何故か。すでに明らになっているように、この問題を商売(詐欺)にしようという人物がいたからである。かつて日韓親善サッカーの試合で、日本に謝罪と補償を要求する横断幕をスタンドに掲げた事件があったが、これも実は梁順人会長率いる遺族会の仕業であった。その目的は、自分たちの詐欺行為をカムフラージするためのお芝居だったと考えられる。
しかしこの不愉快な事実の裏には、実はもっと陰険な策謀があったのである。その首謀者はだれか。西岡力東京基督教大学教授は、長年にわたる調査の結果、その張本人を突き止めた。朝日新聞の植村隆記者である。その経緯を簡単にまとめておこう。
1991年の8月、反日活動家の青柳敦子が渡韓し、慰安婦問題で日本を糾弾するデモを組織化する活動を開始した。この運動は今も続いている。彼女がこの活動を始めたのは、在日第三国人に洗脳されたからだとされている。それはともかく、この運動は次第に力を得て、現在まで連綿とつづいているわけである。しかし、とくにこの運動に拍車がかかったきっかけは、1991年の8月10日に朝日新聞の植村記者が書いた特ダネである。この記事のポイントは、慰安婦として日本軍に強制連行された女性が、はじめて名乗り出たというのであった。引き続き12月には、植村記者は自分が書いた記事を強調するために、さらに長文のダメ押し記事を書いた。この二つの記事は、慰安婦問題は日本の軍すなわち日本の国家犯罪として、韓国人および反日日本人が日本を糾弾する最強の論拠となった。
この一連の論調に疑問を感じていた西岡教授は、苦心の末に「はじめて名乗り出たという女性」にインタビューを試みた。その結果得た事実は次の通りである。
この女性は、自分の名前は金学順であることと、その当時の職業がキーセンであったことを包み隠さず語った。すなわちキーセンとして、軍の慰安所で仕事を行ったのである。彼女の証言によると、同じ慰安所には日本人もいたという。つまり日本や韓国という国籍には関係なく、プロとして仕事を行ったのである。国による連行や強制という行為は、全くなかったのである。しかし朝日新聞・植村記者の記事は、彼女がキーセン出身であることに触れていない。つまりプロとしての行為であることを意図的に隠して、強制されたと書いているのである。この歪曲こそが、韓国人や反日日本人の活動意欲をいっそう高めた。そして1992年には宮沢首相が廬泰愚大統領に謝罪し、93年7月には河野議長、さらに95年8月には村山首相と、謝罪のオンパレードになったのである。
朝日新聞の植村隆記者が、いかなる意図のもとにこのような歪曲記事を書いたか、その真意ははかり難い。しかし少なくとも、彼の夫人が梁順任氏の娘であるという事実は、念頭に置いておかなければならない。その梁順任氏は、このブログの冒頭で述べたように今年の4月、ソウル市警察に詐欺罪で摘発された人物である。
戦時中、韓国の女子挺身隊員として日本軍への売春を強制されたとして、過激な反日運動をリードしてきたのは、梁順任遺族会々長であるが、この人物がソウル市警察当局によって詐欺で摘発されたのだ。
罪状によると、この遺族会の会長と幹部は、日本政府から補償金をせしめてやると言って、3万人にのぼる会員から運動費をだまし取っていたという。本来、韓国に対する太平洋戦争時における強制動員犠牲者への補償は「太平洋戦争強制動員犠牲者に対する支援法律」によって行われる。そしてその財源は、「大韓民国と日本国間の財産および請求権に関する問題解決と経済協力に関する協定」に基づき、日本が韓国に提供したものである。この実質的な賠償金によって、「日韓の戦後補償問題が完全に解決したことを確認する」と規定している。したがって、その後の補償金を巡るゴタゴタは、全く無意味なモノなのである。それにも拘わらず、いつまでもくすぶり続けてきたのは何故か。すでに明らになっているように、この問題を商売(詐欺)にしようという人物がいたからである。かつて日韓親善サッカーの試合で、日本に謝罪と補償を要求する横断幕をスタンドに掲げた事件があったが、これも実は梁順人会長率いる遺族会の仕業であった。その目的は、自分たちの詐欺行為をカムフラージするためのお芝居だったと考えられる。
しかしこの不愉快な事実の裏には、実はもっと陰険な策謀があったのである。その首謀者はだれか。西岡力東京基督教大学教授は、長年にわたる調査の結果、その張本人を突き止めた。朝日新聞の植村隆記者である。その経緯を簡単にまとめておこう。
1991年の8月、反日活動家の青柳敦子が渡韓し、慰安婦問題で日本を糾弾するデモを組織化する活動を開始した。この運動は今も続いている。彼女がこの活動を始めたのは、在日第三国人に洗脳されたからだとされている。それはともかく、この運動は次第に力を得て、現在まで連綿とつづいているわけである。しかし、とくにこの運動に拍車がかかったきっかけは、1991年の8月10日に朝日新聞の植村記者が書いた特ダネである。この記事のポイントは、慰安婦として日本軍に強制連行された女性が、はじめて名乗り出たというのであった。引き続き12月には、植村記者は自分が書いた記事を強調するために、さらに長文のダメ押し記事を書いた。この二つの記事は、慰安婦問題は日本の軍すなわち日本の国家犯罪として、韓国人および反日日本人が日本を糾弾する最強の論拠となった。
この一連の論調に疑問を感じていた西岡教授は、苦心の末に「はじめて名乗り出たという女性」にインタビューを試みた。その結果得た事実は次の通りである。
この女性は、自分の名前は金学順であることと、その当時の職業がキーセンであったことを包み隠さず語った。すなわちキーセンとして、軍の慰安所で仕事を行ったのである。彼女の証言によると、同じ慰安所には日本人もいたという。つまり日本や韓国という国籍には関係なく、プロとして仕事を行ったのである。国による連行や強制という行為は、全くなかったのである。しかし朝日新聞・植村記者の記事は、彼女がキーセン出身であることに触れていない。つまりプロとしての行為であることを意図的に隠して、強制されたと書いているのである。この歪曲こそが、韓国人や反日日本人の活動意欲をいっそう高めた。そして1992年には宮沢首相が廬泰愚大統領に謝罪し、93年7月には河野議長、さらに95年8月には村山首相と、謝罪のオンパレードになったのである。
朝日新聞の植村隆記者が、いかなる意図のもとにこのような歪曲記事を書いたか、その真意ははかり難い。しかし少なくとも、彼の夫人が梁順任氏の娘であるという事実は、念頭に置いておかなければならない。その梁順任氏は、このブログの冒頭で述べたように今年の4月、ソウル市警察に詐欺罪で摘発された人物である。
2011年7月15日金曜日
深層心理学への疑問
正論の8月号に「嘘つき管直人を精神分析してみれば・・・」という見出しで、心理学者の林道義氏が記事を書いている。内容は、菅首相の性癖を精神医学から見て、幼児性として特徴付け、その根拠として次の4点を挙げている。
①ウソを言って逃げる
②対決関係を避けるため重要な情報を隠す
③大言壮語し、権力を誇示する
④権力をもてあそぶ
確かにこの4点は良く当たっているので、納得できる。ただし、たったこれだけの項目で、菅首相がこれまでの政治の場面で曝してきた数々の常軌を逸した言動を説明できるだろうか。またこの4項目を総括して幼児性という概念でまとめているが、そんな底の浅いモノだろうか。基本的にもっと深くて暗い偏執的な性格が潜んでいるように思われる。
以前にも深層心理学者が当時の小泉首相を精神分析して、その診断結果を某誌に発表したことがあった。その要点は、性的な側面からの見立てであった。その論拠は、女性関係についてのスキャンダルが全く無いことに着眼したものであった。当時、私はこの心理学者のコメントを極めて不思議なものと感じた。
菅首相の異常性をたんに幼児性で捉えたり、小泉元首相の特異性をリピドーの見地で解釈するなど、深層心理学による診断は、いかにも深みが無いものに思われる。人間の深層心理はもっと深みのあるものではないだろうか。あまりにもお手軽なものに思えてならない。
①ウソを言って逃げる
②対決関係を避けるため重要な情報を隠す
③大言壮語し、権力を誇示する
④権力をもてあそぶ
確かにこの4点は良く当たっているので、納得できる。ただし、たったこれだけの項目で、菅首相がこれまでの政治の場面で曝してきた数々の常軌を逸した言動を説明できるだろうか。またこの4項目を総括して幼児性という概念でまとめているが、そんな底の浅いモノだろうか。基本的にもっと深くて暗い偏執的な性格が潜んでいるように思われる。
以前にも深層心理学者が当時の小泉首相を精神分析して、その診断結果を某誌に発表したことがあった。その要点は、性的な側面からの見立てであった。その論拠は、女性関係についてのスキャンダルが全く無いことに着眼したものであった。当時、私はこの心理学者のコメントを極めて不思議なものと感じた。
菅首相の異常性をたんに幼児性で捉えたり、小泉元首相の特異性をリピドーの見地で解釈するなど、深層心理学による診断は、いかにも深みが無いものに思われる。人間の深層心理はもっと深みのあるものではないだろうか。あまりにもお手軽なものに思えてならない。
2011年7月4日月曜日
日曜美術館の司会者
NHKの番組には、公共放送にあるまじき偏向思想に基づくものが多い。そのため私はあまり視聴しないのだが、日曜美術館だけは大いに珍重していた。ただしそれは以前のことで、最近はすっかり遠ざかっていた。理由は、司会者として姜尚中が起用されたからだ。美術にはまったく素人であるハズの政治学者が、あのビロードの声と称される不気味な低音で、見当違いの感想を述べ立てるのを聞くと、本当にいやになる。初めてこの番組に、彼が登場したときのショックは大きかった。NHKの御都合主義は、ここまで墜ちたのか。以来、私はこの番組を一度も見たことがない。最近になって、ようやくメンバーチェンジがあったらしい。大いに喜んでいる。
ところで、上では姜尚中のことを政治学者と述べたが、本当にそうなのだろうか。実のところこの人物の学問的背景と実績がさっぱり分からないのだ。「アジアから読む日本国憲法」、「アジアから日本を問う」、「日朝関係の克服」、「悩む力」、「マックスウエーバーと近代」、「ナショナリズム」などいくつかの分野で時代迎合的な題名をつけた書籍を出版しているが、いずれも深みのないものだ。一例として「ナショナリズム」を挙げてみよう。
この本の内容は、タイトルとはかなり離れていて、左翼的な立場に立った一種の日本批判論に止まっている。ナショナリズムの研究は、世界各国でも行われているのだから、本来はそれらも参考にして、もっと客観性のある論説にするべきだ。またナショナリズム運動そのものは、日本よりは韓国や中国でこそ活発に行われているのだから、それらについての実証的な論考も不可欠であろう。
その一方で、政治的なスタンスは極めて鮮明だ。たとえば北朝鮮による日本人の拉致問題に関しては、「日本が拉致問題を理由に北朝鮮を支援しないならば、国際社会から孤立する。それがいやなら経済支援をやるべきだと発言している。またある会合では次のように述べた。もし横田夫妻が横にいたら、「在日同胞は過去に日本に強制連行されたのだから、北朝鮮ばかり批判するのはおかしい」と言うつもりだと。この「在日強制連行説」は、現在では完全に事実無根であることが証明されている。それを知ってか知らないでか、何れにしろ学者とは思えない偏った言説である。
姜尚中が在日韓国人という立場と、実質的には日本人として生活している立場を、まるでコウモリのようにうまく使い分けて、ついに言論界のスターに成り上がった才覚については、ある意味では賞賛に値する。しかし情けないのは、そのような無節操や傍若無人ぶりを容認したり、持て囃す偏向マスコミの見識のなさだ。
ところで、上では姜尚中のことを政治学者と述べたが、本当にそうなのだろうか。実のところこの人物の学問的背景と実績がさっぱり分からないのだ。「アジアから読む日本国憲法」、「アジアから日本を問う」、「日朝関係の克服」、「悩む力」、「マックスウエーバーと近代」、「ナショナリズム」などいくつかの分野で時代迎合的な題名をつけた書籍を出版しているが、いずれも深みのないものだ。一例として「ナショナリズム」を挙げてみよう。
この本の内容は、タイトルとはかなり離れていて、左翼的な立場に立った一種の日本批判論に止まっている。ナショナリズムの研究は、世界各国でも行われているのだから、本来はそれらも参考にして、もっと客観性のある論説にするべきだ。またナショナリズム運動そのものは、日本よりは韓国や中国でこそ活発に行われているのだから、それらについての実証的な論考も不可欠であろう。
その一方で、政治的なスタンスは極めて鮮明だ。たとえば北朝鮮による日本人の拉致問題に関しては、「日本が拉致問題を理由に北朝鮮を支援しないならば、国際社会から孤立する。それがいやなら経済支援をやるべきだと発言している。またある会合では次のように述べた。もし横田夫妻が横にいたら、「在日同胞は過去に日本に強制連行されたのだから、北朝鮮ばかり批判するのはおかしい」と言うつもりだと。この「在日強制連行説」は、現在では完全に事実無根であることが証明されている。それを知ってか知らないでか、何れにしろ学者とは思えない偏った言説である。
姜尚中が在日韓国人という立場と、実質的には日本人として生活している立場を、まるでコウモリのようにうまく使い分けて、ついに言論界のスターに成り上がった才覚については、ある意味では賞賛に値する。しかし情けないのは、そのような無節操や傍若無人ぶりを容認したり、持て囃す偏向マスコミの見識のなさだ。
2011年7月1日金曜日
株価と菅首相
菅直人氏が首相に就任して以来、何一つ功績がない。国民にもたらしてくれたのたのは、政治の混迷と、不信と諦めだけである。歴代首相の中でもこれほどひどい人物は、鳩山氏を除いて珍しい。さすがの週刊新潮もやけっぱちになって、7月7日号には「今は辞めるな菅総理!」という記事を掲載している。その論旨が面白い。いま辞められても、まだ国民は懲りないかも知れない。もっと長引けば、いくらお人好しの国民でも、ついにはサヨク型インテリ主導の政治に音を上げるだろうというわけだ。
実は私も、菅首相にはもう少し居座ってもらいたい。その理由は、僅かだが株を持っているからだ。周知のようにこの一年あまり株価は低迷を続けている。大方の意見も、菅内閣が続く限り回復の望みはないという。私も当初は同じ考えだった。しかし、最近になって考えが変わった。それを説明したい。
いずれは菅直人氏も辞めるだろう。チャンスはその時だ。欲求不満でジリジリしていた産業界、なかでも現実的な証券界は、一斉に快哉を叫ぶだろう。つまり株価は暴騰する。その意味で菅直人氏がもたらしたマイナスエネルギーは、プラスエネルギーに反転し、投機筋にとって一種の救世主になる可能性がある。
このパラドックスは荒唐無稽な冗談ではない。実はちゃんとした事例があるのである。それは、かってスターリンが死去したときの、証券界の反応である。このニュースによって株価は暴落したが、サヨクや似非インテリはそれを冷笑した。その論旨は次のとおり。
「好戦的なアメリカの対立軸として、ソ連が頑張っている。その象徴ともいうべきスターリンがいなくなれば、アメリカはますます強引に世界制覇と侵略に向かうから、軍事面での紛糾は増大する。結果として軍需は増大し、インフレを助長する。つまり株価は上昇する」というわけだ。恥ずかしながら私もその説を信じた。しかし結果はどうだったか。株価は暴落し、長期にわたる不況のきっかけとなった。つまりサヨクインテリに蔑視されてきた俗物の代表のようなカブ屋が、直感的に正しい判断をしたことになる。すなわち真に好戦的なのは、アメリカ大統領ではなくて、スターリンだということだ。
このように株価を予測し、取引する証券人の判断は恐ろしいほど冷徹だ。その立場で考えれば、同じく「癌」であっても、「菅という癌」は使いようによっては役に立つということだ。この人物の延命策が上手くいけばいくほど、失望のために株価は低迷する。しかし辞任という結果は目に見えている。多少の時間誤差があるだけだ。そえさえ我慢できれば、株価は必ず上昇する。兜町の住人にとって、これほど分かりやすく、うまい投機チャンスはまたとないだろう。
実は私も、菅首相にはもう少し居座ってもらいたい。その理由は、僅かだが株を持っているからだ。周知のようにこの一年あまり株価は低迷を続けている。大方の意見も、菅内閣が続く限り回復の望みはないという。私も当初は同じ考えだった。しかし、最近になって考えが変わった。それを説明したい。
いずれは菅直人氏も辞めるだろう。チャンスはその時だ。欲求不満でジリジリしていた産業界、なかでも現実的な証券界は、一斉に快哉を叫ぶだろう。つまり株価は暴騰する。その意味で菅直人氏がもたらしたマイナスエネルギーは、プラスエネルギーに反転し、投機筋にとって一種の救世主になる可能性がある。
このパラドックスは荒唐無稽な冗談ではない。実はちゃんとした事例があるのである。それは、かってスターリンが死去したときの、証券界の反応である。このニュースによって株価は暴落したが、サヨクや似非インテリはそれを冷笑した。その論旨は次のとおり。
「好戦的なアメリカの対立軸として、ソ連が頑張っている。その象徴ともいうべきスターリンがいなくなれば、アメリカはますます強引に世界制覇と侵略に向かうから、軍事面での紛糾は増大する。結果として軍需は増大し、インフレを助長する。つまり株価は上昇する」というわけだ。恥ずかしながら私もその説を信じた。しかし結果はどうだったか。株価は暴落し、長期にわたる不況のきっかけとなった。つまりサヨクインテリに蔑視されてきた俗物の代表のようなカブ屋が、直感的に正しい判断をしたことになる。すなわち真に好戦的なのは、アメリカ大統領ではなくて、スターリンだということだ。
このように株価を予測し、取引する証券人の判断は恐ろしいほど冷徹だ。その立場で考えれば、同じく「癌」であっても、「菅という癌」は使いようによっては役に立つということだ。この人物の延命策が上手くいけばいくほど、失望のために株価は低迷する。しかし辞任という結果は目に見えている。多少の時間誤差があるだけだ。そえさえ我慢できれば、株価は必ず上昇する。兜町の住人にとって、これほど分かりやすく、うまい投機チャンスはまたとないだろう。
2011年6月16日木曜日
官僚機構の改革
経産省の中堅幹部、古賀茂明氏の著作「日本中枢の崩壊」が、いまベストセラーになっている。この人の名前は先般の参院予算委員会において、当時の仙谷官房長官から「よけいなことは言うな」と、恫喝されたことでよく知られている。
この本を読むと、行政の中枢にいる日本の官僚たちが、いかにモラルダウンしているかがよく分かる。言うまでもなくこの問題は、今に始まったことではない。半世紀以上も前から、ことあるごとに指摘されてきたことである。そして今や、それによる国益の損壊は臨界点に達しているのだ。ただし、ここでは少し冷静に考えてみよう。官僚機構やそれに携わるメンバーについて、すべてを否定しなければならないのだろうか。また、これに代替できるやり方はないのだろうか。
再考するについては、官僚という概念について本質的な研究を行ったマックスウェーバーの言説を想起してみたい。彼は官僚組織の本質を“階層型”として認識し、その運営の方法については“形式化”と“規則化”の二面で定義した。これら3つの特徴は、政府機関に限らない。維持と効率化をめざすあらゆる大組織が備えているものである。さらにこれらの組織体は、経験によって多くの原則を確立した。主なものを列挙すると次の4つである。
・ 権限委譲の原則
・ 階層化の原則
・ 専門化の原則
・ 文書化(標準化)の原則
行政もこれらの原則に基づいて行われるが、その実績記録の長期間にわたる蓄積は、気が遠くなるほどの膨大で特殊な知識体系となった。ただしこれらは、第三者にとって法規条文のジャングルである。このジャングルは部外者を疎外し、専門家つまり官僚の独占物となる。しかしそのジャングル構築の意思決定者は、政治家であって官僚ではない。彼等はそれを執行するだけである。したがって条文を執行する官僚の行為を批判するのは、誤りでもあるのである。この膨大な知識ジャングルに無知な民主党の某代議士が、シキリと称して予算編成に容喙し、見当違いの官僚いじめで顰蹙をかったのは、その典型といえるだろう。
官僚機構の改革がいかに困難であるかは、直近のわずかな例を見ても明らかである。だからといって、改革が不可能とか不要であると考えてはならない。沈滞気味の日本を再び蘇らせるには、改革はどうしても必要なのだ。問題は、その大事業をどのようにして進めるか、つまりトータルデザインと展開の方法論である。
たしかに一部官僚の腐敗問題も看過すべきではないが、それの浄化だけでは本質的な解決にはならない。パーキンソンの法則にもあるように、もともと人間が構築する組織には自らを堕落させる要素が、宿命的に内蔵されているのである。したがってそれの浄化作業は、永遠に避けることはできない。そのためここでは、それとは全く別の対策を提案したいのである。
官僚制度の致命的欠陥は、上で述べた官僚機構を運営する4つの原則そのものに内在している。すなわち権限委譲、階層化、専門化、文書化(標準化)を改めなければ、抜本的な改革は出来ない。しかし、そのようなやり方が果たして可能だろうか。もちろん現時点では無理だ。そうであれば、そのやり方を新たに創造するしか術はないのである。
そもそも4原則を貫く基本的な考え方とは何か。それはタテワリ思考の一語に尽きる。そしてその前提は、対応すべき社会環境に変化がないという認識である。したがって4原則を作り替えるには、前提を否定してタテワリ思考の対極にあるヨコワリ思考を、取り入れなければならない。そのようなことが可能だろうか。もちろん可能だ。産業界では既にやっていることなのだ。常に環境の変化にさらされるビジネスの世界では、間断なく創造的破壊に挑戦しなければ生き残ることができない。したがっていったん定着した組織体制も、その陳腐化が意識されるようになると、なんの執着もなくスクラップ&ビルドを断行するのである。
いまこそヨコワリ思考に基づいて、日本の官僚機構を再編成しなければならない。その試案を提案しよう。それには先ず現在の政府組織を俯瞰してみよう。それは以下の省庁で構成されている。
内閣官房、内閣法制局、人事院、内閣府、総務省、法務省、外務省、財務 省 、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省、防衛省
この体制をタテ思考というならば、ヨコ思考とはどういうものか。それは環境変化に応じるために、プロジェクトを編成することである。たとえば災害復興プロジェクト、人口減対策プロジェクト、円高是正プロジェクト、千島四島奪還プロジェクトといったようなテーマである。これらの大課題に対しては、従来型のタテワリ行政手法や組織ではとても歯が立たない。もちろん従来型の知識ジャングルのデータベースから、事例や解答を検索することもできない。
要するに新たな創造活動によってしか対応できないのだ。そうだとすれば、方策は一つしかない。柔軟で創造力のある人材を、各所からピックアップしてプロジェクトチームを編成し、それに対策立案を委ねることだ。ヨコ思考による再編成とは、このやり方をいうのである。この組織の形態を、産業界ではマトリックス型と称している。このブログのフォーマットでは、マトリックス組織を図示できないので、敢えて文章によってそのイメージを説明しよう。
まず碁盤のようにタテとヨコに直線を引く。そして横軸の最上欄に、省庁名を一つずつ列挙する。次に縦軸の最右欄に、プロジェクト名を順次記入する。次に省庁名とプロジェクト名が交差する部分に、当該プロジェクトに適した人名を記入する。
この作業は文章で書けば簡単だが、実際は大変な作業である。何しろ対象にする官僚の数は膨大な数になる。しかも、そのメンバーをプロジェクトに当てはめるについては、適任者を選択しなければならない。ただし、その選択については、プロジェクトの目的と内容も熟知していなければならない。この大仕事を進めることが出来るのは誰か。たぶん個人では不可能だろう。したがってここでもまた、プロジェクトチームの編成が必要になる。この仕事のための新しい専門家も生まれるだろう。またその専門家を抱える専門組織やビジネスも生まれるだろう。この際限のない営為を、堂々巡りと断じて諦めるのは簡単だ。しかし諦めたら、官僚機構の矛盾は永遠に解決できないことになる。
マックスウェーバーは官僚機構の本質を見事に解明したが、その改革案を提示しなかった。現代に生きる我々も、その問題点はよく分かっているが、これらを抜本的に改革するシステムを考案するには至っていない。事務処理の効率化、綱紀の粛正、天下りの抑制、エリート意識から公僕意識への転換など、さまざまな改善が試みられてきたが、いずれも官僚機構がもつ本質的な問題の解決にはならない。そのため、ここでは一つの試案としてマトリックス組織方式を提案する。この大仕事をドンキホーテに成り果てないで、チャレンジし続けるにはどうすればよいか。課題はいくつもあるが、特に重要なのは次の2点であろう。
① 機構改革プロジェクトの形成を、ルーティン化すること。
官僚機構が関与するテーマは、経済、教育、外交、治安など国民生活のあらゆる分野に及び、その内容も経験したものだけではなく、未経験のものも含まれる。当然ながら安定時代には経験案件のウエイトが高いが、近年のような激動の時代には、未経験案件のウエイトが高くなる。したがって官僚機構が長期間にわたって蓄積した膨大な知識データベースでも、対応しきれないことが多くなる。それに対応するには、新たな経験知識を形成するしかない。しかもその頻度が高いとなれば、その作業を本格化ないし日常化しなければならない。もはや定常業務の片手間では不可能になるからだ。かくして官僚機構の知識ベースのリニューアルプロジェクトは、ルーチン化されることになる。
② 組織原理を単一型でなく複合型にすること。
比喩的にいえば、組織メンバー全員に第一住所と第二住所の二つを与える。まず第一住所に在住するときは、膨大な従来型の知識ベースを基にして業務を行う。仕事の内容は、原則として従来やってきたのと同じである。一方、第二住所に移された時は、第一住所とは全く違うプロジェクト業務を行う。仕事の内容は、上で説明したとおりである。
以上のように官僚機構を階層型と機動型の組み合わせにして、組織構成員をその二つに所属させること。そしてその実践の中から、澱のようのように溜まっている積年の弊を浄化し、未解決のまま放置されてきた課題を、新しい発想や方法で解決していくこと。この営為こそが、いま多くの批判を受けて閉塞状態になっている官僚組織を、新時代に適合させる最も有効な方法と考える。
この本を読むと、行政の中枢にいる日本の官僚たちが、いかにモラルダウンしているかがよく分かる。言うまでもなくこの問題は、今に始まったことではない。半世紀以上も前から、ことあるごとに指摘されてきたことである。そして今や、それによる国益の損壊は臨界点に達しているのだ。ただし、ここでは少し冷静に考えてみよう。官僚機構やそれに携わるメンバーについて、すべてを否定しなければならないのだろうか。また、これに代替できるやり方はないのだろうか。
再考するについては、官僚という概念について本質的な研究を行ったマックスウェーバーの言説を想起してみたい。彼は官僚組織の本質を“階層型”として認識し、その運営の方法については“形式化”と“規則化”の二面で定義した。これら3つの特徴は、政府機関に限らない。維持と効率化をめざすあらゆる大組織が備えているものである。さらにこれらの組織体は、経験によって多くの原則を確立した。主なものを列挙すると次の4つである。
・ 権限委譲の原則
・ 階層化の原則
・ 専門化の原則
・ 文書化(標準化)の原則
行政もこれらの原則に基づいて行われるが、その実績記録の長期間にわたる蓄積は、気が遠くなるほどの膨大で特殊な知識体系となった。ただしこれらは、第三者にとって法規条文のジャングルである。このジャングルは部外者を疎外し、専門家つまり官僚の独占物となる。しかしそのジャングル構築の意思決定者は、政治家であって官僚ではない。彼等はそれを執行するだけである。したがって条文を執行する官僚の行為を批判するのは、誤りでもあるのである。この膨大な知識ジャングルに無知な民主党の某代議士が、シキリと称して予算編成に容喙し、見当違いの官僚いじめで顰蹙をかったのは、その典型といえるだろう。
官僚機構の改革がいかに困難であるかは、直近のわずかな例を見ても明らかである。だからといって、改革が不可能とか不要であると考えてはならない。沈滞気味の日本を再び蘇らせるには、改革はどうしても必要なのだ。問題は、その大事業をどのようにして進めるか、つまりトータルデザインと展開の方法論である。
たしかに一部官僚の腐敗問題も看過すべきではないが、それの浄化だけでは本質的な解決にはならない。パーキンソンの法則にもあるように、もともと人間が構築する組織には自らを堕落させる要素が、宿命的に内蔵されているのである。したがってそれの浄化作業は、永遠に避けることはできない。そのためここでは、それとは全く別の対策を提案したいのである。
官僚制度の致命的欠陥は、上で述べた官僚機構を運営する4つの原則そのものに内在している。すなわち権限委譲、階層化、専門化、文書化(標準化)を改めなければ、抜本的な改革は出来ない。しかし、そのようなやり方が果たして可能だろうか。もちろん現時点では無理だ。そうであれば、そのやり方を新たに創造するしか術はないのである。
そもそも4原則を貫く基本的な考え方とは何か。それはタテワリ思考の一語に尽きる。そしてその前提は、対応すべき社会環境に変化がないという認識である。したがって4原則を作り替えるには、前提を否定してタテワリ思考の対極にあるヨコワリ思考を、取り入れなければならない。そのようなことが可能だろうか。もちろん可能だ。産業界では既にやっていることなのだ。常に環境の変化にさらされるビジネスの世界では、間断なく創造的破壊に挑戦しなければ生き残ることができない。したがっていったん定着した組織体制も、その陳腐化が意識されるようになると、なんの執着もなくスクラップ&ビルドを断行するのである。
いまこそヨコワリ思考に基づいて、日本の官僚機構を再編成しなければならない。その試案を提案しよう。それには先ず現在の政府組織を俯瞰してみよう。それは以下の省庁で構成されている。
内閣官房、内閣法制局、人事院、内閣府、総務省、法務省、外務省、財務 省 、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省、防衛省
この体制をタテ思考というならば、ヨコ思考とはどういうものか。それは環境変化に応じるために、プロジェクトを編成することである。たとえば災害復興プロジェクト、人口減対策プロジェクト、円高是正プロジェクト、千島四島奪還プロジェクトといったようなテーマである。これらの大課題に対しては、従来型のタテワリ行政手法や組織ではとても歯が立たない。もちろん従来型の知識ジャングルのデータベースから、事例や解答を検索することもできない。
要するに新たな創造活動によってしか対応できないのだ。そうだとすれば、方策は一つしかない。柔軟で創造力のある人材を、各所からピックアップしてプロジェクトチームを編成し、それに対策立案を委ねることだ。ヨコ思考による再編成とは、このやり方をいうのである。この組織の形態を、産業界ではマトリックス型と称している。このブログのフォーマットでは、マトリックス組織を図示できないので、敢えて文章によってそのイメージを説明しよう。
まず碁盤のようにタテとヨコに直線を引く。そして横軸の最上欄に、省庁名を一つずつ列挙する。次に縦軸の最右欄に、プロジェクト名を順次記入する。次に省庁名とプロジェクト名が交差する部分に、当該プロジェクトに適した人名を記入する。
この作業は文章で書けば簡単だが、実際は大変な作業である。何しろ対象にする官僚の数は膨大な数になる。しかも、そのメンバーをプロジェクトに当てはめるについては、適任者を選択しなければならない。ただし、その選択については、プロジェクトの目的と内容も熟知していなければならない。この大仕事を進めることが出来るのは誰か。たぶん個人では不可能だろう。したがってここでもまた、プロジェクトチームの編成が必要になる。この仕事のための新しい専門家も生まれるだろう。またその専門家を抱える専門組織やビジネスも生まれるだろう。この際限のない営為を、堂々巡りと断じて諦めるのは簡単だ。しかし諦めたら、官僚機構の矛盾は永遠に解決できないことになる。
マックスウェーバーは官僚機構の本質を見事に解明したが、その改革案を提示しなかった。現代に生きる我々も、その問題点はよく分かっているが、これらを抜本的に改革するシステムを考案するには至っていない。事務処理の効率化、綱紀の粛正、天下りの抑制、エリート意識から公僕意識への転換など、さまざまな改善が試みられてきたが、いずれも官僚機構がもつ本質的な問題の解決にはならない。そのため、ここでは一つの試案としてマトリックス組織方式を提案する。この大仕事をドンキホーテに成り果てないで、チャレンジし続けるにはどうすればよいか。課題はいくつもあるが、特に重要なのは次の2点であろう。
① 機構改革プロジェクトの形成を、ルーティン化すること。
官僚機構が関与するテーマは、経済、教育、外交、治安など国民生活のあらゆる分野に及び、その内容も経験したものだけではなく、未経験のものも含まれる。当然ながら安定時代には経験案件のウエイトが高いが、近年のような激動の時代には、未経験案件のウエイトが高くなる。したがって官僚機構が長期間にわたって蓄積した膨大な知識データベースでも、対応しきれないことが多くなる。それに対応するには、新たな経験知識を形成するしかない。しかもその頻度が高いとなれば、その作業を本格化ないし日常化しなければならない。もはや定常業務の片手間では不可能になるからだ。かくして官僚機構の知識ベースのリニューアルプロジェクトは、ルーチン化されることになる。
② 組織原理を単一型でなく複合型にすること。
比喩的にいえば、組織メンバー全員に第一住所と第二住所の二つを与える。まず第一住所に在住するときは、膨大な従来型の知識ベースを基にして業務を行う。仕事の内容は、原則として従来やってきたのと同じである。一方、第二住所に移された時は、第一住所とは全く違うプロジェクト業務を行う。仕事の内容は、上で説明したとおりである。
以上のように官僚機構を階層型と機動型の組み合わせにして、組織構成員をその二つに所属させること。そしてその実践の中から、澱のようのように溜まっている積年の弊を浄化し、未解決のまま放置されてきた課題を、新しい発想や方法で解決していくこと。この営為こそが、いま多くの批判を受けて閉塞状態になっている官僚組織を、新時代に適合させる最も有効な方法と考える。
2011年6月3日金曜日
介護機器エンジニアリングの怠慢
日本がつくる工業製品の多くは、その性能と品質において、世界のトップレベルだと言われている。しかし中には例外もある。とくに独占的な環境のおかげで、ほとんど競争がない業界ではその傾向が強い。好例が介護機器関連業界である。その代表ともいえる介護用ベッドを挙げてみよう。
老妻が多系統萎縮症という難病に罹ったため、私は4年半ほどその介護に専念した。典型的な老老介護である。本人は24時間、ベッドに横臥したままで、一挙手一投足にも難渋していた。たとえば食事は、三食すべてベッドの上で済ませなければならないので、その度にベッドの角度を60度前後に調節する必要がある。水平姿勢のままでは、食物の嚥下がやりにくいからだ。そのため介護用ベッドは、背もたれに相当する位置を、電動方式で60度前後の角度に折り曲がるように設計されている。
排便の場合は、介助作業はさらに複雑になる。まず病人をベッドから降ろす介助を容易にするため、床面からの高さを調節しなければならない。つぎに病人を抱えて、便器に座らせる。排便が終われば、再び本人を抱えてベッドに戻す必要がある。この場合の作業手順は、ベッドから降ろす場合と逆順になるわけだ。いずれにしろ抱き上げたり、抱き降ろしたりする作業は、老齢者にとってかなりの負担になる。しかも私の場合は、その頻度が多かった。一日を通して7~8回にもなり、しかも深夜が多かった。
この過酷な介助作業をサポートするために、ベッドメーカーと雖も全く工夫しなかったわけではない。その一つはベッド高さ調節の電動化であり、もう一つは背もたれ角度調節の電動化である。しかし最も負担の大きいベッドからの抱き降ろしと、抱き上げ作業をサポートする機能の電動化は全く実現していない。それをやるには、ベッドを手前の斜め方向に捻らせなければならない。この動作を機械がやってくれたら、介護作業はどんなに楽になるだろう。一般的な日本の機械メーカーにとって、この程度のメカニズムを作ることは、大して難しいことではないだろう。しかし介護用ベッドのメーカーには、それを開発する能力がないらしい。もともとベッドメーカーは家具屋とか箱屋といわれているように、複雑な動きの機械を設計することが不得意なのだ。そのため介護用ベッドを作り始めて何年にもなるが、介護を助ける技術開発は殆ど進んでいない。目立つのはベッドを豪華に見せるためのデザインだけである。機械技術の面では、怠慢としか言いようがないのである。
このような技術の停滞が続いている主な原因を、列挙すると以下のようになる。その1は介護用ベッドの業界が一種のガラパゴス状態になっていて、機械業界からの参入がほとんど無いからだ。その理由は上で述べたように、介護用ベッドが家具と見なされているからだ。その2は、消費者つまり介護をやっている人たちが、積極的に不満を表明しないからだ。そして3つ目は、介護用品を扱う業界の特殊な事情である。介護用品の購入資金は、ほとんど介護保険で賄われ、しかもレンタル方式になっている。加えて支払い事務を代行するのは、ケアマネージャーである。その費用は、究極のところは介護者の負担になるのだが、以上3つの理由によって、それが極めて見えくい。その結果として、性能とコストについて誰も関心を払わないのである。介護用ベッドの業界は、まさに管理の真空地帯になっているのである。この状態に管理当局が気付かない限り、介護用ベッドの品質とコストは永遠に改善されないだろう。結果として老老介護の当事者は、これからも苦労を強いられることになるのである。
老妻が多系統萎縮症という難病に罹ったため、私は4年半ほどその介護に専念した。典型的な老老介護である。本人は24時間、ベッドに横臥したままで、一挙手一投足にも難渋していた。たとえば食事は、三食すべてベッドの上で済ませなければならないので、その度にベッドの角度を60度前後に調節する必要がある。水平姿勢のままでは、食物の嚥下がやりにくいからだ。そのため介護用ベッドは、背もたれに相当する位置を、電動方式で60度前後の角度に折り曲がるように設計されている。
排便の場合は、介助作業はさらに複雑になる。まず病人をベッドから降ろす介助を容易にするため、床面からの高さを調節しなければならない。つぎに病人を抱えて、便器に座らせる。排便が終われば、再び本人を抱えてベッドに戻す必要がある。この場合の作業手順は、ベッドから降ろす場合と逆順になるわけだ。いずれにしろ抱き上げたり、抱き降ろしたりする作業は、老齢者にとってかなりの負担になる。しかも私の場合は、その頻度が多かった。一日を通して7~8回にもなり、しかも深夜が多かった。
この過酷な介助作業をサポートするために、ベッドメーカーと雖も全く工夫しなかったわけではない。その一つはベッド高さ調節の電動化であり、もう一つは背もたれ角度調節の電動化である。しかし最も負担の大きいベッドからの抱き降ろしと、抱き上げ作業をサポートする機能の電動化は全く実現していない。それをやるには、ベッドを手前の斜め方向に捻らせなければならない。この動作を機械がやってくれたら、介護作業はどんなに楽になるだろう。一般的な日本の機械メーカーにとって、この程度のメカニズムを作ることは、大して難しいことではないだろう。しかし介護用ベッドのメーカーには、それを開発する能力がないらしい。もともとベッドメーカーは家具屋とか箱屋といわれているように、複雑な動きの機械を設計することが不得意なのだ。そのため介護用ベッドを作り始めて何年にもなるが、介護を助ける技術開発は殆ど進んでいない。目立つのはベッドを豪華に見せるためのデザインだけである。機械技術の面では、怠慢としか言いようがないのである。
このような技術の停滞が続いている主な原因を、列挙すると以下のようになる。その1は介護用ベッドの業界が一種のガラパゴス状態になっていて、機械業界からの参入がほとんど無いからだ。その理由は上で述べたように、介護用ベッドが家具と見なされているからだ。その2は、消費者つまり介護をやっている人たちが、積極的に不満を表明しないからだ。そして3つ目は、介護用品を扱う業界の特殊な事情である。介護用品の購入資金は、ほとんど介護保険で賄われ、しかもレンタル方式になっている。加えて支払い事務を代行するのは、ケアマネージャーである。その費用は、究極のところは介護者の負担になるのだが、以上3つの理由によって、それが極めて見えくい。その結果として、性能とコストについて誰も関心を払わないのである。介護用ベッドの業界は、まさに管理の真空地帯になっているのである。この状態に管理当局が気付かない限り、介護用ベッドの品質とコストは永遠に改善されないだろう。結果として老老介護の当事者は、これからも苦労を強いられることになるのである。
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