2009年2月2日月曜日

大不況の原因は「飽和」だ

 リーマンブラザーズの破綻以来、世界の経済は混迷を極めている。その根拠は明らかでないが、100年来の不況とさえ言われる。いったい何故、こうなってしまったのか。少なからぬ諸説はあるが、一つとして十分な説得力を持つものはない。それでも共通している部分が全くないわけではない。それは節度を越える投機行為に走ったリーマンなどの個別企業のことをいうのではなく、強欲な欧米金融資本体制そのものに責任があるという認識である。たとえばFRB(米連邦準備制度理事会)の前議長グリーンスパンの言動をみても、それは明らかである。
 しかし現在われわれが直面しつつある大混迷の原因は、それだけに絞ることが出来るだろうか。真の原因は、もっと別のところにあると私は考える。結論を先にいうと、それは文明社会を覆いつくしている「物理的な飽和」である。
 たとえば自動車の場合、世界全体における販売台数の減少率は、前年に比べて20%から30%に及んでいる。このようなことは大戦後の数十年間、全く経験しなかったことだ。しかし、よく考えてみよう。そもそも毎年毎年5000万台~7000万台という生産が行われてきたこと自体が異常ではないだろうか。物としてみた場合、自動車の耐用年数は10年を超える。したがって地上に存在しうる台数は5000万台×10年として、実に5億台に達するのである。中にはスクラップになるものもあるが、大半は使用に耐えるはずだ。それにも拘わらず目先を変えて、あの手この手で売り込んできたのだ。飽和に達するのは当然というべきだろう。
同様の事態が、他の耐久消費財の殆どについて当てはまる。多くの場合、人間は矛盾や理不尽さをうすうす感じながら、しばらくは現状が続くだろうと考える。勿論そのこと自体、愚かなことである。しかし今回の場合は、不安の気配さえ感じなかった。飽和の惰性に中毒していたのである。それにストップをかけたのは、理性に基づく危機の予感ではなく、たんなる物理的な飽和感に過ぎない。物理的な飽和で動きがとれなくなり、やっと気がついたのだ。
飽和に麻痺していた人間の理性が完全に覚醒するには、おそらく数年以上を要するだろう。それまでは、まともな対策も考えられないだろう。なにしろ物理的な飽和である。心理的な要因に依拠する現在の経済学や販売手法が対応できるとは思えないからだ。飽和状態のモノは、タダ同様で手に入れることが出来る。大不況の気配を肌で感じている人々は、専らそれらの低価格品に群がるだろう。したがってここ数年は、新しい経済活動をもたらす需要が生まれ出ることはないだろう。