2012年1月31日火曜日

賞味期限の怪

 先年から孤老になったため、台所仕事をやるようになった。とくに料理などは、ほとんど経験したことがないので戸惑うことが多い。例えば、野菜や魚などの生鮮材料に貼付されている「賞味期限」という表示である。文字通りに解釈すると、それを食べる全ての人が“おいしい”と感じることができる締め切りの日ということのようだ。
 しかしこの定義は変だと思う。何となれば、美味しいと感じる味覚は人それぞれであって、一律に決められないはずだ。賞味期限と表示された月日をもって、全ての人が画一的に、美味か否かを感じ取ることができるだろうか。
 実は、このようなナンセンスな表示を普及させたのは、大手の某流通業者だという噂がある。この業者は経営戦略として、競合他社に対し物流システムの面で、圧倒的な差をつけようと考えた。そのため物流システムの合理化を行い、産地での収穫から店頭に陳列するまでの時間を、大幅に短縮したのである。そして、そのシステムにのせた商品すべてに生産日と賞味期限を表示したのである。案の定、消費者は賞味期限が明示してある商品を選ぶようになった。この様子を見たライバル企業が、同じようなシステムを導入するようになったのは当然の成り行きである。
 このようにして賞味期限という表示は、いまでは生鮮食料品業界の基本的な慣行になっている。しかし既に述べたように、賞味期限という表示には、基本的に納得しがたいものがある。では、何も表示しなかったらどうか。これに対しては、腐敗品の横行が恐ろしいので、腐敗期限の表示はどうかという意見がある。しかし、これもまた賛成しがたい考え方である。腐敗という現象は、その商品の置き場所や温度管理など、さまざまな条件によって生じるので、一律には期日がきめられない。最も正確な方法は、購買者の手に渡る時点で、測定機器でチェックすることである。しかし、そんなことは実際には出来ないだろう。
 賞味期限や腐敗期限といった考え方が、全くなかった時代はどうやっていたか。購買者が自ら、臭いを嗅いだり眼で見たりして判断していた。それで十分だったのである。現在のように自分で判断することなく、すべてを表示に頼るのは確かに便利ではある。しかし、せっかく持っている五感の能力を使わないというのは、本当に好ましいことなのだろうか。

辻本清美が世界に投稿!

 先日、久し振りに雑誌「世界」2月号を購読した。嘗て一世を風靡した岩波書店発行のサヨク誌だが、今や廃刊の危機に直面しているらしい。目次を見て先ず驚いたのは、20年前とほとんど変わらない項目と、訴求のキャッチフレーズだ。主なものをピックアップすると次のようになっている。 ・ 民主主義の尊厳を救え
・ なぜ政治が機能しないのか
・ 政治不信のゆくえ
・ 原発再稼働は危険だ
・ 脱原発世界会議
・ 中国民間との対話
・ 教育のチカラ
・ 沖縄という窓
・ その他
 以上のほか、とくに興味をひいたのは「辻本清美民主党代議士」が投稿した“今こそ政治の質を変える時”である。野党時代の彼女が、小泉首相に向かってひっきりなしに「総理!総理!」と些細な質問を連発し、議事進行を妨げた言動については、今も多くの人の記憶に残っているはずだ。またピースボートに所属していた時代に、カンボジアでの自衛隊のPKO活動を視察して、物議を醸した発言も有名である。道路工事などの復興活動でヘトヘトの自衛官に向かって胸ポケットを指差し、「あんた!!そこにコンドーム持っているでしょう!!」。
 この奇矯な人物も、サヨクが政権を獲得して以来、副大臣など幾つもの政府高官職を歴任してきたが、その経験から“今こそ政治の質を変える時”と考えたらしいのだ。しからばその論旨たるや如何。わかりにくい文章だったので、解読するのに苦労したが、要約すると次のようになっていた。
1)なぜ期待に応えられないか
 私(辻本)が目指したのはスローガンや要求型ではなく、市民自ら対策を示して動き、解決を模索していくNPO型の市民運動でした。そして政治を行う側にも、この新しい運動の受け皿となる人材が必要だと考え、自ら国政に参加しました。しかし自民党主導の政治環境では、この考え方は受け入れられませんでした。
2)自民党政権の功罪
 長年続いた自民党の政治には、功もあり罪もあります。特に罪について言えば、①アジアとの付き合いの拙さ ②日米関係の拙さ。普天間問題はそのツケが回ったと考えるべき ③原発問題。とくに除染については手抜きをやってきた ④自民党には世襲政治家が多い
等々であります。それでも高度成長時代には何とかやってこられた。しかし今後は新しい政治理念が必要になります。そのため鳩山氏が首相に就任したのは極めて有意義でした。ただ惜しむらくは、彼には正しい理念があったのに、強かさとしぶとさが欠けていた。
3)政権維持にかける執念の欠如
 民主党の理念を実現するには政権を安定させる必要があります。しかし現実には衆参のねじれ問題があります。しかも与党内には考え方の不統一があります。沖縄の飛行場問題もその一つです。私は鳩山総理に、辺野古への移設に拘ったら失脚すると直言しました。しかし鳩山さんは考えを変えませんでした。もし政権維持に執念を持つならば、初志に反しても私の意見を聞くべきだったと思います。政権維持が本来の目的ではありませが、維持できなければ、やりたい政治が出来ません。地方に行くと未だに自民党の支持者が目立ちます。その点、よほど執念をもたないと政権維持は出来ないでしょう。
4)お任せ民主主義を越えて
 このテーマについては、菅さんに触れなければならないでしょう。菅さんと同じく私も小政党の出身なので、彼の考え方がよく分かります。そのため言いにくいことも直言しましたし、彼と仙谷さんとの関係が円滑になるよう、気配りもしました。そのほか私は、被災地で働くボランティアが働きやすくなるようにしたり、官邸の風通しがよくなるように努力しました。また菅さんの欠けている部分を出来るだけ補おうとしました。 この風通しの問題について、自民党はどうやっているか。親分子分の関係で育っていますから、意思の疎通については、打てば響くようになっています。しかし小党出身の私たちは、親分子分の関係がなく、いきなり大臣になったり、政審会長になったりします。そのため旧弊に縛られない大胆な発想が可能です。その反面、部下やサポートしてくれる人たちへの配慮に欠けることもありました。菅さんは一人でやってきた人ですから、その点が目立ったのです。
 さて問題はこれからです。鳩山さんも菅さんもいなくなって、三代目の首相になりました。私はこれからも粘り強く政治の質を高めるために努力していきたいと考えています。いままで主張してきたような、「新しい公共」や「社会的包摂」といったスローガンや要求型の闘争ではなく、実践型でやっていきたいと思います。その一方で国民が自分たちの責任を自覚して、自ら挑戦するようにリードし、そのための基盤を作るべきと考えます。

以上を読んで、皆さんはどう思いますか。標題とは全く違うことが9ページにわたってくだくだと書いてあるので、要約するのにずいぶん苦労した。そのくせ肝心なことは抜けている。例えば沖縄問題が混乱した最大の原因は、鳩山氏が「最低でも基地を沖縄の県外に移動させる」と約束したことだった。しかし、彼女はそれには全く触れていない。
私はこの辻本という人物の思考能力と文章力の貧困さに驚嘆した。これで、よくぞ政府の要職を歴任してきもたのだ。聞きたいのは、今まさに問題になっている民主党の政治そのものなのに、自民党の批判や自分の考え方だけをくどくど書いている。これこそ私が非難して止まない幼児型サヨクの実態であり、実力なのだと確信した。

2012年1月24日火曜日

日本のサヨク

結論を先に言うと、日本のサヨクは特殊だ。世界のサヨクとは全く異質のものだ。何故そうなったかは後述するとして、サヨク先進国での語源は次の通りだ。
           団体:the left又は the left wing
          個人:a leftist又は a left-winger
いずれもたんなる議会における座席の配置から生まれた呼称に過ぎなかった。それが何時しか特殊な意味を持ち始めたのは、その位置に座席をとる人たちが、特定の思想に偏っていたからである。この点までは日本の場合もよく似ている。しかし、日本のサヨクが、現在の特殊な思想傾向にいたる背景や内容は、世界のそれとは大いに異なっている。その最大の原因は、日本の“知識人”といわれる人たちに由来する。
 しからば日本の知識人には、どのような特徴があるのか。それについては2011年11月30日に、このブログ(雑想の森)の「日本人に自虐精神を植え付けたのは誰か」で触れておいたが、その内容を繰り返すと次のようになる。

 加地伸行大阪大学名誉教授によると、論語では知識人を小人と言い、教養人を君子と称するらしい。私は知識人には真正と似非の二タイプがあると考えていたが、この分け方は間違いだった。要するに知識人はすべて小人なのである。さらに言えば、文明の成果を重視するのが知識人で、文化を重んじるのが教養人ともいえよう。
 この分かりにくさを解くには、まず文化と文明の違いを理解しなければならない。文化とは、特定の民族がもつ感性と理性のすべてを駆使して創り上げてきた歴史的な成果の全てである。一方の文明は、理性によってのみ構築された成果であるから、文化のすべてをカバーすることはできない。ただし文明は、自らの成果である文字と文章およびその翻訳によって、自らの文化圏を越え、異なる文化圏にまで及ぶようになった。
 日本では幕末の門戸開放によって、欧米の文明を吸収したが、それも欧米の文字を媒体にして可能になったのである。そして欧米文明の内容を知るほどに、その異質性とレベルの高さに大きなショックを受けた。かくして欧米語に堪能になることは、異文化のうちの文明を知る大切な手段となり、欧米語の翻訳者には高い評価が与えられるようになった。そのあげく日本の知的エリートの大半は、すべて翻訳技能を通じて欧米文明の追随者となった。新しい日本型知識人の誕生である。この流れは明治から現在まで続いている。
 以上の背景のもとに現代日本の知識人は、すべて欧米の語学に堪能であり、さらには欧米文明の虜になった。いわゆる語学エリート=知識人の図式が形成されたのである。但しこの段階では、まだ教養人と知識人の区別はないし、文化と文明の区分もはっきりしていない。しかもこの図式は、敗戦によって一段と強まった。結果として日本の知識人の殆どが、欧米思想に基づく欧米文明にかぶれることになった。具体的な名前を挙げると、南原繁、丸山真男、大内兵衛、都留重人など社会科学系学者の殆どが当てはまる。社会科学は理性に基づく西欧型文明の精華であるが、同じ文脈上にある法学や商学もこれに該当する。さらには西欧文学も、この系譜すなわち西欧型理性の産物である。その意味では評論家の加藤周一や、フランス文学の泰斗とされる渡辺一夫についても同列に論じることができるだろう。したがってこれらの西欧かぶれの「一流!の知識人」が、敗戦を契機にして祖国である日本の全てについて、深刻な自国嫌悪の気分に犯されたのは無理もない。やがて祖国に対して、厳しい批判と反省の矢を放ち始めたのは、けっして偶然ではないのである。
 問題なのは、その自国嫌悪の言説を強引に注ぎ込まれた学生たちである。彼等は思想的には白紙の状態であったから、まるで吸い取り紙のように、何の抵抗もなく濃色の反日インクや自虐インク、更にはアナーキーインクを吸い込んだ。こうして戦後間もなくから団塊世代に至るまでの数十年間、自虐精神を植え付けられた反日知識人が大量に生み出されたのである。卒業後の彼等は、知的エリートとして政治家、産業人、教育者、官僚、マスコミなど社会のあらゆる分野で活動を開始した。しかしその実践の場では、いかなる著名な知識人の言説であっても、それが借りものの空論である場合は、インチキ性はたちまち露呈する。こうして祖国否定に染め上げる濃色のインクも、次第に色あせることになる。学生時代に洗脳された残滓を今なお引きずっている教え子の数は、たぶん少ないだろう。それでも絶滅したわけではない。とくに祖国否定の言説を拠り所にしている職業人には、他に生活の術がない。たとえば進歩的を自称する大新聞やその他のマスコミ関係者、特定のイデオロギーを固守する原理主義政治家、教育という職業の本分を放擲して自らの地位向上と保全だけに力を注ぐ教育者などはその好例である。
 戦後の日本人に自虐精神を植え付けた西欧文明一辺倒の一流知識人は、功なり名を遂げることが出来たが、後発の二流知識人はこの先も自らの職業的命脈が尽きるまで、自虐精神を拠り所にして祖国を誹謗し続けるのだろうか

  さて、この特殊な環境で育った日本の知識人の多くが、現在も知的職業といわれる仕事に就いたままである。列挙すると学者、評論家、高級官僚、教育者、マスコミ業、労組職員などである。もちろん彼等の中には、それぞれの職業の現場において、次第に現実に目覚める者がないわけではない。しかし、それ以外の多くは、リアリズムとは無縁の思考と行動のままである。この実態こそが、日本のサヨクが特殊扱いされる所以である。

2012年1月17日火曜日

年賀状が減った

一昨年から今年にかけて旧友からの年賀状が激減した。亡くなったり施設に入居したり理由はいろいろあるが、一番多いのは、何となく音信が途絶えるケースだ。その一方で、若干ではあるが、新しく友人リストに加わった名前もある。その結果を加減すると、かなりの減少である。最繁期に比べると、おそらく四分の一程度になっているだろう。来年あたりからは十数名程度にしたい。
 年賀状の数を減らそうと思うようになった動機の第一は、友人について考えを改めたからである。まず第一に幼友達である。この数年、私はかなり頻繁に故郷を訪れて彼等と会ってきたが、率直に言って話が弾むことはあまりなかった。それもその筈で、遊学や就職で彼の地を離れて以来、60年以上も経っているのだ。
第二は青春時代である。学校の寮などで生活を共にしたのがその始まりで、かなり濃密な友人関係ができた。また就職後の職場でも、仕事の関係で新しい知己を得ることが出来た。さらに年を経ると、社会生活のいろんな場面で、新たに親交を結ぶようになった人もいる。
 しかし年月が経ったいま振り返ってみると、諺にあるようにまさに「去る者は日々に疎し」の感が強い。それはたんに距離や会う頻度などの物理的な状況を言うのではない。むしろそれを超越した人間としての共感の度合いである。
 いまや高齢者となり、余命に限りあることを自覚するようになったからには、本音の感性と心境で付き合える友人を選びたい。それ以上のことに、なけなしのエネルギーを費やしたくない。いやなものは嫌、すきなものは好きで通したい。義理の付き合いや、惰性の付き合いをやめよう。そう決心したとき、名簿に残す友人の数は驚くほど少なくなってしまったのである。

“想定外”という言葉を恣意的に使い分けるな

1000年に一度の津波被害を想定できなかったという原子力関係者の説明に対して、原発に反対してきたマスコミや評論家などの学識経験者は、それを逃げ口上であると批判している。しかし地球上で日常的に発生する数々の出来事で、1000年に一度しか発生しない事態を誰が予知できるだろうか。例えばこの人たちが守り抜こうとしている日本の平和憲法は、どの程度まで想定外の事態を念頭に置いているのだろうか。

 最近、アメリカのシンクタンク・ランド研究所は、中国との軍事衝突の可能性が、全く無いとは言い切れないと表明している。データによると、過去3400年のうち完全に平和な時代は、250年に過ぎないらしい。つまり戦争があるのが普通であって、それがないのはむしろ例外というべきなのだ。それにも拘わらず、進歩的と称する我が国の学識有識者たちは、漫然と平和憲法が維持できると考えている。念のために、その平和憲法の核心部分を取り出すと、次のようになっている。
 “・・・平和を愛する(海外)諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・・・”。
 この文面に表れている他力本願の虫のよい依存心はさて措くとして、戦争状態が普通という国際関係の歴史を全く無視しているのは致命的である。1000年に一度の津波を想定しなかった原発技術者を非難しながら、その一方で日本が戦争に巻き込む確率はゼロという前提に立っている。しかし戦争の確率は、上述したように津波発生の確率と比べると格段に高い。それでも平和憲法擁護者がそれを無視して、戦争の勃発を想定外と考えているのは何故か。論理的な思考力の不足なのか、あるいは御都合主義なのか。

2012年1月10日火曜日

経済学に何を求めるか

 日本には経済学(・)学(・)者はいるが、経済学者はいないといわれる。この皮肉は経済学者だけでなく、日本の社会学者全体にも当てはまる。たとえばカール・マルクスやマックス・ウエーバーの文献に詳しい学者はゴマンといるが、この分野で新理論を構築した日本の学者の名は寡聞にして知らない。
 話を経済学に戻そう。ずいぶん古い話だが思い出すのは、八幡製鉄所の稲山嘉寛副社長と、東大経済学部助教授の小宮隆太郎の二人で行われた論争である。たしか昭和30年代初期のNHKの正月番組であった。当時の八幡製鉄はライバルである富士製鉄との合併や、千葉県君津での大工場建設など、規模拡大の真っ最中だった。この動きに対する小宮助教授の批判の論旨は、極めて明快であった。日本は重工業の極みともいうべき製鉄業に大投資すべきではなく、もっと軽工業に注力すべきというのである。日本には製鉄の原料である鉄鉱石が全く存在しない。したがって、製鉄業を行うにはそれを輸入しなければならないが、その輸送コストはとても大きい。アメリカのように原料を自国で産出する国に比べると、極めて不利である。日本には鉱物資源はほとんどないのだから、それを輸入して加工する事業は、製鉄に限らず全て止めるべきである。それに比べると軽工業製品は、輸出入で必要になる輸送コストのウエイトが低い。したがって日本の産業は、すべてこの分野で発展の機会を探るべきである。国際貿易の理論に基づけば、その国の立地に基づく優位性と劣位性を考慮して、産業戦略を立てるのが常道である。これに対する稲山氏の立論は、聞いていて腹立たしいほど頑迷にみえた。彼の言い分は、製鉄というものは一国の産業にとって米作のようなもので、採算とは無関係に確立維持すべきものだという。その拠り所は、愛国心であるとまで言い切った。

私は二人の議論を聞きながら、稲山という人物は何と愚鈍なのかと思った。純粋な貿易・経済の論争において愛国心を持ち出すなど、ピンぼけもはなはだしい。それに比べ、小宮助教授の論旨の明快なこと・・・。それが当時の私の感想だった。
 それから何年経ったか。おそらく10年にもならなかっただろう。日本の製鉄業の実力は、品質、数量、コストにおいて世界一の地位を得るようになった。私は明らかに間違っていた。小手先の経済理論に惑わされたのだ。経済学は、人間の意欲や意思を考慮に入れることが出来ない。しかし経済の実態は、その人間の意思や意欲や、時には錯覚や偏見さえも、大きな要因として受け入れ、躍動するのである。

2012年1月9日月曜日

新聞をどう読むか

日本の大新聞には個性がないといわれる。しかし子細に読むと、必ずしもそうではない。むしろ個性がありすぎるぐらいだ。個性がないのは記事を書く記者である。彼等は独立不偏のジャーナリストを気取っているが、実は社の方針に従う一介のサラリーマンに過ぎない。したがって何かの事件についての記事、とくに論評については、その論旨は読む前から大凡の見当がつく。記事に署名があるか否かは、気にする必要もない。欧米の新聞と大きく違うところだ。
 では新聞社そのものの個性はどういうものか。日本を代表するとされている4紙、すなわち朝日、読売、日経、毎日について見てみよう。都合の良いことに、各紙とも紙面のカテゴリー区分が同じ、すなわち国際、経済、社会、政治、文化となっているので比較しやすい。
 まず朝日について言えば、最も特徴を出しているのは「国際」欄である。その記事を読むと、この新聞の国籍を問いたくなるほどだ。事例は多々あるが、最近における竹島の領有問題に関する見解や、尖閣諸島事件に対する態度を想起するだけで十分だろう。とても日本国籍の新聞とは思えない。尤もこのスタイルの根っこは古くて深い。名ジャーナリストの誉れ高き笠信太郎以来の伝統だろうか。彼が主張していたのはコスモポリタニズムであるが、この思想こそが愛国心を否定し続ける朝日新聞の編集方針になっているのである。
 次に日経について言えば、まさに「経済」の専門紙を自負しているらしい。しかし私はそのようには評価しない。この新聞は、たんなる経済界の情報紙に過ぎない。その時々の経済トピックスを取り上げて、尤もらしく解説したり、アジッたりするだけのことだ。どこに、経済問題に関する見識があるというのだろうか。反証の事例はいくつもあるが、ここではそのうちの一つだけを挙げてみよう。つい最近まで日経は、バブル崩壊後の90年代前半以降、日本のGDP成長率が一向に好転しない状況を批判して、“失われた十年”、さらには“失われた二十年”と称して、経済政策や経済活動の不甲斐なさを揶揄してきた。その一方でアメリカの好調ぶりを囃し続けた。しかしリーマンショックによって、アメリカ経済の好調が偽りであることが明らかになると、それ以後は手の平を返すように、「失われた〇〇年」という言葉を紙面から消し去った。途上国に比べて経済成長率が低いのは、先進国すべてに共通していることであって日本固有の問題ではない。いやしくも経済専門紙であるならば、この点にこそ焦点を当てて論評するべきであろう。
 読売についていえば、いかにも大衆紙らしく政治欄や経済欄は平凡で、最も精彩を放っているのは「文化・スポーツ」欄であろう。何しろそのために球団一つを所有するほど熱を入れている。いわば自作自演の記事づくりにもなっている。ここまで徹底すると、他紙のように、社会の木鐸という気取りがないので、むしろ好感さえ持てるのである。ただし今回の読売球団の清武代表と、渡辺会長の争いはお粗末だった。渡辺氏は政界にも影響力を及ぼすボスである。しかし実像は時代のリーダーを装いながら、旧態依然たるものである。彼等マスコミが揶揄して止まない産業界の、トップマネジメントの保守性の、さらにその上をいく旧弊ぶりである。このワンマンにひれ伏すサラリーマン集団に過ぎない読売新聞は、まさに似非ジャーナリストの巣窟というべきか。
 毎日新聞については、取り上げる価値もあるまい。この十年来、やらかしてきた数々の誤報や歪曲記事などを、一々取り上げる必要もあるまい。要するに、この新聞の命脈は、すでに尽きているのである。
 産経新聞は発行部数から言って5位、つまり大手新聞の番外にすぎない。しかし堕落した大新聞と比べて、もっとも注目に値するのではないだろうか。今後における新聞の、生き残りの方向を示唆しているように思われる。
 産経の個性を最もよく表しているのは「政治欄」である。この新聞が報じる政治記事の特徴を一言でいうならば、徹底したリアリズムである。偏った思想や、現実無視の理想論にとらわれることなく、透徹した現実感覚で事件を観察し記事にしている。このスタンスは、複雑極まりない政治を対象にする場合、大へんな威力を発揮する。たとえば朝日新聞は嘗て中国の文化大革命報道において、路上には蠅が一匹もいないといった類いの、拭うことのできない虚偽報道を何年も続けた。これほど極端でなくても、当時は読売、毎日、日経などの他紙にも、似たような記事が少なくなかった。しかし産経には、そのような熱にうなされた記事は一つもなかった。その冷静さの所以は、巷間で批判される右傾思想ではなく、リアリズムに徹した編集方針にあると思われる。