先年から孤老になったため、台所仕事をやるようになった。とくに料理などは、ほとんど経験したことがないので戸惑うことが多い。例えば、野菜や魚などの生鮮材料に貼付されている「賞味期限」という表示である。文字通りに解釈すると、それを食べる全ての人が“おいしい”と感じることができる締め切りの日ということのようだ。
しかしこの定義は変だと思う。何となれば、美味しいと感じる味覚は人それぞれであって、一律に決められないはずだ。賞味期限と表示された月日をもって、全ての人が画一的に、美味か否かを感じ取ることができるだろうか。
実は、このようなナンセンスな表示を普及させたのは、大手の某流通業者だという噂がある。この業者は経営戦略として、競合他社に対し物流システムの面で、圧倒的な差をつけようと考えた。そのため物流システムの合理化を行い、産地での収穫から店頭に陳列するまでの時間を、大幅に短縮したのである。そして、そのシステムにのせた商品すべてに生産日と賞味期限を表示したのである。案の定、消費者は賞味期限が明示してある商品を選ぶようになった。この様子を見たライバル企業が、同じようなシステムを導入するようになったのは当然の成り行きである。
このようにして賞味期限という表示は、いまでは生鮮食料品業界の基本的な慣行になっている。しかし既に述べたように、賞味期限という表示には、基本的に納得しがたいものがある。では、何も表示しなかったらどうか。これに対しては、腐敗品の横行が恐ろしいので、腐敗期限の表示はどうかという意見がある。しかし、これもまた賛成しがたい考え方である。腐敗という現象は、その商品の置き場所や温度管理など、さまざまな条件によって生じるので、一律には期日がきめられない。最も正確な方法は、購買者の手に渡る時点で、測定機器でチェックすることである。しかし、そんなことは実際には出来ないだろう。
賞味期限や腐敗期限といった考え方が、全くなかった時代はどうやっていたか。購買者が自ら、臭いを嗅いだり眼で見たりして判断していた。それで十分だったのである。現在のように自分で判断することなく、すべてを表示に頼るのは確かに便利ではある。しかし、せっかく持っている五感の能力を使わないというのは、本当に好ましいことなのだろうか。
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