2011年6月16日木曜日

官僚機構の改革

 経産省の中堅幹部、古賀茂明氏の著作「日本中枢の崩壊」が、いまベストセラーになっている。この人の名前は先般の参院予算委員会において、当時の仙谷官房長官から「よけいなことは言うな」と、恫喝されたことでよく知られている。

 この本を読むと、行政の中枢にいる日本の官僚たちが、いかにモラルダウンしているかがよく分かる。言うまでもなくこの問題は、今に始まったことではない。半世紀以上も前から、ことあるごとに指摘されてきたことである。そして今や、それによる国益の損壊は臨界点に達しているのだ。ただし、ここでは少し冷静に考えてみよう。官僚機構やそれに携わるメンバーについて、すべてを否定しなければならないのだろうか。また、これに代替できるやり方はないのだろうか。
 再考するについては、官僚という概念について本質的な研究を行ったマックスウェーバーの言説を想起してみたい。彼は官僚組織の本質を“階層型”として認識し、その運営の方法については“形式化”と“規則化”の二面で定義した。これら3つの特徴は、政府機関に限らない。維持と効率化をめざすあらゆる大組織が備えているものである。さらにこれらの組織体は、経験によって多くの原則を確立した。主なものを列挙すると次の4つである。
・ 権限委譲の原則
・ 階層化の原則
・ 専門化の原則
・ 文書化(標準化)の原則

 行政もこれらの原則に基づいて行われるが、その実績記録の長期間にわたる蓄積は、気が遠くなるほどの膨大で特殊な知識体系となった。ただしこれらは、第三者にとって法規条文のジャングルである。このジャングルは部外者を疎外し、専門家つまり官僚の独占物となる。しかしそのジャングル構築の意思決定者は、政治家であって官僚ではない。彼等はそれを執行するだけである。したがって条文を執行する官僚の行為を批判するのは、誤りでもあるのである。この膨大な知識ジャングルに無知な民主党の某代議士が、シキリと称して予算編成に容喙し、見当違いの官僚いじめで顰蹙をかったのは、その典型といえるだろう。
 官僚機構の改革がいかに困難であるかは、直近のわずかな例を見ても明らかである。だからといって、改革が不可能とか不要であると考えてはならない。沈滞気味の日本を再び蘇らせるには、改革はどうしても必要なのだ。問題は、その大事業をどのようにして進めるか、つまりトータルデザインと展開の方法論である。
 たしかに一部官僚の腐敗問題も看過すべきではないが、それの浄化だけでは本質的な解決にはならない。パーキンソンの法則にもあるように、もともと人間が構築する組織には自らを堕落させる要素が、宿命的に内蔵されているのである。したがってそれの浄化作業は、永遠に避けることはできない。そのためここでは、それとは全く別の対策を提案したいのである。
 官僚制度の致命的欠陥は、上で述べた官僚機構を運営する4つの原則そのものに内在している。すなわち権限委譲、階層化、専門化、文書化(標準化)を改めなければ、抜本的な改革は出来ない。しかし、そのようなやり方が果たして可能だろうか。もちろん現時点では無理だ。そうであれば、そのやり方を新たに創造するしか術はないのである。
 そもそも4原則を貫く基本的な考え方とは何か。それはタテワリ思考の一語に尽きる。そしてその前提は、対応すべき社会環境に変化がないという認識である。したがって4原則を作り替えるには、前提を否定してタテワリ思考の対極にあるヨコワリ思考を、取り入れなければならない。そのようなことが可能だろうか。もちろん可能だ。産業界では既にやっていることなのだ。常に環境の変化にさらされるビジネスの世界では、間断なく創造的破壊に挑戦しなければ生き残ることができない。したがっていったん定着した組織体制も、その陳腐化が意識されるようになると、なんの執着もなくスクラップ&ビルドを断行するのである。
 いまこそヨコワリ思考に基づいて、日本の官僚機構を再編成しなければならない。その試案を提案しよう。それには先ず現在の政府組織を俯瞰してみよう。それは以下の省庁で構成されている。
内閣官房、内閣法制局、人事院、内閣府、総務省、法務省、外務省、財務 省 、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省、防衛省
 この体制をタテ思考というならば、ヨコ思考とはどういうものか。それは環境変化に応じるために、プロジェクトを編成することである。たとえば災害復興プロジェクト、人口減対策プロジェクト、円高是正プロジェクト、千島四島奪還プロジェクトといったようなテーマである。これらの大課題に対しては、従来型のタテワリ行政手法や組織ではとても歯が立たない。もちろん従来型の知識ジャングルのデータベースから、事例や解答を検索することもできない。
 要するに新たな創造活動によってしか対応できないのだ。そうだとすれば、方策は一つしかない。柔軟で創造力のある人材を、各所からピックアップしてプロジェクトチームを編成し、それに対策立案を委ねることだ。ヨコ思考による再編成とは、このやり方をいうのである。この組織の形態を、産業界ではマトリックス型と称している。このブログのフォーマットでは、マトリックス組織を図示できないので、敢えて文章によってそのイメージを説明しよう。
 まず碁盤のようにタテとヨコに直線を引く。そして横軸の最上欄に、省庁名を一つずつ列挙する。次に縦軸の最右欄に、プロジェクト名を順次記入する。次に省庁名とプロジェクト名が交差する部分に、当該プロジェクトに適した人名を記入する。
 この作業は文章で書けば簡単だが、実際は大変な作業である。何しろ対象にする官僚の数は膨大な数になる。しかも、そのメンバーをプロジェクトに当てはめるについては、適任者を選択しなければならない。ただし、その選択については、プロジェクトの目的と内容も熟知していなければならない。この大仕事を進めることが出来るのは誰か。たぶん個人では不可能だろう。したがってここでもまた、プロジェクトチームの編成が必要になる。この仕事のための新しい専門家も生まれるだろう。またその専門家を抱える専門組織やビジネスも生まれるだろう。この際限のない営為を、堂々巡りと断じて諦めるのは簡単だ。しかし諦めたら、官僚機構の矛盾は永遠に解決できないことになる。
 マックスウェーバーは官僚機構の本質を見事に解明したが、その改革案を提示しなかった。現代に生きる我々も、その問題点はよく分かっているが、これらを抜本的に改革するシステムを考案するには至っていない。事務処理の効率化、綱紀の粛正、天下りの抑制、エリート意識から公僕意識への転換など、さまざまな改善が試みられてきたが、いずれも官僚機構がもつ本質的な問題の解決にはならない。そのため、ここでは一つの試案としてマトリックス組織方式を提案する。この大仕事をドンキホーテに成り果てないで、チャレンジし続けるにはどうすればよいか。課題はいくつもあるが、特に重要なのは次の2点であろう。
① 機構改革プロジェクトの形成を、ルーティン化すること。
官僚機構が関与するテーマは、経済、教育、外交、治安など国民生活のあらゆる分野に及び、その内容も経験したものだけではなく、未経験のものも含まれる。当然ながら安定時代には経験案件のウエイトが高いが、近年のような激動の時代には、未経験案件のウエイトが高くなる。したがって官僚機構が長期間にわたって蓄積した膨大な知識データベースでも、対応しきれないことが多くなる。それに対応するには、新たな経験知識を形成するしかない。しかもその頻度が高いとなれば、その作業を本格化ないし日常化しなければならない。もはや定常業務の片手間では不可能になるからだ。かくして官僚機構の知識ベースのリニューアルプロジェクトは、ルーチン化されることになる。

② 組織原理を単一型でなく複合型にすること。
比喩的にいえば、組織メンバー全員に第一住所と第二住所の二つを与える。まず第一住所に在住するときは、膨大な従来型の知識ベースを基にして業務を行う。仕事の内容は、原則として従来やってきたのと同じである。一方、第二住所に移された時は、第一住所とは全く違うプロジェクト業務を行う。仕事の内容は、上で説明したとおりである。
 以上のように官僚機構を階層型と機動型の組み合わせにして、組織構成員をその二つに所属させること。そしてその実践の中から、澱のようのように溜まっている積年の弊を浄化し、未解決のまま放置されてきた課題を、新しい発想や方法で解決していくこと。この営為こそが、いま多くの批判を受けて閉塞状態になっている官僚組織を、新時代に適合させる最も有効な方法と考える。

2011年6月3日金曜日

介護機器エンジニアリングの怠慢

 日本がつくる工業製品の多くは、その性能と品質において、世界のトップレベルだと言われている。しかし中には例外もある。とくに独占的な環境のおかげで、ほとんど競争がない業界ではその傾向が強い。好例が介護機器関連業界である。その代表ともいえる介護用ベッドを挙げてみよう。
 老妻が多系統萎縮症という難病に罹ったため、私は4年半ほどその介護に専念した。典型的な老老介護である。本人は24時間、ベッドに横臥したままで、一挙手一投足にも難渋していた。たとえば食事は、三食すべてベッドの上で済ませなければならないので、その度にベッドの角度を60度前後に調節する必要がある。水平姿勢のままでは、食物の嚥下がやりにくいからだ。そのため介護用ベッドは、背もたれに相当する位置を、電動方式で60度前後の角度に折り曲がるように設計されている。
 排便の場合は、介助作業はさらに複雑になる。まず病人をベッドから降ろす介助を容易にするため、床面からの高さを調節しなければならない。つぎに病人を抱えて、便器に座らせる。排便が終われば、再び本人を抱えてベッドに戻す必要がある。この場合の作業手順は、ベッドから降ろす場合と逆順になるわけだ。いずれにしろ抱き上げたり、抱き降ろしたりする作業は、老齢者にとってかなりの負担になる。しかも私の場合は、その頻度が多かった。一日を通して7~8回にもなり、しかも深夜が多かった。
 この過酷な介助作業をサポートするために、ベッドメーカーと雖も全く工夫しなかったわけではない。その一つはベッド高さ調節の電動化であり、もう一つは背もたれ角度調節の電動化である。しかし最も負担の大きいベッドからの抱き降ろしと、抱き上げ作業をサポートする機能の電動化は全く実現していない。それをやるには、ベッドを手前の斜め方向に捻らせなければならない。この動作を機械がやってくれたら、介護作業はどんなに楽になるだろう。一般的な日本の機械メーカーにとって、この程度のメカニズムを作ることは、大して難しいことではないだろう。しかし介護用ベッドのメーカーには、それを開発する能力がないらしい。もともとベッドメーカーは家具屋とか箱屋といわれているように、複雑な動きの機械を設計することが不得意なのだ。そのため介護用ベッドを作り始めて何年にもなるが、介護を助ける技術開発は殆ど進んでいない。目立つのはベッドを豪華に見せるためのデザインだけである。機械技術の面では、怠慢としか言いようがないのである。
 このような技術の停滞が続いている主な原因を、列挙すると以下のようになる。その1は介護用ベッドの業界が一種のガラパゴス状態になっていて、機械業界からの参入がほとんど無いからだ。その理由は上で述べたように、介護用ベッドが家具と見なされているからだ。その2は、消費者つまり介護をやっている人たちが、積極的に不満を表明しないからだ。そして3つ目は、介護用品を扱う業界の特殊な事情である。介護用品の購入資金は、ほとんど介護保険で賄われ、しかもレンタル方式になっている。加えて支払い事務を代行するのは、ケアマネージャーである。その費用は、究極のところは介護者の負担になるのだが、以上3つの理由によって、それが極めて見えくい。その結果として、性能とコストについて誰も関心を払わないのである。介護用ベッドの業界は、まさに管理の真空地帯になっているのである。この状態に管理当局が気付かない限り、介護用ベッドの品質とコストは永遠に改善されないだろう。結果として老老介護の当事者は、これからも苦労を強いられることになるのである。