2008年9月23日火曜日

総選挙が近づいた

 総選挙が近いという噂だ。ここで私は投票者の一人として選挙を論じるのだから、学者や評論家のように、原則論や一般論でお茶を濁すわけにはいかない。投票日には、麻生氏が率いる自民党に一票を投じることを明言しておきたい。
 そもそも現時点における政治混乱の発端は「ねじれ国会」にある。民主党はこの異常事態に便乗して、政府与党を揺さぶってきた。そのため国会審議は停滞し、国際環境が逼迫しているこの難局に、党利党略のみが横行する惨状となった。
 この状況をもたらした第一の責任は誰にあるのか。それは他でもない。ねじれ投票をやった御当人、すなわち国民そのものである。しょせん一国の政治レベルは、国民ひとり一人の政治レベルの総和になるからだ。
 個人としての日本人の資質をみる限り、おそらく世界でも有数といえるであろう。礼儀、道徳心、技能、職業観、教養、知識など多くの面でそれを認めることができる。それにも拘わらず、政治的な意識や行動については、何故このような低い水準に止まっているのだろうか。
 理由ははっきりしている。政治は個人の生活とは全く別次元の事柄になるからだ。それゆえ他のすべての面で優れていても、政治意識や政治行動に限っては、劣っていても不思議ではないのである。そしてもう一つの理由は、多くの大陸国家の歴史と違って、侵略による国家存亡の危機に見舞われた例が極めて少ない。したがって政治のすべては、コップの中の嵐でしかなかったのだ。
 しかし理由はどうであれ、列強諸国と比べて、現在の日本国民の政治意識のレベルが低いことは事実である。結果として政府の対外戦略も一貫性を欠いている。これでは各国の利害が相反し、国際関係が混乱している環境の中で、日本の立場と位置を維持することは困難である。
 たとえば総選挙で民主党が勝てば、あの偏狭な小沢氏が首相に就任するだろう。そして、人気をとるために掲げてきたバラマキと矛盾を孕む政策を実施するだろう。その結果はどうなるか。改めていうまでもあるまい。その大混乱という代償を払わされた後、国民はやっと目覚め、退陣を求めることになるだろう。これによって国民が、政治意識の面で少しは向上するになるだろうか。
 一方、民主党が負けた場合はどうなるか。本来この党は、旧社会党を主力にするサヨクと旧自民党の一部を主力にするウヨクの、野合によって結成されたものである。そして、その水と油のような政治理念は、未だに融合されないままである。両者の共通点はただ一つ。政権の奪取のみだ。それに失敗したら、両者が一つになっている意味は全くなくなる。つまり選挙に負けることは、党の分裂に直結するだろう。
 結論として、自民党が負けても勝っても、この選挙を契機にして国民の政治意識はかなり向上するのではないだろうか。

2008年9月3日水曜日

福田首相の辞任

 福田首相が辞任を表明したというので、大いに非難されている。その内容を分析すると、第一は唐突であること、第二は山積する問題を未解決のまま放置したこと、の2点である。
 しかしその言い分は極めておかしい。そもそも世論は、福田首相の辞任を待ち望んでいたではないか。新聞のアンケート調査によると、内閣支持率は20%そこそこという低水準だった。野党はその数字を根拠にして、政権は一日も早く退陣すべきだと主張してきた。それだけではなく、問責決議まで行っている。つまり首相の早期辞任は、大方の望むところだったのである。
 また、問題を積み残したままだと言うが、これもおかしな言いがかりだ。どの時点で切っても、政治というものに問題がないことなどあり得ない。国内では、一人一人の利害関係で常に対立がある。制度には矛盾もあり、ほころびもある。仮に現時点ではないとしても、条件が変われば評価は一変する。また国際問題は、われわれの意向とは無関係に時々刻々発生し、常に不安定であって予断を許さない。つまり政治には安定という概念がないのだ。だからこそ政治が必要ともいえる。福田首相は、政治が安定するのを待って辞任せよというのは、子供のないものねだりに似た幼稚な意見だ。
 最近における政治の混乱に限って言えば、すべての原因は“ねじれ国会”にある。では、その“ねじれ”が生じた原因は何か。ほかならぬ国民による選挙である。したがって国民こそ、国政混乱の責任を負うべきなのである。政治の混乱は、国民の政治意識を写す鏡に過ぎない。
ただしここまで論及するならば、その国民を誰が動かしたかという問題にも触れなければならない。結論をいうと、それは左傾した日本のマスコミである。戦後の半世紀にわたり、彼らは政治的に純真で無知な国民を煽動し続けてきた。その成果が今やはっきりと現れてきたのである。春秋の筆法によれば、このままでは偏向マスコミが日本を滅ぼすであろう。