2007年10月27日土曜日

個人と集団

  政治や文化、社会などを論じるとき、我々は往々にして日本的とかアメリカ的という表現をする。しかし国を構成する一人一人は、極めて多様である。それにも拘わらずこのような一括り、すなわちマスとして認識できるのは何故だろうか。このマスそのものに、独自の個性が生じるからである。
  個人パワーの総和が集団パワーと等価になることもあるが、まったく異質のパワーに変化することもある。悪しき例の典型は、群集心理がひき起こす暴動だ。好ましい例としては創造性を発揮する“集団天才”を挙げることができる。このような変異現象は、いかなる原理に基づくのだろうか。一般論としては心理学のテーマだが、より深く理解するには複雑性の理論なども役に立つのではないだろうか。

2007年10月26日金曜日

製造業の復活

1990年代から2000年の初頭にかけて、日本の製造業の多くは自信を失っていた。それに反比例するように、競争力が強まった韓国や台湾の企業は意気軒昂たるものがあった。日本の製造業が凋落した原因については、当時もいろいろと論評されたが、要点を絞ると以下の3点であった。
1. 日本企業は総花的かつ横並び的な経営を行っていた。そのため製品分野は拡散し、経営資源の活用に無駄が生じた。これに対し韓国や台湾の企業は、IT関連の成長分野に焦点を絞って攻め立てた。
2. 地球規模での市場拡大に対して、適切な対応策を講じなかった。途上国が中心になる新需要の特徴は高品質より低価格であるが、それを読み違えて過剰品質ともいえる製品を作りつづけた。
3. 特許戦争で遅れをとった。日本の競争力に危機感を抱いた欧米系の企業は、強力な国の支援のもとに特許戦略を推し進めた。これに対しアジアの孤児である日本は、いろいろなハンディを背負い完敗した。
しかし日本の製造業は、その後不死鳥のように復活し2004年以降は再び元気を取り戻している。その主な理由は、上で示した弱点の第1を完全に払拭したからである。さらに第2の弱点については、厳しい反省によって再び強みに変えることができた。とくに生産財の分野では、日本の高精度で信頼性の高い製品技術は他の追随を許さない。低コスト製品で世界を席巻しつつある中国といえども、日本製の生産設備によって支えられている。
こうなると残るのは第3の問題だけになる。ただ具合のいいことに、生産財は生産量が少ないので、量産品のような国を挙げた特許戦争にはなりにくい。かくして日本の製造業は、大量製品を狙わずに多種少量生産に舵を向けたのである。この戦略は今のところ上手くいっている。もちろん大量消費財であっても、自動車や液晶テレビのように高度な技術を要する製品はますます強さを発揮している。したがって日本の製造業は、これからも高度な技術やスキルを必要とする分野においてますます強みを発揮することになるだろう。

2007年10月25日木曜日

大江健三郎と曽野綾子

  9月29日、沖縄で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に11万人が参加したという主催者発表は誇張であった。したがってそれに便乗して大々的に報道した朝日の記事もウソになる。県警の調査では4万人強に過ぎなかったらしい。しかしこの意図的な虚偽発表の影響は大きく、検定の中立性を揺るがしかねない事態になっている。
 そもそもこのような県民大会がなぜ開かれたのか。それは太平洋戦争末期に起きた慶良間諸島での、集団自決事件の真相を明らかにしようとする良識派の動きを、左翼勢力が封じようとしたからである。
  嘗てこの島で起きた住民の集団自決は、島民のリーダーが指示したものであった。しかし生き残った某関係者の意図によって、いつしか守備隊長であった赤松大尉の命令によるものとされてしまった。その記事を最初に書いたのは沖縄の新聞であったが、それをもとにして大江健三郎は「沖縄ノート」を出版した。その内容はひどかった。事実の検証を全くしないで、赤松大尉を“罪の巨魁”と決め付け、8ページにもわたって罵倒の文章を書いたのである。いかにも大江らしい浅薄な正義感によるものであった。
  曽野綾子は事件には何の関わりもなかったが、“罪の巨魁”という表現にこだわった。彼女の宗教的な信条に基づけば、愛国心に燃えた一介の青年将校を“罪の巨魁”と捉えるのは如何にも不自然であった。彼女は単純に他人の文章を信じた大江とは違って、人間洞察に秀でた本物の作家である。赤松大尉が本当に“罪の巨魁”なのかを確かめることにした。もしそうでなかったら、罪のないものを不当に貶めることになる。彼女の宗教的良心はその呵責に耐えられなかったのだ。こうして「ある神話の背景」の執筆がはじまった。結果として赤松大尉が集団自決を命令した事実は全く確認できなかった。
かくして大江健三郎の無責任な著作は一人の冤罪者をつくりあげたが、曽野綾子の誠実な著作は冤罪者の無念を晴らすことになった。

2007年10月24日水曜日

だれが国を売っているか

 いま「沈底魚」という小説が売れている。日本の大物政治家が、実は亡国のスパイであったという物語である。祖国を売るスパイは、昔から東西のあらゆる国で、暗躍してきた。その動機はイデオロギーだけでなく、脅迫、金、怨恨など実に多様である。いずれにしろ、国家機密が漏洩されることによる損害は甚大である。そのため各国は、スパイ活動に対しては容赦なく厳罰を課している。唯一の例外は戦後の日本だ。そのためスパイ天国とまでいわれてきた。極端な事例では、韓国の秘密警察が東京にやってきて、金大中を誘拐したほどだ。
 なぜこのような情けない事態になったのか。その最大の理由は、大新聞や似非インテリがアナーキズムの思想を普及させ、国民から国益という意識を失わしめたからである。もはや防諜といういう言葉は死語のようになっているし、防諜の要となる公安調査庁の役割や機能も各国に比べて見劣りがする。
 実をいうと、私はずいぶん以前から日本の防諜体制に危惧を抱いていた。北鮮、中国、韓国、ロシヤなど日本を敵視する国に対して、政治家やマスコミ人の言動が、あまりにも国益を損なうものであり過ぎたからだ。彼らの中には、売国奴が潜んでいるに違いない。最近ではこの仮説に基づいて、私はその言動をトレースすることにしている。それにしても大衆の直感力は大したものだ。「沈低魚」の売れ行きがよいということは、たぶん国益を損なう政治家の存在を信じているからであろう。

2007年10月21日日曜日

政治は空気枕だ

 民主主義政治の難しさを説明するにはどうしたらよいだろうか。空気枕にたとえると分かりやすいと思う。政治的に解決を求められる課題や不満は限りなく多い。たとえばその一つが、政治という空気枕に強い圧力を加える。当然ながらその部分は改善されるので、表面の見かけは凹むことになる。しかしその凹んだ分は、必ずほかの部分を膨らます。なにしろ空気は外に出られないのだから、枕の中を移動するだけなのだ。要するに部分的な問題や不満を解決しても、その解決そのものが新たな問題や不満を生み出すことになる。これは民主主義政治、ひいては文明社会の宿命でありダイナミズムともいえるのである。
 独裁政治ではこのような堂堂巡りはあり得ない。なにしろ独裁政治という空気枕には、不満の圧力が全くないからだ。仮にそれがあれば、圧力を行使する前に抹殺される。かくして政治は至高の権力になるのである。共産主義国家が立法、行政、司法という三権分立を否定し、ひたすら特権階級の安泰を図ろうとするのはそのためである。

漢詩は演歌である

  日本はユーラシア大陸の東の果てから、さらに海を隔てた僻地に位置する島国である。そのため古来から文明の後進国として、近隣諸国とくに中国から多くを学んできた。この動きは遣唐使の時代から、明治の初期にいたるまで連綿として続いた。日本で漢詩がもてはやされたのもその一環である。当時、漢詩をたしなむことは知識人の資格条件でもあった。恰も大正以後において、英語を理解することが新しい知識人の資格条件のように誤解されたのとよく似ている。
  しかし漢詩そのものに、それほど価値があるのだろうか。私はほんの一部しか読んでいないが、率直にいってその内容が深遠なものとは思えない。思想性や哲学を感じることができないのだ。あえて分類すれば、花鳥風月を描写したものと、別離の哀しさ、そして世に容れられない拗ね者の恨み節がほとんどである。まあいえば気取った演歌のようなものではないか。 
  もちろん漢詩には独特の魅力がある。私はそれを、2つ挙げることができる。第1は視覚的な効果である。無味乾燥なローマ字ではなくて、漢字すなわち象形文字の配列は、それ自体が一種の絵といえるだろう。第2は、音楽的な効果である。漢詩を口ずさむと、心地よいリズムに乗ることができる。この2つと上で述べた演歌的な感情を組み合わせて、漢詩は極めてポピュラーな人気を得ることができたのであろう。その意味で漢詩は、当時のハイカラミーハー族にとっては、一種のエンターテインメントになっていたのである。

2007年10月19日金曜日

大衆の暗黙知

  暗黙知についてマイケル・ポラニーの原作を読むと、我々はかなり誤解しているように思う。彼によると暗黙知で最も大事なのは統合の知である。すなわち無数の情報断片を知覚している思考主体は、その断片の全てを統合して特定の概念を形成する。情報断片の相互関係を、言葉で説明することはできない。しかし断片と断片の間には明らかに関係がある。関係があるにも拘わらず、説明できないから暗黙知なのである。
  大衆を一個の思考単位とみれば、その集積体にも暗黙知が存在すると思う。例えばメディアのさまざまな批判やノイズにも拘わらず、大衆の小泉内閣支持率は圧倒的に高かった。これは大衆という集団化された思考主体が、暗黙知によって独自に判断していたと思われる。同様の事例は、嘗てスターリンの死去によって株式が暴落したときにも見ることができた。

2007年10月18日木曜日

中国の対日超限戦

  中国の戦略観は、戦略後進国の日本では想像もできないほど過酷である。それを象徴するのが、超限戦の理論だろう。
  中国は対日戦略において、この理論を徹底的に適用しているように思われる。戦略とは敵に勝利するための方策であり、勝利とは自国の意志を敵対国に強制できることである。そのための究極の行為が戦争である。しかし超限戦の理論では、戦略のための手段を軍事に限定しないで際限なく拡大している。勝つためには何一つ制限を設けない。ルールや倫理さえ無視される。9.11テロも、この思想では当然視されるであろう。
  実は、日本はこの思想の最大の被害国である。近年において中国が日本に仕掛けてきた理不尽な行為は、すべてその戦略思想に基づいて実行されてきたと考えられる。歴史教科書問題、靖国参拝問題、歴史認識と謝罪の強要、反日デモなどはすべてこの文脈上にある。それどころか、密航者による麻薬の持ち込みや、凶悪犯罪もその一環かもしれない。その目的が日本の社会を混乱させ、崩壊させることだとしたら合点がいくのである。とにかく勝つためには手段を選ばない。これが現在における中国の戦略思想であり、超限戦の理論である。

日本も超限戦を仕掛けるべきだ

  「超限戦」とは、中国の空軍大佐が提唱した戦略論である。超限の意味は、限界や枠組みを超えるという意味だ。すなわち従来の戦争の定義は、武器や兵隊による軍事だけを意味していたが、経済、文化、教育、芸術など国力の全てを動員して戦うことである。
  この理論のかなりの部分は、すでに各国で実践されている。たとえばクリントンは、台頭する日本の経済力に脅威を感じ、経済戦争という認識で対応していた。しかし日本の政治家は戦略音痴だから、そんなことを考えたこともないだろう。
  この理論では、国際関係の全てを国益を守るための戦争と考える。したがって超限戦の考えに立てば、日本も戦うことができるのである。これは軍事力を持たない日本にとって福音といえるだろう。敗戦以来ずっと敗北主義に冒されてきたが、そのコンプレックスを克服する拠り所になるかもしれない。

2007年10月16日火曜日

精神病理学の盲点

  ある意味で世界は狂信者によって動かされている。ヒトラー、スターリン、毛沢東はその好例である。狂信者にもピンからキリまである。ピンの例としては、噂される秘密結社:300人委員会を挙げることができる。またキリの例としては、自虐史観に凝り固まった大新聞の論説屋さんを挙げることができる。オウム真理教やカクマル派、赤軍派などの確信犯はその中間というべきか。
  多くの場合、これらの狂信者は知能指数が高い。仲には天才もいる。彼らの日常生活は、マナーを守り穏健そのものである。優等生といってもおかしくない。したがって現在の精神病理学の所見では、彼等を異常とみることはできない。しかし平凡な人間の目で見ると、どうみても彼等の信念と行動は常軌を逸している。これを異常として認識できないのは、精神病理学の限界というべきではないだろうか。どのようなセオリーに基づけば、このような狂信者の異常性を指摘できるだろうか。

2007年10月15日月曜日

理解されはじめた日本の文化

  四十数年前、フランスを訪問した池田首相は、ドゴール大統領からトランジスタのセールスマンと皮肉られた。彼に限らず欧米人の黄色人種への偏見は、歴史的にも根深いものがある。とくに日本人については、その傾向が甚だしかった。たぶん風采が貧弱なわりには優秀で、脅威を感じざるをえなかったからだろう。
  日本人の風采については、フランスの小説家ピエール・ロティは、まるで猿のようだと罵倒した。その印象をさらに拡大し、ついには日本を「猿」が住む島と表現している。漫画家のジョルジュ・ピゴーにいたってはもっとひどい。背が低く出歯で近眼という醜い日本人のイメージを、欧米人に定着させたのは彼の功績?といっていいだろう。このような嫌悪感と脅威感、つまり日本文化に対する無理解は、戦前から近年にいたるまで続いた。したがってトルーマンによる残酷な原爆投下の決定やドゴールの非礼は、日本人を「猿」とみなす欧米人の本音を、露骨に表したものといえるだろう。
  しかしグローバル化のおかげで、状況は一変した。日本文化に根ざした工業製品、芸術、漫画、ゲームソフト、さらには料理にいたるまで、欧米だけでなく世界中で高く評価されるようになった。グローバル化をプロモーとしたアメリカの魂胆はわからない。しかし結果として、日本の文化がこのように正当に評価されるようになったのは、とても喜ばしいことではないか。

2007年10月14日日曜日

価値観喪失の恐ろしさ

  食品や玩具などの有毒物質入り商品によって、中国の信用は地に落ちたが、このような退廃の原因は何だろう。プリンストン大学のペリー・リンク教授は、中国共産党支配によってもたらされた「価値観の喪失」によるものだという。すなわち中国には共産党が宣伝する真実と、大衆の生活から生まれる真実の二つがあるが、この二つの真実を併存させる矛盾が、価値観の喪失と偽善をもたらした。偽善の実例として、今なお天安門には毛沢東の巨大な肖像画を掲げているが、現実には資本主義の拡散を許している。政治的に従順でさえあれば、経済では何をやってもよいという風潮が生まれてしまったのだ。
  価値観の喪失や混乱は、差し当たっての日常生活には影響がないように見える。しかしその弊害は癌のように、長い年月をかけて健康な体を蝕む。中国では1956年から気狂いじみた反右翼闘争に大衆を駆り立てた。しかし毛沢東の死後は一変して、大衆に経済活動の自由を享受させている。かくして民衆の価値観は拠り所を失い、金儲けのためなら何をやっても良いという恐るべき事態に陥ったのだ。
  価値観の喪失がもたらす退廃の、格好の見本は日本である。戦後から現在にいたる戦勝国の政策と、それに便乗した左翼学者やマスコミなどによって、伝統的な価値観はことごとく破壊された。代わって提唱されたのはコスモポリタニズムであり、国連主義である。そのため朝日新聞のごときは、国益という用語さえタブーにしていた。しかし近隣諸国の露骨な国家エゴにさらされるにいたり、惰眠を貪っていた日本にも、どうやら覚醒の気配が窺えるようになった。今こそ祖国が培ってきた価値観を見直し、それに基づいた進路を確立しなければならない。

2007年10月12日金曜日

ベッドサイドの雑談

 家内が難病に罹った。1年ほど前から何となく様子がおかしく、時々体の不調を訴えるようになっていた。昨年の暮れ、某大学病院に検査入院したところ、多系統萎縮症と診断された。以来、病状は確実に進行しているが、なす術もなく見守るしかない。難病というのは、治療ができない病のことなのだ。
 家内の一日は、ほとんど寝たきりといってもよいだろう。私は退屈さを紛らせてやりたいので、時々ベッド脇に腰掛けて雑談の相手になっている。とりとめもない話題が多いのだが、今日はかなりシリアスなことを話し合った。
 「私たちはやがて金婚式を迎えようとしていますが、この病気に罹ることが分かっていたとしても、あなたはプロポーズしてくれましたか」。
 「当たり前だよ。下らないことを聞くなよ」。
 「では、10年後に罹病することが分かっていたら?」。
 「もちろん同じだよ」。
「じゃあ、半年後にこうなることが分かっていても?」。
「答えは同じ・・・」。
「明日だったら?」。
「・・・・・・」。

2007年10月4日木曜日

忍耐は才能だ

  昨日、タクシーの運転手から面白い話を聞いた。彼は子供のころから絵が好きで、我流で描いてきたが、5年前からある大きな会派に属するようになったという。その後わずか3年で大賞を獲得し、いまでは号7万円で売れるほどになっているらしい。それでもタクシー稼業を続けている理由は、絵では食えないからだ。彼の説明によると、美術大学を出ても絵筆一本で生活できる人は数パーセント以下という。
  美大にいく人の殆ど全てが、生まれつき絵が上手い。私などは想像もつかないような特別の感覚と才能に恵まれている。その並外れた才能があっても食えないというのである。一方、統計によると、平凡なサラリーマンでも平均年収は500万ほどになるという。
  運転手にその話をすると、彼は笑って答えた。「平凡なサラリーマンと言うのは間違いです。彼らは大変な才能を元手にして生活しています」。私は膝を乗り出して質問した。「それは何ですか」。
  鸚鵡返しに返事が返ってきた。「忍耐です。忍耐は才能です。多分それは、画才などは比べ物にならないほど市場価値のある才能でしょう」。