2007年10月25日木曜日

大江健三郎と曽野綾子

  9月29日、沖縄で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に11万人が参加したという主催者発表は誇張であった。したがってそれに便乗して大々的に報道した朝日の記事もウソになる。県警の調査では4万人強に過ぎなかったらしい。しかしこの意図的な虚偽発表の影響は大きく、検定の中立性を揺るがしかねない事態になっている。
 そもそもこのような県民大会がなぜ開かれたのか。それは太平洋戦争末期に起きた慶良間諸島での、集団自決事件の真相を明らかにしようとする良識派の動きを、左翼勢力が封じようとしたからである。
  嘗てこの島で起きた住民の集団自決は、島民のリーダーが指示したものであった。しかし生き残った某関係者の意図によって、いつしか守備隊長であった赤松大尉の命令によるものとされてしまった。その記事を最初に書いたのは沖縄の新聞であったが、それをもとにして大江健三郎は「沖縄ノート」を出版した。その内容はひどかった。事実の検証を全くしないで、赤松大尉を“罪の巨魁”と決め付け、8ページにもわたって罵倒の文章を書いたのである。いかにも大江らしい浅薄な正義感によるものであった。
  曽野綾子は事件には何の関わりもなかったが、“罪の巨魁”という表現にこだわった。彼女の宗教的な信条に基づけば、愛国心に燃えた一介の青年将校を“罪の巨魁”と捉えるのは如何にも不自然であった。彼女は単純に他人の文章を信じた大江とは違って、人間洞察に秀でた本物の作家である。赤松大尉が本当に“罪の巨魁”なのかを確かめることにした。もしそうでなかったら、罪のないものを不当に貶めることになる。彼女の宗教的良心はその呵責に耐えられなかったのだ。こうして「ある神話の背景」の執筆がはじまった。結果として赤松大尉が集団自決を命令した事実は全く確認できなかった。
かくして大江健三郎の無責任な著作は一人の冤罪者をつくりあげたが、曽野綾子の誠実な著作は冤罪者の無念を晴らすことになった。

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