2007年10月27日土曜日

個人と集団

  政治や文化、社会などを論じるとき、我々は往々にして日本的とかアメリカ的という表現をする。しかし国を構成する一人一人は、極めて多様である。それにも拘わらずこのような一括り、すなわちマスとして認識できるのは何故だろうか。このマスそのものに、独自の個性が生じるからである。
  個人パワーの総和が集団パワーと等価になることもあるが、まったく異質のパワーに変化することもある。悪しき例の典型は、群集心理がひき起こす暴動だ。好ましい例としては創造性を発揮する“集団天才”を挙げることができる。このような変異現象は、いかなる原理に基づくのだろうか。一般論としては心理学のテーマだが、より深く理解するには複雑性の理論なども役に立つのではないだろうか。

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