2012年2月26日日曜日

素人が気にする経済問題(5)

6 世界の富裕層をターゲットにする


 今まで先進国と後進国という分け方で論じてきたが、全く別の分け方もある。所得や所有財産の程度による分け方、即ち富裕層と貧困層という分け方である。この区分は先進国と後進国の何れにも適用できる。たとえば中国の場合は、1%の富裕層が国民所得の40.4%を占有している。したがって贅沢市場戦略では、この国からも1300万人を、極上の顧客として選べることになる。中国の他にも、インド、アラブ諸国、豪州、中南米など富裕層は世界中に分布している。前に先進5ケ国の人口は6,6億と述べたが、このような後進国の富裕層をターゲットに加えると、日本が狙うマーケットの規模は更に拡大する。この市場では、粗悪で安価なコモディティ製品は全く問題にならないだろう。
 富裕層の購買意欲を刺激する商品とはどういうものか。最近のことだが、私はそれを考えるヒントになる格好の書籍を見つけた。書名は「琥珀の眼の兎」。その内容は、大富豪のユダヤ系一家で代々受け継がれてきた「根付け」にまつわる物語である。周知のように、根付けは日本人が昔から愛用していたものだ。すなわち煙草入れ、矢立て、印籠、小型の皮製鞄などを、紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具のことである。今では製作国の日本以上に、国外で骨董収集品として高く評価されている。
 前に日本の伝統産品が、先進国の好事家から持て囃されている事情を述べたが、根付けもその一つの例に過ぎない。この動向にいっそう拍車を掛けるべく、関係者たちは積極的に対策を講じはじめた。たとえば伝統的工芸品産業振興協会では、この分野で活動しているメンバーに、日本伝統工芸士として登録することを推奨している。現在では正会員数は4400名を越えているが、高度な技能をもつ職人の数はもっと多いはずだ。この人達は資格や肩書きとは無関係に、人知れずひたすら自己の持つ技能の研鑽に努めている。潜在化しているその数を数え上げれば、おそらく数万人に上るのではないだろうか。それだけではない。頂点にいる職人の技を支える補助的な仕事や、関連する業務まで数えたら、その周辺のビジネスはいっそう拡大するだろう。
 このほか既に定評のある高級カメラや、パソコンなどの情報機器、ファインケミカル技術を駆使した化粧品など、最先端技術を駆使したハイテク製品については、今後も引き続き高級市場で人気をほしいままにするだろう。イタリアから来た私の知人は、秋葉原に毎週出掛けるそうだ。この街全体が先端技術製品や部品の発信基地なので、眼が離せないからだという。

7 生産財と消費財の二分野でユニークさを発揮する

 世界でも定評のあるのが日本の生産財技術と製品であるが、これに肩を並べるのがドイツである。ドイツはマイスターの国、日本は匠の国。職人の技能を大切にする点ではよく似ている。もともとドイツは日本にとって、工作機械や製鋼設備、車両などいわゆる重厚長大製品をつくる技術のお師匠さんであった。それが何時しか、現在のような拮抗する関係になったのである。そうなり得た理由は幾つかあるが、特記すべきは日本のバランスのよいモノヅクリ環境とシステムであろう。
 具体的にいうと、品質(Q)、コスト(C)、納期(D)の3大要件が揃っているのである。まず品質については、日独それぞれ得意分野と不得意分野があって、一概に優劣はつけがたい。コストはどうか。これも品質と同じ理由で、差をつけるのは難しい。とくに最近のように為替レートが大きく変わる状況下では、一概に長短を論じることはできない。
 しかし納期の正確さについては、明らかに日本が勝っている。その理由は2つある。その1は、製品をつくる職場の気質である。私は嘗てドイツの工場を訪れたとき、作業者の真摯な作業態度に感銘を受けが、そのあとのミーティングで、現場の責任者に質問した。「納期を守るために、どんな対策を講じていますか」。彼はよどみなく答えた。「完成したときが納期です」。予想外の返事であった。日本では、製品を期日どうりに届けるのが至上命令になっているからだ。その2は、納期どおり作るためのシステムが完備しているからである。専門的なるので詳細は省くが、その名称を「製番管理システム」という。このようなシステムが確立していないドイツやユーローでは、生産財の開発製造ではしばしば問題が発生する。たとえば独仏で共同開発した巨大航空機(エアバス)は納品が3年も遅れたため、ANAをはじめ世界の航空会社に大きな迷惑を掛けた。
 いずれにしろドイツと日本は、ローテクとか重厚長大製品といわれる生産財の生産にかけては、今後も世界のトップを走り続けるだろう。しかし高級消費財の生産については、日本は明らかに優位に立っている。その実態は前項の「世界の富裕層をターゲットにする」で述べた通りである。つまり日本は、生産財と消費財の二分野でユニークさを発揮することができるのである。

2012年2月24日金曜日

素人が気にする経済問題(4)

4 輸出立国でなく、内需立国をめざす

 日本のGDPに占める貿易依存の割合は、以下のデータが示すようにかなり低く、わずか0.7%に過ぎない。
              GDP(A)      輸出額        輸入額      純輸出     純輸出/A
米      14,270.000      994,700    1.445.000   -450.300    -3.2%
独        3.235.000   1.187.000       931.300   255.700      7.9%
仏        2.635,000      456.800       532.200    -75.400     -2.9%
英        2.198.000      351.300       473.600  -122.300     -5.6%
日        5.049.000      526.300       490.600      35.700      0.7%
                (2009年度 単位$1,000.000)
 したがって、本来は円高や円安に一喜一憂する必要はないのである。その意味で現在の円高は、日本が持っている経済力の強さが、正当に評価されているとも言えるのである。たとえば失業率が5%程度に止まっているのは、その証左であろう。この値は他の先進4カ国にとって、まさに垂涎の的といえよう。
 これから先も、日本は輸出の増加にそれほど努力する必要はない。上では日本文化の精髄を輸出せよと述べたが、それは貿易収支の向上を図るものではなくて、別の目的のためである。つまり文化国家としての存在感と、優位性を高めるのに意義があるからである。日本にとっての貿易収支は、経済的な意味での死活問題ではない。文化先進国ないし文化大国としての存在感を高めることを第一義にすべきである。そのためにも、高度な内需の振興にこそ力を入れるべきであろう。

5 保有資源の再確認と再定義を行う
 従来の日本は、鉱物資源(石油を含む)に恵まれない国とされてきた。さらに近年は、食糧自給率の低さも問題になっていた。しかし最近になって、幾つかの好ましい条件が整い、むしろ恵まれた国になりつつある。
 たとえば石油に代わるエネルギー資源として、最近クローズアップされているのがメタンハイドレートである。この物質はメタンと氷が高圧下で結合したもので、日本領の深海域に大量に埋蔵されている。従来はこれを放置していたが、最近の深海掘削技術の進歩によって、採取が可能になった。既に試掘も開始されている。また東京大学大学院教授の湯原哲夫教授によると、中国が戦略資源として出し惜しみしているレアアースやレアメタルは、日本の排他的水域に豊かにあることが分かっている。これも最近に於ける深海資源の採掘技術の進歩により、利用できる可能性が高まった。
 食料の場合はどうか。農水省が示したデータ(カロリーベース総合食料自給率)によると、日本の食料自給率は41%で、先進他国に比べると危機的な水準だという。この危機的という刺激的な惹句は、マスコミがつけ加えたものだ。しかし嘗ての戦争のように、貿易が完全に途絶え、食料輸入ができなくなることはあり得ない。仮にそうなっても、対策はいくらでもある。そのヒントとして、自給率計算に用いられている次の数式を分析してみよう。
    カロリーベース総合食料自給率=国産供給カロリー÷全供給カロリー

 はじめに知っておきたいのは、カロリーベース総合食料自給率という概念は、農水省が勝手に捻り出したものであって、世界的に認知されているわけではない。そのため口さがない連中からは、農水省がその存在理由を誇示するために、意図的にでっち上げた概念だと言われている。
 問題の第一は、国産供給カロリーの内容である。この数値は政策によって大きく変えることができる。現在は飽食の時代なので、生産者の殆どが、高級野菜や高級魚など少量生産型を志向している。もし緊急事態になれば、あの大戦時のように芋や麦などを大量生産すればよい。また魚介類も高級魚にこだわらず、雑魚の大量漁獲に励めばよい。要するに食糧事情の緊急度に合わせて、カロリー量を増やすためのプロダクトミックスを計画すればよいのである。現在は、その必要がないというだけのことだ。
 次の問題は、全供給カロリーの内容である。簡単にいえば、上記の国産供給カロリーに輸入分を加えたものだ。これも又、緊急度や必要度に合わせて自由に操作できる。緊急時には、高カロリー食品の輸入にストップをかければよい。
 資源の定義をさらに拡大すれば、日本は世界でも最も恵まれた国の一つと言えるだろう。それをもたらすのが、地理的な条件に基づく自然環境である。たとえば、世界有数の降雨量に由来する上質の水がその一つだ。水こそ、ユーラシア大陸に立地する多くの大国が、その強大さにも拘わらず、アキレス腱として悩んでいる不足資源である。
  このほか、大量の降雨量に由来する豊かな森林や、太平洋とオホーツク海および日本海の三つに囲まれた環境は、世界に類のないほど多種多彩な生物を育んだ。因みに海の生物は、種類が世界一で約34000にのぼるという。また陸地の植物の種類は6000以上になり、これまた世界一である。先に述べた鉱物資源だけでなく、水資源、生物資源など、日本は資源大国というべきであろう。

2012年2月23日木曜日

素人が気にする経済問題(3)

前のブログでは、後進国の追い上げによって、先進五カ国が立ち往生している状況を説明した。この閉塞感をどうやって打ち破るか。たぶん現在の経済学者からヒントを得ることはできないだろう。彼等はひたすら過去のデータに基づく解析と解釈と予測だけをやっているのであって、今後の経済のあり方をデザインすることなど、思いもよらないだろう。いったん身につけた経済理論や思い込みを、簡単には捨て去ることができないからだ。むしろ門外漢の方が、自然体で新しい時代の到来と、それへの対応を考えることができる。たとえばいま、五木寛之の新著「下山の思想」が売れているが、これなどはまさに時代の流れを把握した上での、処世のためのヒントになるだろう。これを経済問題に適用したらどうなるか。
 個体生態学の成長モデルとして、ロジスティックス曲線が知られているが、経営やマーケティングの分野でも、この考え方が応用されている。たとえばある開発製品が売り出された場合、はじめは少量しか売れないが、時間の経過とともに次第に勢いを増し、やがてピークに達する。しかしその後は売り上げは減衰し、終にはゼロになってしまう。その累計でグラフを描くとS字型になるので、Sカーブモデルと俗称されることもある。先進国の今の経済状況は、まさにSカーブにおける減衰場面に該当するのである。したがってこの状況を直視して、それにふさわしい産業・経済のあり方を構想しなければならない。具体的にいうと先進国は、まず従来の人口増、需要増というモデルがピークに達したことを認識し、穏やかに下降線を辿るための対策を考えなければならない。一例を挙げれば、日本では液晶テレビの規模縮小が進められている。
しかしもう一方では、先進国は成長盛りの後進国とは全く違う成長モデルを創成しなければならない。わたしは、それを第六次産業モデルと仮称することにしている。一次産業から始まり、二次→三次→四次→と、順調に進化してきた日本の産業構造であるが、ギャンブル型の五次産業はいち早く諦めた。いまやそれを越える産業モデルが切望されているのである。しかし日本を除く4カ国は、未だに従来型のモデルに拘泥して、新しい構想を打ち出していない。ひとり日本だけが、その可能性を持ち合わせているのである。
それでは日本の新しい国家経済イメージと、それを支える六次産業とはどういうものか。以下の8項目は、私が考えるそのアウトラインである。

① 人口規模の拡大を図らない
② 拡大する後進国とは別の道を歩む
③ 日本文化の精華を製品にする
④ 輸出立国でなく、内需立国をめざす
⑤ 保有資源の再確認と再定義を行う
⑥ 世界の富裕層をターゲットにする
⑦ 生産財と消費財の二分野でユニークさを発揮する
⑧ 文化基盤の上に文明を構築する方法論を確立する
 それでは上述のアウトラインについて、一つずつ説明を加えよう。

1 人口規模の拡大を図らない
 厚生労働省は2012年1月30日、2060年に於いて日本の人口は8674万人まで減少すると発表した。マスコミの論調では、これを国の一大ピンチとしているが、果たしてそうか。前にも述べたように先進5カ国のうちで、人口1億を超えるのはアメリカと日本だけだ。減少しても他の3国並になるだけである。もはや兵士を消耗品扱いする富国強兵の時代ではないのである。ただし65歳以上の割合が40%に達するというのは少し気になるが、これも致命的なことではない。まず高齢者の定義を65歳以上から、70歳以上に変更すればよい。昨今の老人は生活環境の改善や栄養摂取の向上によって、旧時代の老人と比べると格段に屈強である。その一方で、必要以上の延命医療を行わないことにする。植物人間になって、ただ呼吸だけやっているような生き方が、果たして幸福と言えるだろうか。2050年には世界人口は91億になるという。そうなれば100億を越えるのも間近い。地球資源の枯渇を恐れる者にとっては、まさに悪夢だ。その中にあって日本が8000万の人口に止まれることは、むしろ幸運というべきだ。あとはバランスのよい人口構成を維持すればよいのである。その場面では日本文化や思想の神髄をも、考慮に入れてよいだろう。たとえば自死の容認である。自殺を悪とみなしているのは西欧の思想、とくにキリスト教に限られる。歴史的にみて、我国にはそのような考え方はなかった。この点については難波統二が、その著「覚悟としての死生学」で明快に論じているし、古くは「自死の日本史」においても、モーリス・ハンゲが詳しく述べている。西欧思想の呪縛から解かれことにより、過剰とも思える長寿礼賛の風潮や諸施策から脱することべきだ。それにより、いずれは適正な人口構成になるのではないだろうか。

2 拡大する後進国と別の道を歩む
 今や先進国と後進国を問わず世界のほとんどが、コモディティ製品の大量生産と大量消費に没頭し、その優劣を巡って悲喜こもごもの争いを続けている。人口爆発の環境の下では、それもやむを得ないかもしれない。しかし日本は、そのような過当競争に身を投じる必要はない。全くちがう道を探ればよいのである。いや、その道は既に見いだされている。産業のガラパゴス化と揶揄する向きもあるが、これこそ他国が追随できない日本独特の分野である。例えば工場プラント、超精密工作機械、原子力発電設備、最先端医療機器、超精密検査機器、超高速鉄道(運行ソフトを含む)、産業ロボット、炭素繊維などの高性能素材、など枚挙にいとまがない。後進国は日本からこれらを輸入し、それを使ってコモデティ型製品の大量生産競争に参戦しているのである。この点で観ると、日本はすでに彼等とは全く別の道を歩んでいると言えよう。

3 日本文化の精華を商品にする
 生産財の分野では、日本はかなり以前から最も信頼できる供給者として、後進国から高い評価を受けている。しかし今後は消費財の分野でも、他の追随を許さないユニークな道を選ぶことになるだろう。既に日本文化に根ざす製品は、それが伝統的なものである場合は、各国の知識階級や富裕階層の垂涎の的になっている。その一方で今風のものが、ハードとソフトの両面で、庶民や若者の間で大人気になっている。
 まず伝統産品の例として、いまヨーロッパでブームになっている盆栽を取り上げてみよう。以下はJETROが平成21年に於いて行った 欧州地域における 盆栽輸出可能性調査から抜粋したものである。
「日本の伝統産品として位置づけられている盆栽は、柔道や空手が世界中に広まってスポーツ愛好家が拡大しているのと同様に、今やわが国の伝統品としてだけでなく広く海外にも愛好者が存在している。貿易統計上では、アジア諸国向け輸出が第1位であるが庭木などの種類が多いといわれている。一方EUでは、40年前からイタリア、ベルギー、オランダ等で根強い需要がある。現地人指導者による盆栽教室の開講、愛好家クラブで活発な展示会開催など、大きなファンを獲得している・・・・」。
 嘗て梨花女子大の李教授がその著「縮み志向の日本人」において、日本人の“内”に向かう発想傾向を、盆栽などを例にとって象徴的に論じたことがある。李教授の議論は皮肉ではあるが、相応の説得力があった。しかし国内ではそれに自虐的な知識人が過剰に便乗し、日本ダメ論の論拠にしたのである。幸いにして現在では、そのような迷論は全く姿を消し、海外の高い評価を素直に受け止めるようになっている。なお李教授の論に敢えて付言するならば、日本文化の特徴は「縮み」よりも「洗練:リファイン」とするべきだろう。
 盆栽の例にみるように、近年になって日本の伝統産品は、にわかに世界の各国から高い評価を受けるようになった。和菓子、京料理、寿司、刀剣、漆器、陶器、文房具、ガラス製品、高級食材(米、牛肉、野菜など)、化粧品、家具、皮革製品、インテリア用品、生活雑貨、伝統織物など、それこそ枚挙にいとまがない。
 これらの商品を手がけるのは殆どが大企業でなくて、中小企業か零細な職人企業である。したがって独力で海外向けのマーケティングを展開するのは難しい。今こそ国全体として支援する体制が望まれる。例えば現地に共同の店舗を設置するに際しては、国や地方自治体などの資金援助、または協同組合などの編成が必要になるだろう。付言するが、このような職人型企業の資産は、従業員のスキルそのものが資産である。そのスキルは経験が長いほど向上する。70才どころか、80を越えても貢献できる。
 一方、今風の日本文化をバックにした、若者や子供市場の開拓はどうか。実はこの分野こそ、すでに進出済みと言えるのである。欧米に於けるマンガやアニメの普及ぶりは、今さら説明の必要もあるまい。また任天堂などが開拓したゲーム市場は、スマートフォン対応のゲームソフト市場に繋がり、今後も一層の拡大が期待される。かくして「日本文化の精華を商品にする」活動そのものが、六次産業を創成する原動力になるであろう。

この後は次のブログ  ―素人が気にする経済問題(4)―  に続ける

4 輸出立国でなく、内需立国をめざす
5 保有資源の再確認と再定義を行う
6 世界の富裕層をターゲットにする
7 生産財と消費財の二分野でユニークさを発揮する
8 文化基盤の上に文明を構築する方法論を確立する

2012年2月12日日曜日

素人が気にする経済問題(2)

前回のブログ「素人が気にする経済問題」で、残しておいたのは以下の3つである。その後、いろいろ考えて一応の答えを出しておいた。正しいかどうかは分からない。皆さんの御意見を承りたい。
     1)偏りがなくなればどうなるか
 わずか9%ほどの人口で、世界におけるGDPの44%をカバーしている先進国の生産面でのアドバンテージは、急速に失われつつある。きっかけは、中国の経済開放政策であった。早くも世界の工場といわれるようになったこの国を、先進各国は競って供給拠点として利用するようになった。たとえば日本の消費者は、中国製文房具のほとんどを、100円で手に入れることができる。アメリカの場合は、もっと徹底している。こうして多くの先進国は、高度な技術を要する製品以外は、ほとんど生産を止めてしまった。しかし、その高級製品も次第に浸食されつつある。この動きは中国だけに止まらず、インドや東南アジア、南米など多くの後進国に広がった。こうして、価格破壊を伴う生産拠点は世界的な規模で拡大し、これらの国の労働者の多くに雇用機会を与えるようになった。彼等の所得水準はまだ低いといっても、従来と比べたら大幅に向上している。しかも彼等が消費する商品の価格は安い。かくして後進国に於ける生産と消費は飛躍的に増大している。今ではインド、東南アジアさらにはアフリカに於いてさえ、テレビ、エアコン、冷蔵庫などの電化製品は市場に氾濫している。それどころかパソコンや自動車などの高度製品さえ、安値で数多く市場に出回っている。
 この状態は、今まで先進国に偏っていた生産や消費を、世界的に平均化することになるから、基本的には好ましいことである。しかし一方では深刻な問題も孕んでいる。地球資源の急激な浪費とそれによる枯渇である。今や資源としての植物、動物、鉱物などの総量は急速に枯渇しつつある。消費のスピードが生産のスピードを越えはじめたからである。世界人口は2050年には91億人に達するという。この時期になると、世界に於ける先進国の人口比率は5%程度になり、GDPの比率は20%以下になるだろう。
     2)先進国の経済はどうなるか
 このままでは先進国の経済は成り立たなくなる。各国は抜本的な産業・経済戦略をうち立てなければなるまい。
 その第1はアメリカである。
この国が仕掛けた経済グローバル化の弊害は、まるでブーメランのように自らの産業構造を直撃した。工業製品の多くが競争力を失い、それを作る工場労働者は仕事を失った。そのため失業率は10%を越えた。オバマ政権は、回復をはかるため再び製造業の活性化に努力している。たとえば対策の一つとして、若年労働者を増やすために移民を増やしている。そのため3億人を越える人口になったが、それがプラスになるか否かは分からない。
 第2はドイツである。
ドイツと日本の産業構造はよく似ている。たとえば製造業の比率は、どちらも同じように20%前後を維持してきた。工業技術の水準も高く、機能や精度の高い機械製品には定評がある。経済運営も堅実で、いまではユーローを支える屋台骨になっている。ただ本稿のテーマである後進国の追い上げと、それに伴う世界経済の平準化が到来したらどうなるだろう。いくら超高性能のマザーマシンを開発しても、それを購入して模倣して安く作り、コモディティ製品を大量に生産する後進国のやり方に対抗できるだろうか。
 第3はイギリスである。
イギリスとアメリカの経済思想をみると、類似点が多い。本質的に両国はアングロサクソンの気質を備えているからであろう。たしかにアメリカは移民の国だから、民族的にはイギリスとは違う。しかし少なくとも政治・経済の中枢的な権力を握っているのは、この血統に属する人たちである。スポーツだけではなく、政治、経済のルールやスタンダード作りは常にこの人たちだった。とくに近年における国際金融のルール作りでは、瞠目するほどの活動ぶりであった。ニューヨークと並んで、ロンドンシティは今なお世界金融ビジネスの中心である。しかしこの分野を除くと、イギリスの産業は実に寂しい。今後の産業・ビジネスステージに於いて、この国に期待できるものは少ない。
 第4はフランスである。
この国の産業構造は一風変わっている。芸術・文化の国として、我が国には多くの心酔者がいるが、意外な側面も持っている。まず武器輸出国としては、世界第三位である。輸出先はアラブ首長国連邦、ブラジル、ギリシャ、インド、パキスタン、台湾、シンガポールなど極めて広範に及んでいる。宇宙航空産業のウエイトも高い。その代表作がエアバスである。軍用航空機の輸出も多い。ただハイテク産業面でやや出遅れの感があり、第二次産業の面では、ややバランスが欠けているという自覚があるようだ。それを挽回するために、新産業技術の開発力強化をめざす政策を強化している。一方、農業では欧州一の産出国である。この特徴をどう生かすかは、今後の課題になるだろう。ただ後進国の擡頭による、世界経済の勢力関係の変化については、上述の3国と同じくあまり気にしていないようだ。とくに昨今のようにユーロの危機となっては、世界人口70億時代を見据えた産業戦略どころではないのかも知れない。
     3)日本はどうすべきか
では日本はどうか。GDPが中国に抜かれて3位になったが、そんなことは問題にする必要はない。本質的な問題は、工業生産面で後進国の追い上げに直面している状況に、どう対応するかである。上の「偏りがなくなればどうなるか」でも述べたように、生産・消費に関する世界の分業体制は大きく変化したのである。周知のように現在における産業構造は、以下の5つに分類されている。
① 第一次産業・・・農林漁業
② 第二次産業・・・製造業
③ 第三次産業・・・金融業、物流業、商流業
④ 第四次産業・・・IT産業
⑤ 第五次産業・・・ファイナンス(投機)産業

 今まで上で述べてきたのは、この5分類のうち第四次産業までは、いずれ後進国に追いつかれるということであった。そして従来の日本は、第4次産業時代までは常に半歩遅れで欧米企業に追随し、最終的には同レベル乃至それを凌駕する位置を獲得してきた。しかし今や欧米諸国が第5次産業で破綻したとなれば、今後は自前で新産業を創造しなければならない。私はそれを第6次産業と名付けることにしている。然らばその内容はどういうものか。
 いうまでもなく第6次産業の創出には、従来とは違う考え方とアプローチが必要である。まず考え方について言えば、文化と文明の違いを認識することから始めなければならない。通常はこの二つは明確には区別されていない。歴史学者でさえ混同している例が多い。しかし両者の違いは明らかである。簡単にいえば、文明は文化に包含される下位概念である。別の表現をすれば、文化は暗黙知であるが、文明は形式知である。したがって文化には言語化されないものも内蔵されるが、文明には言語化できるものしか含まれない。
 日本は地理上の位置に加えて、鎖国という特殊な事情があったので、独自の文化に基づいて文明を形成してきた。しかし幕末の開国によって門戸が開かれ、その結果として異質でパワフルな欧米型の文明を知った。それは軍事、産業、政治、生活、芸術などあらゆる分野に及んだ。ただし、それらは全て言語によって表せるもの、すなわち欧米文化に由来する欧米文明に属するものだけである。かくして日本の新産業は、すべて西欧文明に基盤をおく技術に依存することになった。
 このような西欧文明追随型のアプローチは、第4次産業時代までは概ね通用するものであった。しかし上述したように、今や西欧型の文明に基づく産業のあり方が揺らぎはじめている。途上国は別として、欧米先進国の経済・産業を覆っているのは深刻な閉塞感である。今後はおそらく凋落の一途を辿るに違いない。日本も従来の欧米型産業パターンを踏襲する限り、同じ悩みから脱却することはできない。しかし幸いなことに、日本にはとっておきの切り札がある。いままで等閑にしてきた固有の文化をベースにして、新しい産業文明を構築し直すことである。もちろん既に自家薬籠中のものとなっている西欧型文明は十分活用しなければならない。それに加えて、固有文化に基づく文明を交配させるのである。それには、お家芸ともいえる折衷技術を、さらに洗練させなければならない。
 たとえばアニメや、ロボット、精密部品、炭素繊維などの新素材、さらには高級野菜や盆栽など日本の文化と文明に基づく技術でカバーできる範囲は驚くほど広い。これらの多くは見かけ上、西欧型の技術文明そのものである。しかしその根幹のところまで遡ると、多くは日本人が持っている「匠」の心に行き着くのである。いうまでもなく匠の技術は、日本文化が生んだ日本文明の精華である。この見方に立つと、日本の第6次産業は、もはや始動しているともいえるだろう。その具体例および今後の展開については、このブログで引き続きフォローしていくつもりだ。

2012年2月8日水曜日

素人が気にする経済問題(1)

1) 何が経済問題か
 経済について、学者、エコノミスト、経済記者などが論じるキーワードは、何故あのように画一的なのだろう。いわくGDP成長率、いわく為替相場、いわく失業率、いわく株価、そして最近では格差と富の配分率!
 いわゆる経済専門家はこれらの限られた数値だけで、その上がり下がりを予測したり、結果を分析したりしている。しかし的中することは殆どない。だからといって非難されることがないし、本人達もそれを謝罪したり弁解することもない、発言はすべてその場限りのことで、だれも気に掛けない。
 経済学について私は全くの素人だが、それでも生活を営んでいるわけだから、これらの言説について、関心がないわけではない。むしろ人並み以上に気に掛けている。しかし繰り言になるが、知りたいこと、教えてほしいことへの回答がほとんど得られないのだ。全くいらいらしてしまう。
 では何が知りたいのか具体的に説明しよう。たとえば昨年、世界の人口は70億を超えたという。この途方もない事態は、我々の将来にどんな影響をもたらすのだろうか。地球規模で考えるのはあまりに大きすぎるので、取り敢えず日本への影響について考えてみたい。
 それには、まず先進国と後進国(途上国も含む)の人口分布とGDPを知りたい。国連の定義によると、一人当たりの国民所得3万ドル以上が先進国である。これに該当するのは上から順に、ルクセンブルグ、ノルウエー、カタール、スイス、アラブ首長国連邦、デンマーク、オーストラリア、スウェーデン、オランダ、アメリカ、カナダ、アイルランド、オーストラリア、フィンランド、シンガポール、ベルギー、日本、フランス、ドイツ、アイスランド、クエート、イギリス、イタリア、ニュージランド、香港、スペインの26カ国である。次に、その26カ国の総人口およびGDP年間総額を知りたい。調べた結果は次の通りであった。
    (国 名)    (GDP/人/ドル) (総人口:万人) (GDP:兆ドル)
   1)ルクセンブルグ    10万9千       50       0.05
 2)ノルウエー          8万4千      500       0.42
 3)カタール             7万4千      170       0.13
 4)スイス               6万8千      300       0.48
 5)アラブ首長国連邦     5万8千      600       0.35
 6)デンマーク           5万6千      600       0.34
 7)オーストラリア        5万6千     2200       1.20
 8)スエーデン          4万9千      900       0.40
 9)オランダ             4万7千     1700       0.80
10)アイルランド          4万6千      400       0.19       
11)アメリカ              4万6千    31000      14.30
12)カナダ               4万6千     3400       1.56
13)オーストリア         4万5千     2200       1.00
14)フィンランド           4万4千     5300       0.23
15)シンガポール        4万3千      500       0.21
16)ベルギー           4万3千     1100       0.47 
17)日本               4万3千    12600       5.50 
18)フランス             4万2千     6300       2.60
19)ドイツ               4万1千     8200       3.40
20)アイスランド          3万9千      300       0.02
21)クエート             3万7千      270       0.10
22)イギリス             3万6千     6200       2.20
23)イタリア              3万4千     6100       2.10
24)ニュージランド        3万2千      400       0.17
25)香港               3万2千      700       0.24
26)スペイン            3万1千     4600       1.42

 以上のデータを見て、先ず気になることは第1位のルクセンブルグの人口が僅か50万人に過ぎないことだ。人口1億人を超える国と、50万人に過ぎない国のデータを同列に並べて論じる意味はないと思う。私はこの考え方に基づき、概ね2000万人以上の国を対象にして考えることにした。このフィルターにかけると、該当する国は11カ国である。なお補足すると、上表で1億人を越える国はアメリカと日本の2国しかない。
 もう一つのフィルターは年間のGDP総額で、これが2兆ドルを越える国を経済大国と考える。データによると該当するのは6国である。

 以上の2条件、すなわち人口条件とGDP条件に加えて、一人当たり年間国民所得3万ドル以上という基本条件をクリアーできる経済大国はアメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの6カ国しかない。さらにイタリアは今や財政危機にあるので、これを除外すると5カ国になってしまう。この5カ国の人口は6.63億人である。そして、それが世界人口に占める割合は、6.63億人÷70億人によって計算できる。値はわずか9.5%だ。一方、5カ国のGDPが全世界のGDPに占める割合は、28.0兆ドル(14.3+5.5+3.4+2.6+2.2)÷63.0兆ドルによって計算できる。答えは44%である。つまり10%に満たない人数で、全世界におけるGDPの44%を支えていることになる。ただしこの極端な偏りは、いまに始まったことではない。おそらく19世紀後半から始まっていることで、もっと偏りがひどい時代もあった。それに比べると現在は、偏りが急速に緩和されつつある。実は、その緩和に進む早さこそが、これからの大きな問題になるのである。 

2) 偏りが急速に緩和される理由は何か
 結論からいうと、世界におけるGDPの偏在緩和、つまり平準化をもたらす要因は2つある。その第一は中国およびアジア諸国の生産力増大であり、第二はそれに誘発される後進国の需要増加である。ここでいう後進国とは、アジアだけでなくアフリカも含まれる。
 この動きの発端は中国の経済自由化と、それを活用しようとするアメリカの政策から始まった。しかも、その規模は予想以上に拡大した。なにしろ中国は人口13億という、桁外れの低賃金に裏打ちされた生産力である。しかも知的所有権など、平然と盗み取るお国柄である。そのためアメリカの産業、とくに第2次産業はミイラ取りがミイラとなる仕儀となった。結果としてコモディティ製品(日用雑貨)の殆どが中国に依存せざるを得なくなっている。低価格の中国製品は、さらに欧州市場を席巻し、ついには日本にも浸透した。今では、中国は世界の工場と言われている。この勢いとやり方は他のアジア諸国にも波及している。インドやベトナムがその好例である。
 生産力が高まると、それと平行して労働者の雇用機会は増大する。そのため平均所得の水準も向上する。今や後進国では、このような好循環プロセスが普通になってきた。ちょうど日本が敗戦の混乱から立ち上がり、次第に景気がよくなり始めた時期の状況とよく似ている。その後のいわゆる史上稀な日本の高度成長は、半世紀近くも続いた。しかし現在の経済環境と技術環境を考えると、これらの後進国の平均所得が年間3万ドルを越えるのは、20年を待たずして達成できるだろう。つまり世界の国別所得格差は、予想以上に早く縮まると考えられる。

 この後は、たぶん以下のような疑問が生じるはずだ。

     3)偏りがなくなればどうなるか

     4)先進国の経済はどうなるか
           アメリカ
           ドイツ
             フランス
           イギリス
           日本

     5)日本どうすべきか

 以上の3項目については、未だ十分には考えを纏めていないので、今日はこの辺りで筆を止めておく。諸賢兄の御意見や御見解をぜひお伺いしたい。

2012年2月7日火曜日

知識人の時代は終わった

先日、辻本清美民主党代議士が「世界」に投稿した論文を読み、その内容のレベルの低さに驚いたので、その要約をこのブログで報告した。同じ理由で失望させられた例は他にもある。たとえば仕切りと銘打った政治ショーの予算折衝において、世界一を目指すスーパーコンピュータの予算を削るため、2番ではダメですかと詰問し、担当者を絶句させた蓮舫代議士である。このほか民主党政権の要職に就いた面々の無知、失言、失策があまりにも多いので、今や国民の多くが諦めの境地である。
 しかしよく考えてみると、彼等に一票を投じたのは我々、すなわち日本の大衆(常識人)である。しからば日本人の多くは、愚かであったのか。それは断じて違う。誤ったのは、私が糾弾して止まない「知識人」に煽動されたからである。この際、はっきりしておきたいのは、煽動された方がわるいのではなく、煽動した方がわるいのである。
 では、その知識人とは何者なのか。その答えは、以前に投稿したブログ「日本人に自虐精神を植え付けたのは誰か」で明らかにしておいた。要するにマスコミ人、社会科学系の学者、教育者、官僚、評論家である。もちろん彼等のすべてとは言わない。例外はある。しかし大まかには、これらの知識人が明治維新後の日本人をダメにしてきたのである。ただし知識人というだけでは、表現があまりに曖昧なので、ここではもう少しはっきり定義しておこう。
 以前から私は独断と偏見によって、日本人の全体を、以下のように3つに分類している。
       常識人(庶民)
       教養人
       知識人
 この分類に基づき、それぞれが如何なる「資質」と「行動様式」をもっているかを比較してみて、以下のような結論を得た。
    (注1)資質とは、倫理観、専門知識、知恵のタイプを意味している。
    (注2)行動形式は、観念型(理想型)と実践型(現実型)の二つに分類。

①常識人
 (1)常識人の資質
 常識人(庶民)が持っている第1の資質とは倫理観すなわち道徳心であるが、そのレベルの高さは世界でも定評がある。具体的な内容は、かつての教育勅語に極めて簡潔に纏められているが、庶民はその項目のすべてを真面目に実践してきた。それも強制されたのではない。内容のほとんどは、日常的に既に実践されていたのである。少なくとも敗戦まではそうしてきた。
 常識人の第2の資質は専門知識だ。これは理論化はされていないが、技能のかたちで極めて高い水準に達している。しかも、それを習得する過程では、さまざまな創造性を発揮している。それができるのは、彼等庶民にとって労働はけっして忌避すべきものではなく、人生の目的そのものになるからである。
 (2)常識人の行動様式
 常識人の行動様式は、とりわけユニークである。彼等は本質的にリアリストだから、哲学や観念論には殆ど関心を示さない。関心があるのは、当面している課題をいかに処理するかという現実の解決策と、そのための行動だけである。そのため、回りくどい理屈を嫌い、直接解決するための知恵を尊重する。

②教養人
 (1)教養人の資質
 では教養人の資質はどうか。興味深いことに、彼等と常識人の資質は多くの点で共通している。まず道徳心(倫理観)については、ほとんど同じと言ってよいだろう。ただ専門知識については、その深さと汎用性において、常識人との間に相当な隔たりがある。これは抽象的かつ汎用的な知識そのものを対象にする立場と、具体的で個別的な技能を駆使する立場は違うのだから、両者が相違するのは当然のことと言うべきであろう。
 (2)教養人の行動様式
 教養人の行動様式も、基本的には常識人と同じである。何故なれば、机上で空論を述べるだけで実践が伴わなければ、真の教養人ではないからである。その意味では、かつて高見の見物スタイルで一世を風靡した評論家、加藤周一などは教養人ではない。

③知識人
 (1)知識人の資質
 知識人は、資質の基本となる道徳心そのものに疑いを持っているらしい。とくに上述した教育勅語に対しては、強烈な反対または無視の態度を示している。西欧思想の洗礼を受けた彼等にとって、日本的な徳目など、決して認めることができない。然らば西欧思想の基本となる徳目は何か。第一に特定宗教の教義(イデオロギー)を守ること。しかしその宗教が複数あるとしたら、どれが正しいのか。日本の知識人のほとんどは、その第一条件をクリアーしていない。一方で日本の神道に基づく教育勅語を否定するのだから、その思想的根拠はどこにあるのだろうか。それがない道徳心の内容とはどういうものか。たぶん道徳心そのものを否定しているのかもしれない。戦後から最近まで猖獗を極めた似非アナーキストの源は、この辺りにあるのかも知れない。
 (2)知識人の行動様式
 知識人の行動様式もまた極めてユニークである。現実を直視するのではなく、観念的な理想論を振りかざす。その観念は独特のイデオロギーを前提にして組み立てられる。そして、一旦それが出来上がったら、日常の出来事すべてを、その基準によって判断し評価する。それが嵩じて原理主義にまでエスカレートする。流石にここまで極端になるのは一部である。大部分は半端な状態で浮遊し、幻想に耽っているのである。冒頭で触れた辻本代議士や蓮舫代議士など、民主党のメンバーが構想し、スローガンとして喧伝したマニフェストなどはその典型である。このようなものを本気で考え、行動するのが知識人なのである。教養人や常識人(庶民)は知識があっても、決してこのような愚行に走らない。

2012年2月6日月曜日

階層がない日本

優しい一家に飼われている犬は、自分が犬とは思っていない。家族の一員つまり人間と思っているらしい。その人間の社会は、西欧流にいえば、上中下の三つの階層に分かれているが、日本人の多くは中流意識をもっている。軽率にもマスコミや評論家は、それを甘い幻想だと揶揄してきた。とくにサヨク思想に犯された知識人は、大衆の多くに階層意識がなく、中流という幻想に酔い痴れているとして、軽蔑したり慨嘆したりした。しかし、そのような考え方は明らかに間違っている。むしろ外国人の方が、日本人の本質をよく理解していた。たとえば、明治の半ばに来日したアメリカの女性教育者アリス・マベル・ベーコンは次のように言っている。
 「どうして日本人は、安物をこれほどまでに美しく作れるのでしょうか。日本では、多くの品物が美しいから使われるのではなく、たんに安いから使われるのです。たとえば紺と白でデザインされた手拭いを、人夫や車夫が使用するのは、安いという理由だけです。決して美しいものとし認められていません。しかし私からみると、とても見事なデザインだと思います。買い手がその美しさを全く問題にしないのに、職人は何故こんな美しい手拭いを作り続けるのでしょうか。私の結論は次の通りです。
 日本の職人は本能的に美意識を持っているので、金銭的にペイするかどうかに関心がないのです。美しく作らざるを得ないのです。それは手拭いだけではありません。庶民が使う安物の陶器を見ても、高価な物と同じように美しく装飾が施されています。こうした作り手の美意識と使用者の美意識が、日本人の民度の高さにどのように作用しているかは分かりません。しかし、現在欧米で進められているような、貧しい人たちの美意識を啓発する運動などは、日本では全く必要ないでしょう。」
 美的センスに限って言えば、欧米にも優れた工芸職人が数多く存在する。しかし彼等を上述の階層区分に当てはめれば、その多くが下層に位置づけられる。これは手に汗して労働することを蔑んだ、プラトン以来の西欧の伝統であろう。
 しかし日本は違う。労働すなわち体を動かす仕事を価値ある行為と考える。反対に、机上で空論に耽る仕事は馬鹿にされてきた。そのため日常的に労働を行う一般庶民は、自らの仕事を大切にし、よき成果が得られるように陰日向なく努力する。いわゆる職人は、その典型である。さきにアリス・マベル・ベーコンの言を引用したように、日本人が階層のない国を作ってきた原因の一つは、すべての国民が勤勉で、共通の審美眼をもち、美を求め続けてきたからであろう。