優しい一家に飼われている犬は、自分が犬とは思っていない。家族の一員つまり人間と思っているらしい。その人間の社会は、西欧流にいえば、上中下の三つの階層に分かれているが、日本人の多くは中流意識をもっている。軽率にもマスコミや評論家は、それを甘い幻想だと揶揄してきた。とくにサヨク思想に犯された知識人は、大衆の多くに階層意識がなく、中流という幻想に酔い痴れているとして、軽蔑したり慨嘆したりした。しかし、そのような考え方は明らかに間違っている。むしろ外国人の方が、日本人の本質をよく理解していた。たとえば、明治の半ばに来日したアメリカの女性教育者アリス・マベル・ベーコンは次のように言っている。
「どうして日本人は、安物をこれほどまでに美しく作れるのでしょうか。日本では、多くの品物が美しいから使われるのではなく、たんに安いから使われるのです。たとえば紺と白でデザインされた手拭いを、人夫や車夫が使用するのは、安いという理由だけです。決して美しいものとし認められていません。しかし私からみると、とても見事なデザインだと思います。買い手がその美しさを全く問題にしないのに、職人は何故こんな美しい手拭いを作り続けるのでしょうか。私の結論は次の通りです。
日本の職人は本能的に美意識を持っているので、金銭的にペイするかどうかに関心がないのです。美しく作らざるを得ないのです。それは手拭いだけではありません。庶民が使う安物の陶器を見ても、高価な物と同じように美しく装飾が施されています。こうした作り手の美意識と使用者の美意識が、日本人の民度の高さにどのように作用しているかは分かりません。しかし、現在欧米で進められているような、貧しい人たちの美意識を啓発する運動などは、日本では全く必要ないでしょう。」
美的センスに限って言えば、欧米にも優れた工芸職人が数多く存在する。しかし彼等を上述の階層区分に当てはめれば、その多くが下層に位置づけられる。これは手に汗して労働することを蔑んだ、プラトン以来の西欧の伝統であろう。
しかし日本は違う。労働すなわち体を動かす仕事を価値ある行為と考える。反対に、机上で空論に耽る仕事は馬鹿にされてきた。そのため日常的に労働を行う一般庶民は、自らの仕事を大切にし、よき成果が得られるように陰日向なく努力する。いわゆる職人は、その典型である。さきにアリス・マベル・ベーコンの言を引用したように、日本人が階層のない国を作ってきた原因の一つは、すべての国民が勤勉で、共通の審美眼をもち、美を求め続けてきたからであろう。
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