2011年6月3日金曜日

介護機器エンジニアリングの怠慢

 日本がつくる工業製品の多くは、その性能と品質において、世界のトップレベルだと言われている。しかし中には例外もある。とくに独占的な環境のおかげで、ほとんど競争がない業界ではその傾向が強い。好例が介護機器関連業界である。その代表ともいえる介護用ベッドを挙げてみよう。
 老妻が多系統萎縮症という難病に罹ったため、私は4年半ほどその介護に専念した。典型的な老老介護である。本人は24時間、ベッドに横臥したままで、一挙手一投足にも難渋していた。たとえば食事は、三食すべてベッドの上で済ませなければならないので、その度にベッドの角度を60度前後に調節する必要がある。水平姿勢のままでは、食物の嚥下がやりにくいからだ。そのため介護用ベッドは、背もたれに相当する位置を、電動方式で60度前後の角度に折り曲がるように設計されている。
 排便の場合は、介助作業はさらに複雑になる。まず病人をベッドから降ろす介助を容易にするため、床面からの高さを調節しなければならない。つぎに病人を抱えて、便器に座らせる。排便が終われば、再び本人を抱えてベッドに戻す必要がある。この場合の作業手順は、ベッドから降ろす場合と逆順になるわけだ。いずれにしろ抱き上げたり、抱き降ろしたりする作業は、老齢者にとってかなりの負担になる。しかも私の場合は、その頻度が多かった。一日を通して7~8回にもなり、しかも深夜が多かった。
 この過酷な介助作業をサポートするために、ベッドメーカーと雖も全く工夫しなかったわけではない。その一つはベッド高さ調節の電動化であり、もう一つは背もたれ角度調節の電動化である。しかし最も負担の大きいベッドからの抱き降ろしと、抱き上げ作業をサポートする機能の電動化は全く実現していない。それをやるには、ベッドを手前の斜め方向に捻らせなければならない。この動作を機械がやってくれたら、介護作業はどんなに楽になるだろう。一般的な日本の機械メーカーにとって、この程度のメカニズムを作ることは、大して難しいことではないだろう。しかし介護用ベッドのメーカーには、それを開発する能力がないらしい。もともとベッドメーカーは家具屋とか箱屋といわれているように、複雑な動きの機械を設計することが不得意なのだ。そのため介護用ベッドを作り始めて何年にもなるが、介護を助ける技術開発は殆ど進んでいない。目立つのはベッドを豪華に見せるためのデザインだけである。機械技術の面では、怠慢としか言いようがないのである。
 このような技術の停滞が続いている主な原因を、列挙すると以下のようになる。その1は介護用ベッドの業界が一種のガラパゴス状態になっていて、機械業界からの参入がほとんど無いからだ。その理由は上で述べたように、介護用ベッドが家具と見なされているからだ。その2は、消費者つまり介護をやっている人たちが、積極的に不満を表明しないからだ。そして3つ目は、介護用品を扱う業界の特殊な事情である。介護用品の購入資金は、ほとんど介護保険で賄われ、しかもレンタル方式になっている。加えて支払い事務を代行するのは、ケアマネージャーである。その費用は、究極のところは介護者の負担になるのだが、以上3つの理由によって、それが極めて見えくい。その結果として、性能とコストについて誰も関心を払わないのである。介護用ベッドの業界は、まさに管理の真空地帯になっているのである。この状態に管理当局が気付かない限り、介護用ベッドの品質とコストは永遠に改善されないだろう。結果として老老介護の当事者は、これからも苦労を強いられることになるのである。

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