2012年1月17日火曜日

“想定外”という言葉を恣意的に使い分けるな

1000年に一度の津波被害を想定できなかったという原子力関係者の説明に対して、原発に反対してきたマスコミや評論家などの学識経験者は、それを逃げ口上であると批判している。しかし地球上で日常的に発生する数々の出来事で、1000年に一度しか発生しない事態を誰が予知できるだろうか。例えばこの人たちが守り抜こうとしている日本の平和憲法は、どの程度まで想定外の事態を念頭に置いているのだろうか。

 最近、アメリカのシンクタンク・ランド研究所は、中国との軍事衝突の可能性が、全く無いとは言い切れないと表明している。データによると、過去3400年のうち完全に平和な時代は、250年に過ぎないらしい。つまり戦争があるのが普通であって、それがないのはむしろ例外というべきなのだ。それにも拘わらず、進歩的と称する我が国の学識有識者たちは、漫然と平和憲法が維持できると考えている。念のために、その平和憲法の核心部分を取り出すと、次のようになっている。
 “・・・平和を愛する(海外)諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・・・”。
 この文面に表れている他力本願の虫のよい依存心はさて措くとして、戦争状態が普通という国際関係の歴史を全く無視しているのは致命的である。1000年に一度の津波を想定しなかった原発技術者を非難しながら、その一方で日本が戦争に巻き込む確率はゼロという前提に立っている。しかし戦争の確率は、上述したように津波発生の確率と比べると格段に高い。それでも平和憲法擁護者がそれを無視して、戦争の勃発を想定外と考えているのは何故か。論理的な思考力の不足なのか、あるいは御都合主義なのか。

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