前国土交通相の中山成彬氏は、その率直な発言によって就任後わずか数日で辞任に追い込まれた。一つは成田空港反対派の長年にわたる言動を「ごね得」と評したこと。もう一つは日教組を「日本の教育の癌」と決め付け、この組織を何とか解体したいと発言したためである。当然ながら野党や日教組は大いに反発したが、与党の一部にも批判の声が上がり、遂に辞任を余儀なくされてしまった。
しかし、この発言のどの部分に問題があるのだろうか。良識ある国民の大部分は、本音ではその正しさを認めているはずだ。それにも拘わらず表立っては、誰一人として中山発言を擁護しなかった。このようなことでは、政治家はいっさい本音を語ることはできないだろう。彼らは何を恐れて、率直な発言を控えるだろうか。考えられる理由は二つだ。
その一つは言うまでもなく、サヨクやそのシンパによる非難や攻撃である。しかし、これは彼らのアナーキーな立場からすれば当然のことで、いまさら気にする必要もない。問題はもう一つの、「まあまあ主義」とも言うべき一般世論である。上でも述べたように、大衆の本音は中山氏の言い分を肯定している。それにも拘わらず批判するのは「ああまで言わなくても」とか「立場をわきまえず本音を言うのは馬鹿正直だ」ということらしい。果たしてそうだろうか。むしろ本音を言わない方が、間違いではないのか。
今まで日本人の多くは、本音と建前をうまく使い分けてきた。その巧みさは往々にして、老練さや柔軟さとして評価されてきた。とくに政治家は、私的な場では本音を言い、公的な場では建前を語ることが通例だった。しかし今後の複雑な国内環境や国際環境では、そのような半端な表現では誤解と混乱をもたらすだろう。本音と建前の使い分けは、往々にして偽善や卑怯さにつながることにもなる。この傾向は、日本では近年とくに著しい。その主な原因は、多分マスコミによる言葉狩りのせいでもあろう。これでは真の意味で、言論の自由がないことになる。マスコミは言論の自由を標榜しながら、実は言論の抑圧者に成り下がっている。
欧米の政治家にはもっと勇気と誇りがある。フランスのサルコジ大統領の例に見るように、自分の考えを隠したり飾ったりせず、率直に表明することによって国民の支持を得てきた。日本の政治家も、これからはそうなってほしい。
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