2011年3月28日月曜日

マスコミの発想力はあまりに貧困だ

 「週刊誌ウオッチング」というコラムで、花田紀凱氏は面白いコメントをやっている。3月31日付の週刊新潮と週刊文春は、いずれも大震災特集を組んでいるが、その内容は大きく違っているという。私もこの二冊を併読していたので、氏の論評に100%賛成したい。要約すると、文春の論調はひたすら東電の責任を追及している。そしてタイトルは大きく、社長は雲隠れとか自殺説があると、なっている。おそらく読者は社長自殺説に興味をもって、この雑誌を買うだろう。しかし本文を読むと、デマに惑わされるなとなっている。買ってもらうためには、どうしても東電を悪者にしたいのか、それともガキのごとき浅薄な正義感にかきたてられたのか。一方の新潮は、さすがにプロであり大人である。その見出しは「暴走原発の現場に止まった人々の死闘」とか「放射能よりこわい流言飛語」、あるいは「首相官邸の機能不全」や「粛々と任務を遂行する人々」となっている。この記事では、東電を糾弾するものは全くなくて、むしろ東電の現場担当者の奮闘ぶりが報告されている。花田氏は二誌を比較した上で、きわめて辛辣なコメントを与えている。文春はアマであり、新潮はプロであると・・・・。
 ところで私は全く別の見地で、プロを自認するマスコミの記者連中にコメントしたい。原発の恐ろしさや、専門機関が発表する細かい数値データをコピーするだけでなく、もっとわかりやすい説明ができないものか。たとえば広島で被爆した人たちの状況はどうだったのか。無防備な人たちが意図的に狙い撃ちされたわけだが、それでも生き残った人がいた。そのあたりを比較しながら説明すれば、もっと分かりやすいと思う。さらには当時のアメリカ大統領の残虐性もあぶり出すことができるのではないだろうか。朝日新聞や社民党がやってきた観念的なアンチアメリカキャンペーンよりは、もっと効果的で建設的な与論が形成されるのではないだろうか。

“愚の骨頂”内閣

 民主党が政権の座について以来、国民の一人として私は、ただの一日も平穏な気分に浸ることができない。このブログでも、鳩山内閣が外交面でやらかした数々の失策について批判する余裕がない。後を継いだ菅首相が、いま現在進行中の東北関東大災害に対して、極度の無能ぶりを露呈しているからだ。この人物がトップでいる限り、日本の将来は真っ暗である。なぜ私は、かくも激しく不安と焦慮に駆られるのか。

トップに位置する人物を選ぶ最も重要な基準は、「問題を複雑かつ多角的に捉えたのち、決定と行動を単純化する」能力の有無である。これに対して、最も避けなければならないのは、「問題を単純に捉えて行動するため、対策と行動を複雑にしてしまう資質?である。菅首相の場合は、まさにこれに該当する。
たとえば大地震発生の報に接すると、現場視察と称して超多忙な現地に赴き、関係者を激励したり叱責したりした。そんなことが何かの役に立つと思うのだろうか。たんなるパフォーマンスに過ぎないことは、誰の目にも明らかなのに・・・。
その間、政府の司令塔はがら空きで、総合的な管理と指揮は全く不在になってしまった。その後、事態の進展とともに問題はどんどん複雑化する。つまり単純に考えて行動したので、彌縫策を次々と発令せざるを得なくなったのだ。いわく被災者生活支援特別対策本部、原子力災害対策本部、電力需給緊急対策本部、節電啓発担当大臣の任命、震災ボランティア担当の首相補佐官任命等々めまぐるしい限りだ。しかしそれぞれの新設部門の業務は、お互いが重複したり既存部門との関連が不明確で、現場では訳がわからないと悲鳴を上げている。
その一方で、従来からある最も重要な中央防災会議は一度も開いていない。菅首相は。この会議の存在自体を知らないらしい。この会議のメンバーは、首相と全閣僚、日銀総裁、日本赤十字社社長、そのた専門家や有識者で構成されている。上述した急ごしらえの素人集団とは専門度が違う。しかもその配下にはそれぞれの専門組織があり問題処理能力は高い。これをすっ飛ばして、右往左往する素人集団に大げさな肩書きをつけるだけで、問題が解決できると思っているのだろうか。“愚の骨頂”内閣による日本の不幸は、まさに拍車をかけつつある。

2011年3月10日木曜日

デフレの正体

 もう何年も続いている日本経済のデフレ傾向について、諸説が交錯しているが、その中でかなり目を引くのが藻谷浩介氏による「デフレの正体」論である。本書によるとデフレの原因は、人口構成にしめる高齢者の割合が高まったからだという。すなわち富裕層のかなりの部分を占める高齢者は、お金を貯め込んだままで、あまり消費に使ってくれない。つまりストックされたままなので、フローが活性化しないのだ。この状態を打破する一つの方法は、お金を富裕高齢者から若者へ移転させることだ。それを促進させるには、大幅な減税を保証する生前贈与の制度化が有効だと主張している。一般に高齢者に比べると、若い世代の方が消費意欲が旺盛だから、面白い提案だと思う。 ただ、これだけ冷え切った消費意欲の減退を回復させるには、それだけでは不十分だ。さらに強力なテコ入れ策はないものか。私はあると思う。それには従来型マーケティングの考え方を変えることだ。具体的にいうと、販売ターゲットを若者から高齢者に変えることだ。そして彼らにとって魅力的な商品を開発することだ。今のところこの視点で眺めてみると、あまりの貧弱さ画一さに驚かされる。高齢者といっても人それぞれである。趣味、経歴、資力、体力など、その違いは限りがない。それらのセグメントについてきめ細かく商品を開発していけば、需要は必ず喚起できる。 ユニクロは若者対象のマスプロ方式による安価モノで成功した。そのアンチテーゼとして、高齢社対象の多種少量生産による高価モノで頑張る企業がどうして出現しないのだろう。