「週刊誌ウオッチング」というコラムで、花田紀凱氏は面白いコメントをやっている。3月31日付の週刊新潮と週刊文春は、いずれも大震災特集を組んでいるが、その内容は大きく違っているという。私もこの二冊を併読していたので、氏の論評に100%賛成したい。要約すると、文春の論調はひたすら東電の責任を追及している。そしてタイトルは大きく、社長は雲隠れとか自殺説があると、なっている。おそらく読者は社長自殺説に興味をもって、この雑誌を買うだろう。しかし本文を読むと、デマに惑わされるなとなっている。買ってもらうためには、どうしても東電を悪者にしたいのか、それともガキのごとき浅薄な正義感にかきたてられたのか。一方の新潮は、さすがにプロであり大人である。その見出しは「暴走原発の現場に止まった人々の死闘」とか「放射能よりこわい流言飛語」、あるいは「首相官邸の機能不全」や「粛々と任務を遂行する人々」となっている。この記事では、東電を糾弾するものは全くなくて、むしろ東電の現場担当者の奮闘ぶりが報告されている。花田氏は二誌を比較した上で、きわめて辛辣なコメントを与えている。文春はアマであり、新潮はプロであると・・・・。
ところで私は全く別の見地で、プロを自認するマスコミの記者連中にコメントしたい。原発の恐ろしさや、専門機関が発表する細かい数値データをコピーするだけでなく、もっとわかりやすい説明ができないものか。たとえば広島で被爆した人たちの状況はどうだったのか。無防備な人たちが意図的に狙い撃ちされたわけだが、それでも生き残った人がいた。そのあたりを比較しながら説明すれば、もっと分かりやすいと思う。さらには当時のアメリカ大統領の残虐性もあぶり出すことができるのではないだろうか。朝日新聞や社民党がやってきた観念的なアンチアメリカキャンペーンよりは、もっと効果的で建設的な与論が形成されるのではないだろうか。
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