民主党の小沢党首が辞任を表明したあと直ちに撤回した事件は、空騒ぎが好きなマスコミを大いに喜ばせた。しかしこのような政局がらみのすったもんだは、大まじめに論議するだけの価値があるのだろうか。彼がいなくなると党は分裂するから、何とか宥めすかして居残ってもらおうという民主党の意向は、滑稽としかいいようがない。
そもそも民主党には、分裂の危機などはないのだ。何故ならば、政策的には結党のはじめからバラバラだった。旧社会党の残党と自民党から離脱したメンバーは、水と油ともいうべきイデオロギーの違いに目をつぶってきた。たんに数あわせだけで結びついている。まじめに考えれば、これは野合というべきもので政治家の堕落だ。
国民の多くはこの国の現状と将来について、真剣に心配している。だからこそ政党が主張する理念やポリシーにについては、大きな関心をもっている。しかし今まで国会で行ってきた民主党の政策論議は、極めて貧弱な内容だ。たとえばスキャンダルの追求、揚げ足とり、国際情勢を無視した憲法の解釈論といったものばかりだ。たしかにこのような枝葉末節の論議に止まる限り、党がもっているイデオロギーの矛盾に触れる必要はない。つまり党は分裂の危機にさらされることはない。
このように考えると、民主党は明らかに目的と手段を取り違えている。本来、政党の目的は、その理念に基づいて国民のためになる政策を立案実践することのはずである。しかし民主党は結党以来、根幹となる理念を明らかにすることはなかった。それを明らかにすると、野合集団はたちまち分裂するからである。つまりこの政党の目的は、党の維持そのものだったのだ。
政治の本質的な目的をもたない民社党は解党すべきだ。その意味で、今回の小沢騒動は絶好の機会だった。しかし姑息なやり方でその機会を失った。いずれこの付けは、致命的なかたちで払わされることになるだろう。
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