2012年3月20日火曜日

エスタブリッシュの交替

エスタブリッシュメント、すなわち権力者は時代の申し子である。たとえば明治大正時代に、この階層の主流すなわち華族に属する人達の多くは、維新の功労者やその係累であった。しかし軍事力の増強が必要になった昭和の前半になると、職業軍人が台頭し、そのリーダー達が新たな権力者になった。その一方で華族の権威は衰えた。さらに敗戦を境にして昭和の後半になると、再び権力者の交代が進んだ。いわゆる知識人の時代である。知識人の定義は前に触れたのでここでは省くが、彼等の職業はかなり広い範囲に及んでいる。一部を挙げると、御用学者、マスコミ、官僚、大企業の幹部といったところだ。もう一つ加えれば政治家であるが、これは政治がある限り必然的に生じるものだし、さらに言えば彼等を選ぶのは我々大衆なので、ここでは別扱いにしておこう。
 いずれにしろ昨年の大震災によって、これらのエスタブリッシュの多くがあまりにお粗末で、その権威に値しないことを露呈してしまった。すでに動き出している新らしい時代は、もはや彼等すなわち知識人に見切りをつけ、次の権力者を求めている。しかし、それがどのようなものなのか、まだはっきりとは分からない。未来社会の要請に適合し、われわれ大衆の信頼に応えられる人物や職業とは、一体どういうものなのだろうか。
 先日、友人の一人にこの質問を投げかけたところ、ヒントを2つ貰った。その一つは、何らかのかたちでインフォーメーションテクノロジーに拘わっている人だという。そう考えるようになった動機は、将棋の米長永世棋聖や、囲碁の武宮九段がコンピュータに負けたことによるらしい。しかし私は納得しなかった。良きにつけ悪しきにつけ、エスタブリッシュメントというイメージと語感には、もう少し人間くささがあるように思われるからだ。第2のヒントは、我々が想像もできない新しいビジネスを開発する者だという。たとえばアップルの創業者ジョブズのような・・・・。ただしそのビジネスがどのようなものかは、見当もつかないという。分かっていれば自分でやるよ、と彼は笑う。

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