2012年5月18日金曜日

自死の日本史を読んで


ずいぶん時間が掛かったが、ようやく評判の名著「自死の日本史」を読み終えた。その印象が薄れないうちに、感想文を書くことにする。
 敗戦直後から三十年ほど経ったころ、にわかに日本人論が盛んになった。主としてこれをリードしたのはいわゆる知識人で、ほとんどが贖罪的ないし自虐的な論説であった。皮肉なことに、その一方では日本の経済力は大いに高まり、ついにはGDPが世界の第2位に達していた。ジャパン・アズ・ナンバーワン(エズラー・F・フォーゲル著)が出版され、世界の話題になったのもこの頃である。しかし知識人、とくに進歩的知識人はその事実さえ否定的に受け止め、働き過ぎとかエコノミックアニマルなどと自嘲的な評論に終始していた。
 「自死の日本史」が出版されたのは、ちょうどその頃すなわち1984年であった。著者はフランス人のモーリス・パンゲである。当時、彼は東大で教鞭を執っていたが、フランス人特有の明晰さとユニークな視点で日本人を観察していた。その結果、この名著が生まれたのである。民族の特徴を捉えるには色々な方法があるが、なかでも有効なのは歴史アプローチであろう。それを更に細分化すれば、風俗の観点に立った風俗史。宗教の観点に立った宗教史。政治の観点に立った政治史などということになる。しかしパンゲの場合は、自殺のやり方という観点に立って、画期的な日本人論を展開したのである。この秀抜な着想によって、日本人の本質が見事に解き明かされている。
 そもそも自殺という行為は、キリスト教では神に対する反逆とみなされる。何故ならば人間は、創造主によってつくられたものである。したがってそれを勝手に損なうのは許しがたい罪なのである。しかし日本には、古くからそのような禁忌はなかった。そのこと自体が、西欧人にとって極めて奇異なことであったろう。ただしパンゲは、日本に於ける自死の風習を冷静に理解してくれたようだ。すなわち自殺者を神への反逆者とみなす宗教的偏見でもなく、神経症患者とみなす心理学的解釈でもない。他殺ではなく、自死という日本人独特の行為を、時代別に文化現象として捉えたのである。かくしてその論述は、日本人気質の特質のみならず、その歴史的な変遷をも説明しているのである。
 パンゲは日本人の自死の歴史を、ヤマトタケル皇子の后である弟橘姫の入水から述べはじめている。この場合の動機と行為は「献身」というべきか。
 その後の時代の移り変わりにしたがって、日本では多くの自死事件があったが、その中で特に私の目にとまった記述を、時代順(歴史的)に列挙してみよう。
  (年代)  (事  件)     (自死の形態)   (動機と目的)
  835年  空海の入滅     意志的な自己埋葬    教義の実践
 1021年  壇ノ浦で平家敗北  入水による自死     名誉の維持
 1333年  北条軍の敗北    一族の集団切腹     名誉の維持
 1336年  湊川の敗戦     楠正成兄弟の刺し違え  復讐の誓い
 16~17世紀  戦国時代      敗者の自刃     諦観とプライド    
 1703年    赤穂四十七士    名誉ある切腹    主君への忠義
   〃      曾根崎心中     手代と遊女の心中  冤罪の抗議と愛
 1877年    西南の役      西郷隆盛の自刃   自己犠牲
          乃木大将      夫妻の殉死     忠誠と至誠        
 1927年    芥川龍之介     服毒        ニヒリズム
 1944年    神風特攻隊     人間爆弾      究極の愛国心
 1970年    三島由紀夫     切腹        過剰な自意識

 上に列挙した自死の事例は、私が勝手に「自死の日本史」から選んだものだ。そのため百を越える事例に言及している著者の意図を、十分に表していないかもしれない。しかし、この一部を見るだけでも、日本人がもつ気質の特殊性は十分に窺えるのである。自死の方法は時代と共に変遷しても、自死行為を西欧のように罪悪視しない日本文化そのものは変わっていない。それどころか日本人の自死は、美意識の実践のようにさえ感じられるのだ。

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