2008年8月14日木曜日

脱亜論と別亜論

 敗戦後、すでに半世紀を遥かに越えるというのに、中国や韓国による謝罪要求や責任追及は止まることがない。その声が一時的に収まるのは、オリンピックや経済ピンチで、日本の賛同や援助が必要なときだけである。いずれ国内政局が紛糾したときは、世論をそらすために必ずや、政府主導による日本非難が始まるだろう。
 このようないやらしさは今に始まったことではなく、すでに明治時代から続いている。そのため福沢諭吉は脱亜入欧論を主張した。とくに当時の日本の基本路線であった東アジアとの交流強化は、本当に必要なのかと疑問を呈したのである。東アジア諸国とは、要するに中国と韓国のことだ。日本がこれらの因循な国から得るものは少ない。それよりは欧米諸国と親交を結ぶ方が、お互い利益することが多いと考えたのだ。
 この脱亜論は今も評判が悪い。とくにサヨクからはコテンパンだ。アジアという位置にあって共通する文化をもちながら、あえて孤児になる道を選ぶのかというわけだ。しかし日本と、これらの国の文化は、本当に共通するところがあるのだろうか。たしかに肌の色や容姿は似ているし、漢字を使ってもいる。しかしそれだけのことで、文化が共通すると言えるだろうか。
 筑波大学の古田博司教授は、多くの著書(たとえば“新しい神の国”)によってこの疑問を解き明かしている。つまり日本の文化は、中国や韓国のそれとは全く別物なのである。したがって日本は、殊更に東アジア文化から脱する必要はなく、はじめから別の文化をもつ国である。すなわちアジアを脱する意味の脱亜ではなく、アジアとは別を意味する別亜なのである。
 東アジア諸国との外交関係については、従来は地政学的な見地から論じられることが多かった。しかしこれからは文化論的な見地から検討する必要があるだろう。私は今まで日本の混迷が、文化論と文明論の混同によって生じるところが大きいと考えてきたが、その考察の範囲をさらに拡大し、国際関係論にまで及ぼす必要があると考えるに至っている。

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