2011年8月2日火曜日

賤業について

 職業に貴賎なしと言う一方で、実際には偏見と陋習によって、ランク付けがされてきた。ランク付けの根拠としては、宗教に基づくもの、習慣に基づくもの、たんなる流行に基づくものさえあった。ただし、その見方は必ずしも確立したものではなく、時代や環境によって大きく変化する。その見方つまり偏見や陋習によって、不当に貶められた職業は少なくないが、その一方では過当に崇められるという“貴業”もあった。その好例は、近年における政治業、マスコミ業および教育業ではないだろうか。
 ただしこれらの貴業に対する評価も、現在ではかなり様変わりしている。いや、むしろ賤業視される場合もある。たとえばマスコミ業のごときは“マスゴミ”業と揶揄されるほどだ。政治業や教育業に対する評言もそれに近いといえるだろう。
 嘗て貴業だったこれらの職業が、何故このように貶められるのか。それには、はっきりした理由があり、昔のような偏見に基づくものではないのである。結論から言うと、その原因は、これらの職業に属する大多数が、目的と手段をはき違えたからである。
 たとえばマスコミ特に大新聞の当初の目的は、大衆に正確な情報を伝えることであった。しかし現在は、そうではない。読者数を増やすことだけを目的にしている。そのくせ、公正中立を揚言している。その顕著な例がクオリティペーパーを自称する某大新聞だ。今日の読者大衆は、その偽善とペダンチックな姿勢を軽蔑するようになっている。

政治業の場合はどうか。本来は国家のために、人のためにというのが職業倫理であり目的であったが、今ではそれが怪しくなっている。家業化が問題視されるようになったのは自民党政権の時代であったが、民主党主導の時代になった現在では、さらに目的から逸脱している。すなわち票集めそのものが目的になっている。したがって政治家の政治家たる所以は、政治の専門家ではなく、票集めの専門家ということになる。まともな政治スキルが不要になったこの職業を、大衆が賤業と見なすのは当然である。
 教育業も似た状況下にある。いうまでもなく教育の本来の目的は、次世代を担う若者たちに、社会人として自立するための基礎的な精神力の涵養と知識を与え、それを実践するための技能を伝授することである。しかしこの何十年来、教育に携わる者の多くは何をしてきたか。もっぱら特定のイデオロギーに固執し、それに基づく洗脳作業に専念してきた。その結果が、今日の荒廃した教育現場の風景である。本来の教育目的を意図的に無視して、たんにイデオロギーを浸透させる手段にすり替えた。この目的と手段の転倒こそ、まさに現在における賤業の定義に符合する。
 以上によって、私はマスコミ、政治、教育の3業種を、現代の賤業というのである。

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