日本の産業構造は、歴史の推移にしたがって大きく変化してきた。明治の初期は1次産業すなわち林業、農業、漁業が大部分を占めていたが、明治の半ばから大正にかけては第2次産業すなわち製造業が台頭し、主要産業の座を奪った。この産業の成長は長く続いたが、昭和の末期にはピークに達し、その後は途上国の追い上げや人口構造の変化などの影響を受けて、構造比におけるウエイトは低下の一途を辿っている。その一方で大きく躍進したのが、金融業、流通業、サービス業などを擁する第3次産業である。またこの時期には、第4次産業すなわちIT産業が勃興し、経営組織の変革や延いては一種の産業革命さえもたらすことになった。現在はそれをベースにした第5次産業の時代といえよう。好例がITと金融業の交配によって生み出された「マネーゲームビジネス」である。この名称は私が仮に付けたものだが、その主流は欧米系のファンド企業が行っているビジネスである。
概観すると日本は、第1次から第4次にいたる産業構造の変革では、概ね成功を収めたといえるだろう。しかし第5次産業での成功はあまり期待できそうもない。国民性からみて、どうも適性がないように思えるからだ。しかも、この産業にはすでに破綻の兆しがみえる。もともとこの種のビジネスは、一種の虚業である。この分野では、ユダヤ系の企業が際だった才能を発揮してきたが、しょせんは泡沫ビジネスに過ぎないのだ。
さて、問題はこれからである。第4次産業時代まで日本は、常に半歩遅れで欧米企業に追随し、最終的には同レベル乃至それを凌駕する位置を獲得してきた。しかし今や欧米諸国が第5次産業で破綻するとなれば、今後は自前で新産業を創造しなければならない。私はそれを第6次産業と名付けることにしている。然らばその内容はどういうものか。いずれこのブログで明らかにしていく心算だが、取りあえずその概念を示しておこう。
いうまでもなく第6次産業の創出には、従来とは違う考え方とアプローチが必要である。まず考え方について言えば、文化と文明の違いを認識することから始めなければならない。通常はこの二つは明確には区別されていない。歴史学者でさえ混同している例が多い。しかし両者の違いは明らかである。簡単にいえば、文明は文化に包含される下位概念である。別の表現をすれば、文化は暗黙知であるが、文明は形式知である。したがって文化には言語化されないものも内蔵されるが、文明には言語化できるものしか含まれない。
日本は地理上の位置に加えて、鎖国という特殊な事情があったので、独自の文化に基づいて文明を形成してきた。しかし幕末の開国によって門戸が開かれ、その結果として異質でパワフルな欧米型の文明を知った。それは軍事、産業、政治、生活、芸術などあらゆる分野に及んだ。ただし、それらは全て言語によって表せるもの、すなわち欧米文化に由来する欧米文明に属するものだけである。かくして日本の新産業は、すべて西欧文明に基盤をおく技術に依存することになった。外国語とくに英語に堪能なことが、産業界におけるエリートの条件になったのは、その余波の一つである。
このようなアプローチは、第4次産業時代までは概ね通用するものであった。しかし上述したように、今や西欧型の文明に基づく産業のあり方が揺らぎはじめている。途上国は別として、今や欧米先進国の経済・産業を覆っているのは深刻な閉塞感である。今後はおそらく凋落の一途を辿るに違いない。日本も従来の欧米型産業パターンを踏襲する限り、同じ悩みから脱却することはできない。しかし幸いなことに、日本にはとっておきの切り札がある。いままで等閑にしてきた固有の文化をベースにして、新しい産業文明を構築し直すことである。もちろん既に自家薬籠中のものとなっている西欧型文明は十分活用しなければならない。それに加えて、固有文化に基づく文明を交配させるのである。それには、お家芸ともいえる折衷技術を、さらに洗練させなければならない。
たとえばアニメや、ロボット、精密部品、炭素繊維などの新素材、さらには高級野菜やなど日本の技術がカバーする範囲は驚くほど広い。これらの多くは見かけ上、西欧型の技術文明そのものである。しかしその根幹のところまで遡ると、すべては日本人が持っている「匠」の心に行き着くのである。いうまでもなく匠の技術は、日本文化が生んだ日本文明の精華である。この見方に立つと、日本の第6次産業は、もはや始動しているともいえるだろう。その具体例および今後の展開については、このブログで引き続きフォローしていくつもりだ。
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