2011年10月16日日曜日

新聞に未来はあるか

 私の知人の多くは、いわゆる高齢者だ。すでに仕事をリタイヤーしていて、悠々自適の生活を送っている。それでもまだボケているわけではないので、好奇心は旺盛だし、知識欲だって衰えていない。しかし気になるのは、その知識のほとんどを、新聞とテレビに依存していることだ。その一人であるA君の言によると、日本の新聞は実に良くできていて、政治、経済、社会、スポーツ、芸能、文学などがバランス良く網羅されている。しかもレベルが高いという。彼は朝日と日経を購読しているが、それを精読するのに、ほとんど半日を費やしているらしい。他のメンバーも似たような意見だ。
それを聞いて私は恐ろしくなった。相当数の日本人が、その教養や思想を新聞だけに依存しているのだ。しかしそれはとても危険なことだ。まず朝日について言えば、この新聞の社説は“原理主義者”が書く反日論と自虐論だけだ。原理主義者とはある時期から思考停止した人のことだ。その連中が自らを啓蒙ジャーナリズムのエリートと思い込んでいるらしい。あの偽善者めいた、持って回った文体で、ねちねちと自分の国のことを悪し様に言う言説のいやらしさ。しかも、この新聞は狡猾で、自分の考えに副わない事実は記事にしない。これまた一種の世論操作ではないか。しかし一方では、新聞は社会の公器だから公正な報道に尽力していると嘯くのである。左寄りに徹した自分の立ち位置を基準にして、それ以外の意見はすべて右寄りと断定する。だから保守はおろか、中庸の立場さえ攻撃の標的にする。
もう一つの日経新聞についていえば、その商業主義的低俗さは群を抜いている。まずその販促キャンペーンには驚かされる。「一流のビジネスマンは日経を読む」というのが、そのキャッチコピーだ。この新聞のどこが一流なのだ。総合紙になりたいらしが、身の程知らずの、余計なことにエネルギーを使わないでほしい。本来はビジネスの専門紙なのだから、その面でのレベル向上を図るべきだ。しかしその肝心のビジネスに関する記事はどうなのか。他の一般紙と殆ど変わらない。違うのは経済関連のデータを盛りたくさん取り入れているだけだ。こんなものは、その専門機関から入手しているだけで、日経の力量でも何でもない。専門紙の記者たる所以は、日本のビジネスマンに対して、適切で高度なビジネス情報を提供すること、さらには経済に関するしっかりした研究を行って、そえに基づき専門家としての意見や論説を提供することだ。率直に言って日経にはそれが全く無い。たまに意見らしいものがあるが、その多くは借りものか、根拠のない思い込みだ。
 さいわいにして、この猛威をふるった新聞の退嬰的な振る舞いも、次第に通用しなくなってきた。はじめに述べたように旧世代は依然として新聞にこだわっているが、新世代の新聞離れは急速に進んでいる。この傾向が話題になって久しいが、その退勢が好転する気配は全く無い。それを若者の活字離れのせいにしたり、読者の不勉強のせいにしてはならない。すべての原因は新聞人自身の不勉強と、堕落にあるのである。

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