2011年10月24日月曜日

”失われた十年は取り戻せるか”

 バブル経済が崩壊した1990年から1999年に至る10年間、日本の経済はずっと沈滞が続いた。このような経済の特異現象は、他の経済圏でも、すでに経験済みの現象である。しかしどういうわけか、この現象はまるで日本固有の問題のように騒がれてきた。その多くは経済ジャーナリズムの論説であり、経済学者の論評であった。日本経済のこの沈滞はさらに止まることがなく、ついに2010年代のすべてから、現在まで続いている。世界経済の牽引役の一端を担う日本のこの有様を見て、いまやGセブンからも、批判の声が上がるようになった。その一方でアメリカは、日本と同じ状態になることを予見し、積極的に対策を講じてきた。たとえばITビジネスとマネーゲームビジネスへの転進である。この変革は一時的には成功したかのようにみえた。それだけに、日本経済の不甲斐なさを遺憾に思ったのであろう。世界経済沈滞の主な原因として、日本をあからさまに批判してきた。しかし今やリーマンショックを契機にして、アメリカは明らかに自信を喪失している。一方、欧州諸国の経済は、ユーローの結成から近年まで順調にみえた。しかしここに来て、明らかに破綻の兆しが表れている。
 世界における現在の産業経済を支える先進文明国は、日本とアメリカ、およびユーローの三者であるが、その何れも「それぞれの理由によって」行き詰まりの悲鳴を上げている。その一方で、それぞれの理由を克服すれば問題が解決できると考えている。
 しかし本当にそうだろうか。問題は、それぞれの固有の問題だろうか。私はそうは思わない。この3者すなわち先進文明国は、共通する問題を抱えている。その共通する問題を認識しなければ、現在の苦境を克服することはできない。ただしこの共通問題は、3者だけのことであって、途上国や後進国とは違う。この点も十分に認識しなければならない。
 三者に共通する問題とは、「過剰」である。過剰消費と過剰生産である。まず過剰消費について言えば、先進文明国ではあらゆる生活必需品、つまりコモディティが飽和状態になっている。この事実を率直に認めなければならない。もちろん例外はあるが、ここではそれには触れない。一方、生産面ではどうか。文明がもたらした生産技術の高度化によってコモディティの「生産過剰」は更に深刻である。
 一方、途上国や後進国の需給関係はどうか。ここでは今も旧式経済学の考え方が通用する。先進文明国がもたらしたあらゆるコモディティに、大いなる潜在需要が期待できる。それが顕在需要に転化する最大の要件は価格である。要するに安ければ良いのである。現在では、それが極めて容易に出来るようになっている。まず製造技術については、開発コストなしでコピーできる。しかも品質は二の次である。かくして中国や韓国などの中進国は、国を挙げてこの路線を走り始めた。あらゆる製品がコモディティ化している。この路線に、先進文明国が介入したり、対抗するのはもはや不可能である。
 以上のように現状を認識したとき、先進文明国の産業・経済は今後どうあるべきか。今こそ、経済学者や評論家が、その蘊蓄と見識を示すべきときであろう。

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