人物を評価するとき、決め手になるのは品位の有無である。それを持ち合わせていない下品な相手とは、あまり深く付き合わない方がよい。これは人が生きていくために、欠かせない基本的な処世術である。同じ見方は、一国の政治においても通用する。最近の例では、管直人前首相が行った政治である。この人物の下品さよって感じさせられた不快感は、国民の脳裏に刻み込まれているが、ここでは触れないことにしよう。
品位という見方を、さらに拡大すると国際政治すなわち外交においても通用する。好例は中国と韓国である。まず中国についていえば、この国の統治者は、国内政治に行き詰まりの気配がみえると、必ず仮想敵国を設定し、それへの憎悪をかきたてる。江沢民は「歴史認識」という奇妙な理屈を振り回して、共産主義政治の矛盾や腐敗を、大衆の注意から逸らすことに腐心した。彼のいう歴史とは、日本と中国が争った20世紀、つまり100年足らずのことで、それ以前の歴史は眼中になかった。その短期間だけを切り取って、歴史云々と騒ぎ立てるのは。まさに下品なことである。最近では胡錦濤の政治に翳りが見え始めたが、その繕いのため又もや反日キャンペーンを始めている。その内容は「日本に軍国主義が復活しつつある」というのだ。これは笑い事ではすまされない。このデッチ上げを口実にして、尖閣諸島の攻略に向かうかも知れないからだ。
韓国の外交も下品だ。政権運営が危うくなると国民の目をそらすために、日本という仮想敵国をネタにして大衆を扇動する。前大統領の盧武鉉はそれを積極的にやった。現在の李明博大統領は知日派でもあるので、少しはましかと思ったが、やはりそうではないらしい。このところ竹島についての反日キャンペーンが激しくなったのは、従来と全く同じ構図である。下品な国に近接していて、それと付き合わなければならない日本は、本当に難儀なことだ。
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