2011年4月5日火曜日

グレイのパワー

 日常的に生じる社会現象は、3つの領域に分類できるかもしれない。第1は白の領域、第2は黒の領域、そして第3はその中間の灰色すなわちグレイの領域だ。仮に色相の帯として考えると、左端の真黒から少しずつ右に移動するにつれ、黒の色合いは次第に薄まって、濃灰色に変わっていく。さらに右に移動を続けると、その灰色はいっそう薄まり、最後に右端に至ると真白になってしまう。本来ならば、この連続する色相の帯を区切ることはできないだろう。しかし私は、あえて3つに区切ることにしている。そしてもう一つ加えているのは、この3領域が占める面積、すなわち分布である。具体的には、黒と白はそれぞれ5%で、灰色は90%になると考える。この値に科学的な根拠は全くない。私が経験で得てきたものである。この独断と偏見にみちた尺度で、社会現象を眺めてみると、案外うまく説明できるのである。
 たとえば採決で決めなければならないときは、当然ながら二つの立場、すなわち賛成者と反対者が出現する。ただし当初から、自分の立場を鋭く主張するものは数が少ない。その他の大多数は、曖昧な表情を保っている。しかし時間の経過とともに、その表情は次第に変わる。そして最後に採決の時がきたら、ほとんど全員が明確に意思を表明する。グレイゾーンに属する大多数のパワーが始動した瞬間である。
 グレイゾーンを動かすために、白と黒の両側から、いろいろな働きかけが行われる。政治やマーケティングの分野では、とくにこの策動が激しい。マスコミなどはその下品さによって、20世紀が生んだ賤業といわれるほどだ。しかし策動がどうであれ、最後の決め手は、グレイゾーン集団が潜在的にもっている価値観、倫理観、学習能力そして文化である。この点において日本は、世界でも最も高い水準にあるのではないだろうか。日下公人氏は、50年も前からこの見地に基づき日本の将来を予言し続けているが、ことごとく的中している。日下氏が一貫して主張しているのは、日本人が持っている数々の美徳であり、これを大いなる資源とみなしている。従来の国際競争の場で優位を決めるのは地下資源であったが、これからは文化資源が決め手になるとも書いている。そしてそれを保有しているのは、観念的な舶来知識を珍重する知識人ではなく、実生活に根ざした知恵を備えた庶民であり、この点において日本は世界でもダントツの資源国だと述べている。
 21世紀の国際競争における国力の差は日下氏の言うとおりだとして、グレイゾーンを構成する各国の庶民のレベル、つまり上述した価値観や倫理観で比べてみよう。たとえば中国の一般大衆、アメリカの一般大衆、アフリカの一般大衆、これらを眺めるだけで、もはや説明の必要はないだろう。大災害は世界の各所で発生するが、そのたびに必ず耳にするのは、大衆の略奪であり暴動である。しかし日本の場合は明らかに違う。この認識は、今では世界の常識だといえよう。東日本大震災で行動した被害者たちの、冷静な振る舞いについては、ニューヨークタイムズ、ガーディアン、ウオールストリート・ジャーナルなど欧米の主要紙はこぞって賞賛している。
 日本のグレイゾーンのレベルを量る身近な例をもう一つ挙げてみよう。それは政党に対する支持率の推移だ。具体例として、2009年8月に行われた衆議院の選挙を示そう。その結果、自民党は予想外の大敗を喫し、民主党はこれまた望外の大量議席を獲得した。この結果について与論すなわち庶民は、政治家不在で政治屋しかいない自民党を拒否しただけだと表現した。その一方で、未知数の民主党を試してみたいと述べている。当時としては、この判断は極めて妥当と言うべきではないだろうか。これより既に数年前、総裁選に出馬した小泉純一郎氏が、内部からぶっ壊すと宣言せざるをえないほど自民党は腐っていたのだから。
 それでは、試されている民主党はどうか。その体たらくは周知の通りだ。その反映すなわち支持率の推移をみても明らかである。今回のような非常事態が発生しなければ、間違いなく解散総選挙になっていただろう。今やグレイゾーンすなわち庶民を構成する大部分は、来るべき裁断の日を待ちわびている。その日を境に、迷走を続けている日本の政治も、再び正道に戻ることが確信できる。

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