昨日(9月7日)、薬害C型肝炎訴訟の裁判で、仙台地裁は国に責任はないという判決を下した。この一連の裁判は全国で5回行われたが、国の責任を認めないのは今回が初めてだという。これら諸判決の是非については、ここでは触れないことにする。
気になるのは、相変わらずの「国の責任」という表現である。そもそも国の責任とは、どういうことなのだろう。マスコミは何かにつけ、国の責任は重いと言い立てるが、この表現を濫用しすぎるのではないだろうか。
国とは、それ自体が独立して存在しているわけではない。国民一人ひとりによって構成されている。したがって国の責任は、結局のところ国民個人の責任に還元される。反日日本人は、しばしば国を誹謗したり貶めたりするが、それはすなわち天に唾するものではないだろうか。
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