老人による「今どきの若者は困ったものだ」という慨嘆は昔からあった。しかし今、われわれが目の当りにする世代ギャップは、それらとは本質的に違うように思う。具体的にいうと、おおよそ30歳以下の新世代とそれ以上の世代の断絶である。断絶の様相は3つの側面でみることができる。その1は意識、その2はテクノロジー、その3は言語である。
まず意識ギャップであるが、これは認識ギャップと言い換えることもできる。新世代の意識は、顕在と潜在の両面でペシミズムに染まっているようだ。これに対して旧世代の意識はオプティミズムといえるだろう。この違いは各々の成長過程で体験した時代環境によるものだ。近代において日本が選んだ道は、明治、大正および昭和の末期まで、ひたすら勃興、成長、復興という上り坂であった。この時代に生きた人たちが積極的かつ楽観的なのは当然であろう。しかし新世代すなわち昭和末期以降に生まれ育った世代の時代環境を、色彩で喩えるならば灰色としか言いようがない。学校で教わる歴史は、日本がいかに近隣諸国に迷惑をかけたかを強調し、国民としての誇りや自信を持たせるものではなかった。地球規模では環境汚染が深刻化し、一種の終末論が重くのしかかる。社会経済の主要部分は殆どシステム化され、フロンティアの開拓余地は限られているため、何もやれないという閉塞感にさいなまされる。途中ではバブルの崩壊もあった。このように何一つ明るい話題がなかった世代の心情を想うとき、旧世代は傷ましさを感じざるを得ないだろう。
第2のテクノロジーギャップは、ITの進歩普及に伴って極めて顕著になった。インターネットやモバイルは、従来型のヨミカキソロバン型のビジネスリテラシーを全く無用の長物にした。そのため旧世代と新世代の間には、ビジネススキルの連続性がなくなっている。旧世代のスキルを引き継いでも役に立たないので、新世代はそれを自分で開発し習得しなければならない。銀行業務などはその典型だ。
第3のギャップは言語ギャップだ。旧世代にとって、新世代の言葉使いは外国語の翻訳のように聞こえることがある。例として、パソコンのヘルプデスクに電話したときの質疑応答を再現してみよう。
クライアント:「もしもし、〇〇についての操作を教えてください」
ヘルプデスク:「承知しました。それでは△△のアイコンをクリックしていただいてよろしいでしょうか。」
クライアント:「はい」
ヘルプデスク:「次に××のアイコンをクリックしていただいてよろしいでしょうか。」
旧世代としては、この「していただいてよろしいでしょうか」の部分は、「して下さい」で十分だと思うだろう。このような奇異な言葉使いは、ITに関連するマニュアルの多くが翻訳ものに由来するからである。極言すれば、たかだかIT関連の用語法に過ぎなかったものが、いまや日本語そのものを変えつつある。その主役はIT機器を体の一部のように使いこなしている新世代なのである。
このようにして新世代と旧世代の間には、今まで経験したこともないギャップが生じている。旧世代はそれを非難したり嘆いたりしても意味がない。ギャップの存在をありのまま認め、何とか折り合いをつけていくしかないだろう。それには自の考えを理解させようというのではなく、まず相手の考えを理解しようとする努力が必要だろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿