経済の本質は、つまるところ自然環境の破壊と収奪の効率化である。その原点が地下資源の採掘だ。本来はタダなのに、利用者が価値を認めるので値段が付けられる。たまたまその産地を保有するものが第1所得者になる。さらにその転売過程や、加工過程でも付加価値が得られる。ただしその付加価値も需要と供給で決まる架空のものだ。そのための資金の供給と需要は、別系列の付加価値形成過程から生まれる。本来はタダの自然産物に、まるで寄生植物のように付加価値を付与するプロセスが発生するからだ。まさに花見酒の経済である。この観点でいうと、モノの生産だけに価値があるという見方は間違っている。対象は何であれ、お金の支払いがあればすべてGDPのアップに貢献するのである。
こうなると近代人が営む経済活動は虚構といった方がよいかもしれない。経済学はその虚構の上に立っているに過ぎない。近代社会の経済は、自然の収奪によって成りたっている。いずれ自然が破壊尽くされたら破綻する。しかし経済学はその限界を自覚していない。それどころか、「合理的に行動する経済人」という現実離れした前提条件に立脚している。かくして経済学は虚構であり、知的な遊びに過ぎないのである。
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