マスコミは小泉元首相や石原知事の政治手法を、ポピュリズムによる世論操作といって非難してきた。そもそもポピュリズムという表現の裏には、大衆蔑視の思想が隠されている。つまり大衆は浅はかだから、世論操作に騙されるという考え方である。失礼な話ではないか。その思い上がりがあったから、左傾マスコミは中国の文革を支持したり北朝鮮を賛美する記事を書きまくって、意図的に日本の世論をミスリードしたのだ。
このような大衆蔑視に立脚した政治思想は、左傾マスコミだけでなく、一部の学識経験者の間でも根強い。その論拠は、概ね次のようだ。
前提は人間の知性には個人差があるという事実である。その個人差にも拘わらず、民主主義では政治への参画権を平等に与えている。人権が平等であるのは当然としても、政治への参画権を等しくする必要があるだろうか。政治には知性、見識、倫理観、責任感などが不可欠だが、それを大衆全員が等しくもっているとは考えられない。その意味で、構成員の全員に対し、投票権を均一平等に与える民主主義がベストとはいえない。ただ、これに勝る方法が見当たらないので採用しているだけだと。
この説には、納得させられる部分がないわけではない。しかし、今までの長い政治の歴史をみると、大衆によるミスリードは一時的なもので、結局はまともな方向に落ち着いている。つまり統計学で言う大数の原則が見事に作用しているのだ。時間軸と平面軸を広くとった統計論的な世界では、ちゃんと自然の摂理に叶うようになっている。これを天網恢々にして洩らさずというのだろう。
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