若い頃はピカソやカンデンスキーなどの抽象画が嫌いだった。いかにも独りよがりで、奇をてらっているように思えたからだ。
しかし近頃は、そうは感じなくなった。なぜだろう。たぶん老齢化にともない、自分の存在自体が抽象的になったのだろう。肉体の輝きやみずみずしさを失い、骨と皮だけになっている。それでも生きているのはどの部分か。肉体とは別のいわゆる知、情、意の3つが辛うじて生を支えているのだろう。この3つは、まさに抽象そのものではないか。
ただ抽象画が好きになったという私の表現は、必ずしも正確ではない。むしろ抽象芸術と言うべきだろう。その意味で一番好きなのはConstantin Brancuci の彫刻である。たとえば Bird in Space と題された作品。鳥が備えている羽や嘴など一切の具象部分を取り除き、単純な曲線だけでつくられたフォルムである。それでも誰が見ても“鳥”であることが分かるのである。
骨と皮だけの抽象的な存在に成り果てた老人であるが、人間であることは誰が見てもわかる。むしろあらゆる夾雑物を排したBrancuciの彫刻のように、人間の生の本質そのものになっているかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿